かとりせんこう
麻々子
かとりせんこう
空が紫に染まるころ、私たちは家々ら聞こえてくる機の音にあわせるように歌をうたう。それが私たちの一日の終わりだった。
その日、歌をうたった後で隣の家の壁にもたれて和ちゃんがいった。
「もうすぐやな」
「うん」
私はこの夏の終わりに引っ越をする。
「千代ちゃん、またくせでてる」
和ちゃんが、私の足もとを見た。
「あっ、しもた」
私は、もたれた家の壁をけっていた足をとめた。
「ここのうちの人、怒ってきゃはるで」
和ちゃんが心配そうに家の中をうかがった。
「心配あらへん。このうち、空き家や」
「ほんま?」
「うちの隣やけど、私、ここのうちの人、見たことない」
「へぇ」
和ちゃんは不思議なものを見るようにその家を見上げた。
白っぽいかべを持ったその家は、べんがら格子の続く西陣の町並みの中では珍しかった。
「鍵、かかってんのかな?」
和ちゃんはそっと玄関の戸に手をかた。
ガラガラ、戸が簡単に開いた。
「どなたはんどす」
奥の方から人の声がする。
「人、やはる」
私たちは目を見開いたまま、その場から動くことができなかった。
「いや、かわいらしいお客様。どうぞ」
長い暖簾をかき分けて、鶯色の着物を着たおばさんが出てきた。
「すいません。この人がここ空き屋やいわはったさかい、戸、開けてしまいました」
和ちゃんは私を指さしていった。
私は、何もいえない。
おばさんは私たちの顔を見て吹き出した。
「えらい顔したはる。ほんとにびっくしゃはったんやな。これで、空き家や無いことがわかりましたやろ。せっかくやさかい、どうぞ、お茶でも飲んでいってください」
「ほな」
和ちゃんさっさとおばさんについて家の中に入ってしまった。
「和ちゃん」
私は心細くなって、和ちゃんの後を追いかけた。
奥の間は薄暗くがらんとしていた。私はからだがひやっとするのを感じた。
「どうぞ」
おばさんは麦茶をいれてくた。コップの中の氷が、変にきらきら光っていた。
「あんたら、何年生?」
「四年生」
和ちゃんが大きな声で答えた。
その時、私は手が震え持ったコップを落とてしまった。音もなく二階から下りてきた人が、こちらを見ていたのだ。黒い着物を着た男の人。
「どうしたん?」
和ちゃんがきいた。
おばさんはコップをひろいあげ、こぼれたお茶を拭きながら私が見つめている所に目をむけた。
「あ、旦那様。何か御用でございますか」
おばさんはその人の所へ走りよった。
その人は何もなかったように私たちに静かに頭を下げた。
「どうしたんえ?」
和ちゃんがもう一度私に聞いた。
私は何に驚いたのかわからなかった。わからないまま「あの人、幽霊やと思た」と答えた。
和ちゃんは、おばさんと話している男の人を見て「白い顔したはるけど、足、ある」といった。
私も男の人の足もとを見た。黒いの着物の先から、白い足が見えていた。
その日から何回も、私たちはおばさんの家に遊びにいった。旦那様と呼ばれた人も、時々私たちといっしょに話をするようになっていた。旦那様の名前は角さんといい、角さんは、おばさんのことをただ「おばさん」と呼んでいた。
おばさんは、角さんが私たちといっしょに普通に話したり、笑ったりしているがうれしのか、そんな時は仏様のようなやさしいほほえみをうかべていた。角さんがいっしょの時、おばさんは団扇で角さんにだけに優しい風を送っていた。
七夕が近づいた頃、私たちは、近所でもらった笹を持って角さんの家に行った。
「七夕飾り、作ってもええ?」
おばさんにきいた。
「まぁ、珍しい物を。今日は、七夕さんやったね。忘れてたわ。どうぞ、どうぞ。でも、色紙があらへんなぁ。そや、残しておいたきれいな包み紙があるわ」
おばあさんは、色とりどりの包装紙を持って来てくれた。包装紙は同じ大きさにきちんとそろえて積み重ねられていた。
「私、この水色の紙で天の川、作る」
和ちゃんが水色の神を引き抜いた。
「天の川は星やし、金色の方がええのんと違う?」
「そやな。まぁ、ええやん。いっぱい作ろ」
「私、あみかざり」
「星も作らなあかんなぁ」
私たちは、包装紙を何枚も広げていった。
「短冊に願いごとも書かなあかんね。短冊になる紙、あったかなぁ」
おばあさんはそう言いながら茶箪笥の中を探していた。
「にぎやかだねぇ」
角さんが二階から下りてきた。
「お嬢さんたちが、七夕の笹を持って来てくれはったんですよ」
おばあさんが言った。
「ほう、七夕飾りか、懐かしいね。何作っているの?」
角さんが、少しほほえんで私の横に座った。
(あ、角さんが笑わはった)
角さんが笑ったら、この部屋中が暖かく明るくなる感じがする。どうしてだろうと思っておばあさんを見ると、やはりおばさんも仏様のような顔をしていた。
「そやけど、また雨が降りそうや」
和ちゃんが庭の空を見上げて言った。
空は、梅雨空でどんよりしていた。
「ほんに、七夕さんの日はよう雨が降りますなぁ」
おばあさんも空を見上げた。
