短編『ミハシ村の哭き童女』chapter-2


 黒紫の布地を通り抜けて行った先、そこにはユーリの想像する村とはかけ離れた光景が広がっていた。

 それは、白一面の樹木の家々。青々とした枝葉がまるで花吹雪のように風に靡いて飛び交い、それに混じって矢の如く飛翔する濡れ羽色の鳥が在った。

 水晶の如く瞳を宿し、ユーリを見据える鳥の目は、まるで硝子玉のようにも見える。強く打てば砕けそうな儚さがあり、羽ばたきもせずに空中を舞う姿からも弱々しささえ感じさせる。


 藍色の瞳孔が無かったら、生き物とは思えなかったかもしれない。それほど、枝葉と共に村の空を飛び交う鳥の姿は異様で幻想的だった。

 ほう、と素直にため息をつくユーリ。この村の美しさに思わず目を奪われているといった様子だ。

 しかし、ユーリが目を奪われているのは村の情景だけではないのだが………。


(赤、青、緑、黄色………珍しいので銀色まで……なるほど、確かにここは魔素の集約地だ。やはり書物で見るより肉眼で見る方が良いなぁ。これだからフィールドワークはやめられないんだ!)


 ユーリは期待に目を輝かせる。果たして、この村を存続させている原因たる存在はどれほどの神秘なのか、と。

 魔術師の血が騒ぎ、未知に対する興奮から頬を紅潮させていく。

 しかし、ユーリは瞬時に表情を切り替える。


 不審気にこちらを見る視線があったからというのもあるが、そんな視線よりもよほど気になるを瞳に捉えたからだ。

 ふと、視界に入ったのは先ほどの硝子玉のような瞳の鳥だ。はっきりとユーリを見据えていた一匹だけの鳥。その鳥の瞳の奥から、こちらを見つめる何者かの視線を感じて、警戒からユーリは魔力の起こりを一定のものから波のように揺らがせる。


 それが何になるというのかは、ユーリにしか分からない。

 だが、ユーリはそれで満足したのだろう。表情に微笑みを浮かべて、自らの右隣に立つ人物に顔を向ける。

 そこには、東邦の龍国に似た民族衣装『着物』に似た藍色の服装の女性が立っていた。和国の女性とは違い、下にはサルエルパンツのような白いズボンを履いている。


 顔を隠すのが風習なのか、目から下は布を巻いていて見えない。だが、切れ長の瞳は鷹を想像させる。全体の顔が見れるなら、想像だけでも美しい容姿なのだと察しがつきそうな顔だちだ。無論、鼻から口元は布に覆われているが。


 身体を女性の方に向けて、ユーリは右手を胸に当て、左手を腰のところまで持っていき掌を上に向ける。腰を落としてお辞儀をするように左足を後ろにずらし、腰を落とす。

 れっきとした『アナハイト王国』に伝わる古く格式高い上流階級の礼儀作法だ。


「僕は『魔学都市アルティヤ』の四回生、童話魔術師のユーリェル・グリム=グリッティ。貴村の伝承について学ぶ為にこちらに参りました」


 作法に詳しい者が見れば、その挨拶がとても完成度の高いものだとよく理解できる。ユーリの出身は王侯貴族ではないが、一応は名家と呼ばれる魔術師の家系の一員だ。故に、このくらいはできて当然なのである。

 本人は面倒がっているので、普段は滅多に披露しないが。


 一応、許可を貰って来ている立場なので、ある程度は通すべき礼儀というものがある。文化は少し違うだろうが、ユーリが披露したのは『ゾォア王朝』より伝わる礼儀作法。

 人類文明にとって、最も古く格式高い伝統ある作法だ。


 ユーリの挨拶に、女性は目を見開いて驚いたように僅かに仰け反る。あまり、この手のやり取りは慣れていないのか、あるいはユーリがこれほど作法の出来る者だと知らなかったからか。

 恐らく後者だろうとユーリは当たりを付ける。

 ユーリはそのまま微笑んだ表情で女性を見つめて、女性が返事をするのを待つ。催促するのは無礼に当たるので、この場合のユーリの対応は正解だ。


 早々に正気に戻った女性は、ユーリと同様の作法で挨拶を返す。しかし、ユーリの男性の挨拶とは違い、女性の作法は右手を胸に当てるのではなく、へその当たりに当てて挨拶を返す。

