結露、小型犬、現代アート

長々川背香香背男

結露、小型犬、現代アート

 授業の開始に十五分おくれてキャンパスの正門をくぐった。出席カードがもらえるかもらえないかのギリギリの時刻だった。

 図書館の前を通り過ぎたところで、教室棟から出てくる末森の姿が目に入った。僕が右手を挙げると、彼もこちらに気づき両手で頭の上にバッテンを作ってみせる。出席には間に合わなかったらしい。

 僕たちは連れ立って購買へ行き、紙パックのコーヒーを買って食堂のテラス席に腰を下ろした。プラスチックの椅子は朝露で湿っていてジーンズの尻が少し濡れた。

 半時間かけて二人で灰皿を一杯にした。タケは煙草の火種を着ていたナイロンのブルゾンに落として立派な穴をこしらえ、僕の肺は少し痛いような気がした。

 あと十分程で授業が終わるという頃になって、正門をくぐる綿村の姿が見えた。橙色のニットキャップから勢い良くはみ出したドレッドを揺らし、彼はまっすぐ僕らのテーブルまでやってきた。

「間に合わなかった」と綿村が言い、僕たちは少し笑った。

 仕方なく僕たちは煙草に火を点け、くわえ煙草でグラウンドまで歩いた。

 前期には芝で覆われていたグラウンドだったが、休み中に運動部が酷使したせいなのか今では隅の方にわずかにその面影を残すだけで、剥き出しの土が夜の間に水分を吸って、少しぬかるんでいるようだった。昨晩雨が降っただろうか。たぶん少しは降ったのだろう。

 グラウンドの真ん中に口の開いた段ボール箱が置かれているのが見えた。

 近付いて覗き込むと、箱の中では数匹の小型犬がまるまって震えていた。目を開けているものもいれば、死んでしまっているようなものもいた。僕たちの顔を見上げて、小さなおもちゃのように鼻を鳴らすものもいた。

「サッカーしね?」と末森が言い「いいね」と綿村がこたえた。僕はいつの間にか根本まで燃えた煙草を捨て、新しいものに火を点けた。

 二人がサッカーをしているのをグラウンド脇のベンチで眺めていた。木製のベンチはやはり少し湿っていた。

 ほとんどの小型犬はファーストタッチで息絶えてしまったが、中には蹴られる度に二、三度しぶとく声を上げるものがいた。そんな時は末森も綿村も笑いながら「命のリレーだ」などと大声で叫ぶのだった。

 僕は二人のスニーカーが汚れていくのを眺めながらずっと煙草を吸っていた。

 授業が終わったのだろう、同じ学科の女の子が一人、僕のベンチにやってきて腰を降ろした。

「あれ、何してるの?」と女の子は言った。

「現代アート?」と僕はこたえた。

 女の子はふうんと言って、膝の上に両肘をのせてほおづえをつき、前のめりにサッカーを眺めた。無造作にまとめられた黒髪と、後れ毛のかかった項、薄いパーカーに浮き出た下着の紐と背骨の十字が美しかった。

「あれは子猫?」と女の子が聞き「小型犬」と僕はこたえた。

 女の子はまたふうんと言い、僕は新しい煙草の箱を開けた。

 それから僕と女の子は並んで座ったまま、最後の小型犬が泥まみれになるまで一言も口をきかなかった。

 末森がこちらを向いて「シャワーを浴びてくる」と叫び、二人が体育館の影に見えなくなってしまうのを待って、女の子はようやく口を開いた。

「ねえ、もうトロットロ」

「暗室を取ってるんだ」と僕は言った。

 カラー暗室の個室で女の子のタイトなジーンズを脱がせながら、小型犬が蹴られる度に立てる、こきん、という音を思い出していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

結露、小型犬、現代アート 長々川背香香背男 @zo_oey

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