「梅雨だものしかたがない」
角さんがつぶやいた。
「そんなん、あかん。雨が降ったら、織姫さんと彦星さんが会えへんやん。一年に一回しか会えへんのに雨が降ったらかわいそうやん」
和ちゃんが顔をしかめた。
「いいよ。今年逢えなくても来年があるんだから。来年がだめでも再来年がある。逢いたくても二度と会えない人もいるんだから……」
角さんが自分の手元に目を落とし、悲しげにほほえんだ。
(あ、角さんが笑わはった)
角さんが笑ったのに、この部屋は静かに冷たくなっていく。
おばあさんを見ると、庭に顔を向けたままみじろぎ一つする様子もなかった。
私は、一度だけ、隣の家に遊びに行っていることをお母さんに話した。
その時、お母さんは顔をひきつらせて「隣の家なんか行ったらあかん」と叫んだ。
「なんで?」
私は恐る恐る聞いた。
「何でって、隣は子どもなんか、いいひんやろ。何でそんな所に行かなあかんの。邪魔に決まってるやろ。もう、ぜったい行ったらあかんで。わかったか」
お母さんの激しい言葉に、私は目をパチパチさせた。
けれど、それからも私たちはお母さんには内緒で角さんの家に通った。
それだけ私にとって角さんの家は、居心地のいい不思議な所となっていた。
引っ越しが間近になったある日、私たちはいつものように道ばたで遊んでいたが、急に雨が降りだした。私たちはあたりまえというように角さんの家へ走っていった。
玄関の戸を開けるとおばさんがいた。
「ええとこへ来てくれはった。旦那様にこの傘、持っていってくれへんやろか?」
「どこへ持っていくの?」
「大通りの向こうのお寺なんやけど」
「ああ、知ってる。いつも遊びにいってるとこや」
おばさんは「悪いね」といいなら、黒い傘と青い傘を私たちに渡した。
お寺に着いたころから、雨が急に強くなった。
「あっ、あれ角さん?」
和ちゃんが小声でいった。
お寺の横にあるお墓の真ん中で、角さんは少しも動かず雨の中に影のように立っていた。頭も着物もずぶ濡になって黒く光っている。
「わ、私、帰る。なんか、怖い。私、知らんで」
和ちゃんは、泣き出しそうな顔でそいうと、私に黒い傘と二人でさしていた青い傘を押しつけて、雨の中をにげていった。
「まって、私かって……」
私も怖かった。どんどんからだが冷えてくる。けれど、足が動かない。私は手に持った傘を見て、もう一度角さんの方に目をむけた。
「あっ、だれか、やはる」
角さんの向こうに白い人影が見えた。
傘を打つ雨の音だけが大きく耳に響く。
「知らん。知らん。私かって、知らん」
私は家に向かって走りだしていた。
夕方、雨はもうすっかり上がっていた。私は、おばさんに傘を返しにいった。
(角さんには会えへんかったっていうとこ)
「こんばんは」
玄関を開けて小さい声でいった。家の中からは誰の返事もなかった。私は奥の部屋をのぞき込んだ。
(あっ、角さんや)
角さんは縁側に座って庭を見ていた。
じっと見ていると、座敷簾の前に置いてあるかとり線香の煙がゆらりと揺れた。
(簾の向こうに誰かやはる……。おばさんやろか? 違う……。あっ、あの人や。お寺にやはった人や)
少しからだを乗り出すと、簾の端から白い着物の袂が見えた。
その時、また雨が降り出した。ザーっという雨の音が頭の中をいっぱいにする。
「あかん。なんや、怖い」
私はそうつぶやいて、音を立てないように傘を玄関に置き外へ飛び出した。
私は空を見上げた。
「雨を降らすのは誰?」
「私……」
かすかに女の人の声が降ってきた。
同時に雨が上がり、薄暗い空には星さえ輝いていた。
私は新しい家に引っ越した。新しい家の周りには田んぼや原っぱがいっぱいあった。
近くの原っぱがススキでいっぱいになる頃、和ちゃんから手紙がきた。
『こんにちは。千代ちゃん元気ですか。今日はあの角さんのことを書きます。角さんが大文字の送り火の日に死なはりました。この前お葬式がありました。おばさん「私が、私が」って、ものすごう泣いたはりました。おばさんが田舎に帰らはったので、あの家は本当に空き家になりました。
もっとすごい話があります。あの角さんは人殺しなんやて。昔、女の人を殺さはたんやて。刑務所にも入ったはったそうです。殺された女の人は着物の似合う人やったて、お母ちゃんやらがゆうたはるのを聞きまた。心中? 何かよくわかりませんが、心中の生き残り? ってゆうたはりました。角さんは、その女の人に呪い殺されたのかもしれんて……』
私は、和ちゃんの手紙から目を離した。これ以上読みたくないと思った。
(違う。私、知ってる。角さんはあの女の人に好かれたはった。呪い殺されはる訳がない。私、その女の人が角さんといっしょにやはるとこ、二回も見たもん)
私は、和ちゃんの手紙をていねいに折りたたんで、机の中にそっと仕舞い込んだ。
了
かとりせんこう 麻々子 @ryusi12
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