 女性の場合はへその部分に右手を当てるのがゾォア王朝式の礼儀作法だ。


 各国共通である為か、この手の作法は広く知れ渡っている。だが、ユーリの目から見ても女性の作法は美しかった。


「ようこそおいでなさった。私は当方の村の案内役を務めさせていただく、この村の村長の姪、リテア・シフィラだ。話は既に通っている。まずは村長に挨拶を願いたい。しかし、村長宅まで少し遠い。なので道中、この村を案内しよう」


 女性――――リテアは一歩前に出て、ユーリに村長宅のある方へと片手で指し示す。ユーリは微笑みを浮かべたまま頷いて、先を行くリテアの後について歩き出した。

 布で隠れている為、リテアがどんな表情を浮かべているのかは窺い知れない。しかし、リテアの耳が赤くなっているのをユーリは見逃さなかった。


 クスリと、口元を抑えて笑い、ユーリはリテアの後を追う。




 目的地までの道中、二人の間にあまり会話は無かった。それと言うのも、ユーリは村の様相に興味を惹かれているようで、リテアに話しかける時はもっぱら疑問に感じた物を質問するのみだからだ。

 リテアの方も、問われたら答えるが、そこから補足説明を少し加えるだけでユーリとコミュニケーションを取ろうとする様子はない。

 問いかけと返答。それ以外に会話は無い。会話が広がる事もない。


 ユーリは村に興味はあるが、現状、リテアに対して興味を抱いていない。そもそも会話をする気が無いのだ。

 リテアの方も、案内役に徹するのみで会話をしようとする気が無い。彼女の様子はどこか無機質で、訓練された軍人のようにも感じさせる。

 いや、そういう風に徹しているのか。真偽は彼女にしか分からないが、少なくともリテアはユーリに対し警戒心を抱いているのは明白である。


 一定の距離を保ち、時折ちらちらとユーリを見る視線は、彼の一挙一動を監視するように鋭く、冷たい。

 ユーリは彼女の視線の意味に気づいている様子だが、村の様相ばかりに気を取られているようで、彼女の方を見ようともしない。


 興味、関心のあること以外には、とことん関わらない。こういった所は、ユーリも魔術師なのだと理解させられる。



 村の様相、それは控え目に言っても静かなものだった。外出している村人は最低限で、畑は壁のような柵に囲われて見ることも出来ない。

 建物は木製であるが、自然そのままの状態を活かしているのか、絡み合う樹木をくり抜き、そこに家を建造しているような造りをしている。

 森の民と呼ばれるエルフは、木の上に住むというが、それを参考にしているのだろうか。だが、それだけではユーリの興味は惹かれない。

 ユーリが興味を惹かれた部分は、村全体の建物から漂う魔力の起こりだ。


 魔術、というより魔道具も、魔力を用いるものは須らく魔力を発する。生物のように体内に魔力を留めておく器官、または余剰魔力を貯蓄する器官が存在しない故か、魔力を通した時に余剰魔力がそのまま大気中に発散してしまうのだ。

 いや、余剰魔力だけでなく、魔力の通り道たる回路が不十分であった場合もそうか。回路は魔力の通り道、生物に例えるならば血管の役割を担う重要な部品だ。


 魔力の通り道として、回路の魔力を留めておく機能が不十分であった場合にも、魔力は大気中に発散する。もちろん、生物にも魔力の起こりはある。

 魔術を使用とした時、使用する魔方陣の作りが甘い場合、または術式の出来が悪い場合にも、魔力の起こりは発生してしまう。


 通常、魔力の起こりとは魔術か魔道具など、何らかの魔力を利用する術を用いる事で発生する現象とも言えるものだが………それが村全体から漂っているのは、はっきり言って異常である。

 まるで日常的に魔力を利用しているような、馬鹿げた考えが頭に浮かんでしまうくらい異常だ。


 つまり、それは無限に等しい魔力エネルギー源を利用しているという事に他ならないからだ。


 表面上は好奇心を抑えきれない無邪気な子どものような表情をしているユーリだが、その内心は驚くほどに無機質で冷たいものだった。


(『ミハシ村』……知れば知るほど謎が深まるなぁ。ここまで魔力の起こりを日常的に体験するなんて、百万年以前の古代文明でしか経験しないよ。現代では魔術に寄らない技術を用いて生活しているけど、それでも魔道具を活用している一般家庭はいくつも存在するし、魔力の起こりだって確認できる。

 けど、これは本当に異常だ。魔力に惹かれた【魔獣】が群れをなして村を襲撃してもおかしくないのに………なるほど、これはあるね)


 乾いた唇を潤すために、ユーリは唇を舐める。その一瞬、ユーリの目つきは恐ろしく冷たく細められ、瞳の奥で情熱的な狂気が煌めいた。

 それは、魔術師の好奇心を刺激され、未知に対する欲求を発露したという証拠に他ならない。

 未だ学徒の身とはいえ、ユーリも魔術師を名乗る者。そして、『魔学都市アルティヤ』に所属する魔術師だ。


 魔術を学ぶ為ならば、未知なる神秘を研究する為ならば、いかなる事であっても支援する。それは、合法・非合法を問わず、時には国家に喧嘩を売るような事であっても、だ。

 強大な人の形をした、奇人変人狂人と称した魔人の巣窟。


 それが、『魔学都市アルティヤ』。


 ユーリは比較的、常識人であるが、それでも魔術師である以上、そういった側面を持つのは否めない。今、ユーリの頭の中ではどんな事が考えられ、何を計画しているのか。

 分からないが故に恐ろしい。




 村長宅を目指して、一時間も経たない頃。漸く、二人は村長宅に辿り着いた。


(結局、一度も彼女以外の村人とは会えなかったなぁ)


 白い巨木をそのままくり抜いて作った人工的な洞の中に、屋敷を入れたような建物を眺めながら、ユーリは内心、ため息をついた。

 樹木に埋め込まれたように建てられた家々はあれども、そこに人の気配を感じれども、その姿は未だ目撃していない。

 この村に来てからユーリが出会い、話したのはリテアのみ。門を通る時の者はカウントしないのは、あれは会話と言うより作業に近しいとユーリは考えているからだ。

 ユーリにとって、あれは会話に該当しないし、実際に面と向かって会話でもしない限り、ユーリは〝出会った〟とは思わないのだ。


 内心では不思議そうに顎に手をやり、何かを考える仕草をしながらも、ユーリの頭の中では村人と出会わない事に考察するのではなく、普通に残念だという感情が大部分を占めていた。

 感情では残念だと思いながらも、村人と出会わなかった事に対する考察は並列して思考しているが。


 前を歩いていたリテアが身体ごと後ろに振り向き、ユーリに目線で自身の後ろに立つ建物を促す。


「ここが村長宅だ」


 ユーリは軽く頷いて応答し、軽く村長宅を観察する。


(………たかが辺境の村にこんな防衛技術セキュリティを備える必要は無い筈。魔術的にも物理的にもなるべく隙が無いように作り込まれている。お世辞抜きにしても良い出来栄えだ。独自の建築技術故か、かなり独特な構造をしているねぇ)


 もっと観察したいところだけど……と、ユーリはちらりと横目でリテアの方を盗み見る。リテアは大人しくユーリを待っているが、視線が早くしろと告げていた。催促するような動きは見せていないが、目は口にモノを言うというように。

 リテアの視線はユーリを村長宅に向かわせようと目の動きが細かかった。


 内心、肩を竦めて残念がったユーリだが、彼の本命はミハシ村の技術ではなくあくまでも村に伝わるだ。

 ユーリは少し急ぐように足を動かして、リテアの後ろをついてくのだった。






◈◈◈






 一目見て最初に印象を抱くのは、やはり白いという点だろう。この村の周辺に存在する木材を利用しているからこそと言えるのだろうが、純白と青みがかった緑の植物の装飾は、清潔感のある室内という印象を抱かせる。


 ユーリとリテア等の目的地たる、その村長宅は、家というより邸宅という方が似合う建物だった。両開きの大きな扉。  

 上流階級の屋敷に比べれば狭かったが、それでも一つの村の家にしては広々としたエントランスを備えていたのだ。

 しかし、外から見た光景とは違って、中は意外にも質素な装飾ばかりだ。突飛した芸術品や置物は飾られておらず、あくまでも観葉植物らしきものが植えられているだけ。

 そう、のである。


 いや、ある種、当然のことなのかもしれないが、確かにここは建物であっても巨大な植物の中なのだ。植物を植えて育てる事もできるだろう。

 しかし、家の床に同化するようにして生えている観葉植物の存在は、傍から見れば異様な光景にも、興味深い光景にも映るだろう。


 だが、ユーリは特にそこに驚いている様子は無かった。慣れている、といった風体で笑みを浮かべている。その姿は自然体で、この状況に何か胸中を揺れ動かされた様子は見受けられなかった。

 リテアは建物の中に入った後でも自然体のユーリを見て、僅かに目を見開かせていたが、すぐに平静を取り戻し、ユーリを村長の待つ部屋へと案内していく。


 中央から螺旋を描く階段は、まるで木をそのまま削り出したように緩やかで、自然のままにこの建物に溶け込んでいる。違和感を感じさせないという点に関しては、ミハシ村の建築技術は十分に他国に通用し得ると理解できる。


(魔術も併用して徹底して本体たる樹木と同化させている……本能的に防衛させるだけじゃなく、自動的か受動的に侵入者を排除できるようにという工夫からだろうなぁ。ここら辺はまだ学園では進んでない技術だ。内の建築家でも連れて来れば、半年はここで技術交流を望みそうだね)


 ユーリはユーリで、客観的にいち魔術師としての観点から建物の観察と分析を続けている。これは学者の側面も持つ魔術師の癖と言えるものだから、仕方ないとしか言い様が無い。素直にこの美しい建物を鑑賞するのも良かろうが、それよりも分析の方が先立ってしまうのが、魔術師というものだ。


 それが魔術の関わるものであれば尚更である。


 他意は無い。魔術師にとっては癖のようなもので、どうすれば己の魔術の構築、または術理に役立てる事ができるのか、応用できるのかなど、一度は頭に浮かんでしまうものだ。


 そう、ユーリが頭の中で色々と考察をしていると、いつのまにか村長の待つ部屋の扉の前まで辿り着いていた。


 リテアが扉の前に立ち、数回ノックをする。すると、扉の横に備え付けられた紋章が淡く輝いた。これも、燃える鬼灯の紋章だ。またしても魔術の用いられただろう技術を目の当たりにして、ユーリの目が鋭く輝く。

 効果は見ての通り、来訪者に許可を出す為の合図のようなものなのだろう。しかし、ユーリの目にはそれだけじゃない何かが映っていたようだ。


(一瞬だけだけど、魔力の起こりがあった。上手く隠蔽しているようだけど、これも魔術が応用された鍵、みたいなものかな?セキュリティとしては上流階級の中では一般的だけど、こういう形は初めて見たなぁ。

 鍵穴は無いようだから物理的な施錠はされてないようだけど……用いられた術式は【封印術】の類いなのかな?)


 内心で抑えきれない好奇心が、輝きを増す目に現れているようで、今のユーリは傍から見ると新しい玩具おもちゃを見付けた子供のように無邪気な様子だ。

 実際、ユーリは感情を表に出していないだけで、この村に来た時から終始、興奮しっぱなしだ。さすがにやらかさないでいるという自信が低い為、現在のように微笑みを浮かべたまま仮面を被っているが。


 だが、ユーリの内心の興奮も無理のない事だ。なにせ、一般的に普及しているものとは全く異なる技術体系を目の当たりにしたばかりか、独自のやり方で魔術を利用している様子を見抜いてしまったのだから。


 常人に例えるならば、ある日いきなり未来の道具が使われる様子を目の当たりにするようなものである。


 ユーリは内心の興奮を抑える為に、軽く咳払いをして身なりを整える。再び感情を抑える為に、仮面を被るようにイメージし、顔に微笑みを浮かべる。

 リテアは身なりを整えるユーリを横目で見て、自分もと軽く帯びを引き締めた。

 ユーリは自分の心の準備が整った事を伝えるようにリテアに目配せをする。それを確認したリテアは、短く頷いて扉を開ける。


 部屋の中央にあるテーブルを挟んで、それよりも奥に座す白髪混じりの御仁が、穏やかな顔つきで扉に入って来た二人の若者に目を向けた。

 白髪混じりの黒髪は、僅かに藍色がかっていて、その瞳は髪に混じる藍色よりもなお深い青色だった。肌にしわが出来ているが、服の上からでも分かる肉付きは、今でも現役で十分通るだろう逞しさを保っている。

 服装はリテアと同様、上は藍色の着物に似た服を着ている。下は机のせいで見えないが、下の服装は恐らくサルエルパンツに似た白のズボンだろう。

 リテアと違うのは、裾に赤い炎のような装飾が為された、黒字の羽織を着ている事だろう。こちらも、東洋の龍国の衣服に似た意匠をしている。


「失礼いたします。リテア・シフィラ、『魔学都市アルティヤ』よりの客人をお連れして参りました」


 少し張りのある声でリテアが報告も兼ねた口上を述べる。ユーリも、リテアに促される形で入室し、リテアにも披露した上流階級の礼儀作法で、眼前に座す御仁に挨拶をする。


「お初にお目にかかる。僕は『魔学都市アルティヤ』の四回生、童話魔術師のユーリェル・グリム=グリッティ。本日はお招きいただき感謝します」


 彼らの挨拶を見た部屋の奥に座る人物が、ニコニコと好々爺然とした笑みで立ち上がり、ミハシ村式の作法で挨拶を返した。


「遥々、遠方よりお越しなさった。私はこのミハシ村で村長をしている。ウィドラ・クアーラと申す。どうぞ、まずはそちらにお掛けください」


 村長―――ウィドラは椅子から立ち上がり、机を回って部屋の中央にあるテーブルのすぐ近くにある椅子に立ち、ユーリに手で座るように促す。

 ユーリは胸に手を当てて、軽く腰を落としてウィドラの促しに応じた。


「では、お言葉に甘えて」


 ウィドラが座った後にユーリも座ったが、リテアは座らず、部屋の隅の方へ行ってお茶の準備をし始めた。


 部屋の中は、エントランスと同様に全体的に落ち着いた内装をしている。装飾は最低限で、床に同化するように観葉植物が生えている。

 エントランスと僅かに違うのは、村長であるウィドラが座していた方、入り口から入って直ぐ目の前にある壁に立てかけられた、燃える鬼灯の紋章だろうか。

 ミハシ村の象徴か、それとも家紋のようなものなのだろう。


 黒地に赤や橙で刺繍がされた揺らめく炎。そして、炎に包まれる鬼灯。実と炎の周囲を枝葉が円を描くように刺繍がされていて、何とも見事な装飾として部屋の中で存在感を放っている。

 しかし、単なる紋章旗には、不思議な魅力も放っているようにユーリには感じられた。

 布に描かれた鬼灯に使われた糸が、不思議な色合いの赤で用いられている事が原因なのだろうかと、無意識にユーリの目が紋章旗の方へと吸い寄せられる。


「いや、なんとも見事な装飾で作られた紋章旗だ。さぞ腕の良い職人が織ったのでしょう」


 お世辞抜きに、純粋な賞賛をユーリが送ると、ウィドラは嬉しそうに頬に淡い朱を染めて頭を撫でる。


「ははっ、光栄ですな。この紋章旗は当時、村一番の機織りに織らせた物でして、この村の宝のようなものなのです」


「当時、とは?」


 ウィドラの言葉に混じった違和感から来る疑問を、そのままユーリは口に出す。


「この紋章旗は、この村が生まれた時から存在するミハシ村でも最古の代物なのですよ」


「ほう……」


 自然と、ユーリは部屋の奥に飾られた紋章旗へと目を向ける。その目は、驚きからか僅かに見開かれていた。それは、あの紋章旗があまりにも綺麗だったからだ。

 保存状態が良いというだけなら、何てレベルではない。本当に最近作られたばかりにしか見えない程に、あの紋章旗は綺麗だった。


 だが、確かに……年季というものは物理的にのみ計れるものではない。魔術なんてものが存在し、魔力、魔素なんて原子が実在する以上、年季は多角的な視点で見ればいくらでも計り知れる。

 ユーリが集中して目を凝らしてみると、確かにあの紋章旗には骨董品アンティーク特有の風化した魔力の残滓がこびりついていた。


 紋章旗から目を離し、ユーリはウィドラの方へと向き直る。


「確か、ミハシ村は現在まで約460年の古い村でしたね。それを考えれば、あの紋章旗は460年前の一品という事になる………随分と、腕の良い職人が作り上げたのでしょうねぇ」


 ユーリの口からため息と共に零れた言葉は、あの燃える鬼灯の紋章旗を創り上げた職人への、惜しみのない賞賛が込められていた。嫉妬すら混ざっている。それを証拠に、張り付いた微笑みの仮面が揺らぎ、薄目になった瞳が揺れ動いている。

 己が長を務める村の宝に、純粋な賞賛を送られた事を喜ぶように、ウィドラの顔は満面の笑みを浮かべていた。


「我らにとってこの紋章は象徴も同然。これを創り上げた職人は、今もなおミハシ村で語り継がれる創始者たちの一人として、畏敬の念を捧げています」


 両目を閉じて、祈りを捧げるように数秒、沈黙するウィドラ。ユーリはそんなウィドラの様子を静かに見つめる。

 やがて、ウィドラが目を開けたのと同時に、リテアがワゴンカートを牽いてテーブルの上にウィドラから先にティーカップとお菓子を並べていく。

 この場において、リテアは給仕の役目も担っているのだろう。本職とは違うのだろうが、それでも音一つ立てずに一つ一つの動作を進めていく様は、本職にも劣らない腕前だ。


 感心したようにユーリがリテアの動作を見る。見られている事にも動じず、リテアは淡々と二人の前にお茶を用意した。

 紅茶というには薄い、橙色のお茶がユーリの前に出される。

 ティーカップの形をしているとはいえ、その形は少々異なっていた。まず、カップを置くソーサーの代わりに、布が敷かれている。


 リテアはワゴンカートを牽き、所定の場所に置くとウィドラの後ろに控えるように立った。


 ユーリはカップを持ち上げて、興味深そうにカップの中身を眺める。


「こちらは?」


「我らの村で育てたアナハイト王国製の茶葉です。風土が異なる為か、このような色合いになるのですが……味は保障しますよ?」


 ウィドラは意外にも豪快に煽るようにカップを口に運び、中身のお茶を飲む。

 流石にウィドラの飲み方を真似る事はしなかったが、ユーリも堅苦しい所作はせずに、普通にカップを口に運んでお茶を啜った。


「これは……」


 すっと、カップを口に運んだ時にはあまり匂いを感じられなかった香りが、まるで爆発するようにユーリの鼻孔を突き抜けていく。

 どこかヒノキの香りに似た香りが、ユーリの鼻をくすぐる。

 しかし、それだけではない。ヒノキの香りの次には、淡い花の香りへと変わり、その次には甘い果実の香りへと、最後には雪解け水のような清涼さのある香りへと変じていく。


 香りだけで、四季を彷彿とさせる不思議な茶葉に、ユーリは心地良さから頬を綻ばせる。しかし、良かったのは香りだけではない。

 紅茶にしては苦味もなく、むしさっぱりする味わいが非常に美味だった。


 ふと視線を感じて、顔を上げてみると、悪戯っ子のような笑みを浮かべたウィドラの顔がユーリの瞳に映る。


「これは、何とも面白い香りの茶葉ですねぇ。味わいもストレートなのに苦味もなく、すっきりとした味わいが美味しいです。まるで、香りだけで季節の移り変わりを体験しているような気分させられます」


「はっはっは!それは良かった。これでも、この茶葉は内の村でも自慢の一品でして。お客様用に育てたものですが、気に入って頂けたようで何より……良ければ、そちらの茶菓子もどうぞ」


「では、いただきます」


 テーブルの中央に置かれた、木製の皿に盛りつけられた茶菓子に手を伸ばし、そのまま口に運ぶ。

 瞬間、またしても先ほどのお茶と同様の香りがユーリの鼻孔を突き抜けて行った。しかし、先ほどと違うのは一気に香りが移り変わるのではなく、ゆっくりと変じて行った。

 茶菓子の風味を損なわないようにという工夫だろう。

 外側はサクッとしていて、中はふんわり………まるでクリームの如く蕩ける生地に、思わずユーリの微笑みの仮面が崩れて、緩んだ笑みになっていた。


 すっきりとした味わいのお茶とは逆に、こちらの茶菓子は非常に優しい味付けがされている。先程のお茶の味が身の引き締まるようだと例えるなら、こちらの茶菓子は逆に身体をリラックスさせて緩ませる。

 茶菓子を食べ終えた後に、お茶で渇いた喉を潤すと、秋の風味を感じさせる香りがユーリの脳内へと浸透していく。


「これは、なんとも………美味しいです。是非とも持ち帰りたいですねぇ。ここだけで食べて飲むには勿体ない」


 ほう、とため息をついて、ユーリは素の微笑みで茶と茶菓子の感想を言葉に出す。


 対面に立つウィドラは好々爺とした笑みでコロコロと笑い、後ろに立つリテアを孫娘を見るような慈愛の眼差しで見つめる。

 凛とした佇まいでウィドラの後ろに控えるリテアの顔は無表情だったが、その耳は隠しようがないほどに赤かった。





to be continued


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黄昏グリムグリッティ にゃ者丸 @Nyashamaru2

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