ヤルザの贈り物



「……エルメ、お前この街で何かやらかしたりしたか?」

「それは無いよ。僕はファスから出た事が無いからね。」


 商会の扉を開けた時、俺の違和感が遂にはっきりとした確信に変わった。

 ジワの港街に着いてからこっち、延々と妙な視線を感じていたのだ。俺に対してではなく、エルメへの視線である。


「いや、絶対になにかしてる筈だぜ。そうでなけりゃこんなに見られる訳がねえだろ。」

「そうかなぁ……いつもの事だけど。」


 奇異の目ではない。憎しみが籠っている訳でもなさそうだ。敢えて言うなら、遠巻きに観察されているとでも表現出来るだろうか。

 とにかく、嫌われてはいない様だ。


「まぁ、害は無いだろうな。それじゃ俺は用事済ませてくるから、そこの長椅子にでも待っててくれ。すぐ戻る。」

「分かった。御主人が戻るまで付き人の僕は待っているよ。……その方が都合が良いだろう?」

「もう好きにしてくれ……。」


 いっその事本当に付き人の扱いにしてやろうかとも考えたが、給金が発生してしまうので直ぐに却下する。ヤルザからはちゃんと報酬が出ている筈だから、俺が更に払うのは二度手間だ。


「いらっしゃいませ。本日はどんなご用事で?」

「在庫処分と預金の引き出しだ。リトス・カザの名前で照会してもらえるか?」

「かしこまりました。少々お待ち下さい。」


 確かここには、リュグノー産のステル鉱を保管していたはずだ。まずはそれを全てネーメーの商会に売り付けよう。

 新しい船、特に大型の戦闘艦などを造る時には先ず、造船を担当する人間が諸々の資材をその街の商会に発注する。

 注文を受けた商会は自分の在庫を確認した上で各地の別の商会に募集をかける。

 後は早い者勝ちだ。資材が集まれば集まる程買取金額は下がっていく。


「お待たせしました。リトス・カザ様ですね。リュグノー産ステル鉱の大が90単位ございます。如何致しますか?」

「それを全量ホーラル商会へ送っておいてくれ。ネーメー支部だ。俺の名前を出せば売却まで請け負ってくれるはずだからよろしく頼む。」

「かしこまりました。預金は幾ら引き出しますか?」

「そうだな…金翼貨を1枚、銀翼貨を8枚、後は鉄翼貨を20枚頼む。」

「かしこまりました。それでは契約書と担当者を用意するので今しばらくお待ち下さいませ。」


 ホーラル商会の頭目であるボル・ホーラルは俺の友人でもある。こうすれば俺の意図は察してくれるだろう。

 今は信奉者に着いている彼だが、商売に関しては誰よりも真摯で嘘をつかない男だ。この在庫は間違い無く高い値段で売ってくれる。


「さて……と。」


 わざとらしいくらいに勿体ぶって振り返ると、こちらを見ていた視線がすいっと逸れていった。

 別の町から来た商人だろう。誰がどこに何を売ったのか探っているのだ。それが商機になるかもしれないから。


「…せせこましい奴らだ。見てる暇があるなら自分で動くべきなのにな。」


 担当者はともかく、契約書の作成には時間がかかる。エルメの様子を見に行くくらいの時間はあるだろう。

 受け付けを離れて入口付近へ向かった。あの時の視線に敵意は無いようだったが、万が一という事もある。


「エールーメー……えぇ?」


 エルメはちゃんと待っていた。特に連れ去られたり殺されたりした様子も無い。ただ長椅子の端で居住まいを正して静かに座っていたのだが。


「あの…今日はどんな用事でいらしたんですか?」

「………………。」

「どなたかのお付ですか?お名前だけでも教えて貰えません?」

「………………あの……。」

「その髪は染められたのですか?艶やかですごく美しいわ!」


 なるほど。あの視線は熱視線だったという訳だ。言われて見れば、エルメは中々の美青年である。黒曜石を削り出した様な黒髪は手入れが行き届いているように見え、顔立ちや服装も整っている。

 もう少し見物していたいが、こちらにも時間というものがある。助けの手を出してやるとしよう。


「エルメ君。歓談するのも良いが、こちらの用事にも付き合っては貰えないかな?」

「リトス様、申し訳ありません。それでは僕はこの辺で……。」

「あぁ!エルメ様と仰るのね!私の名前は―――」


 逃げる様に立ち上がって俺の後ろに陣取るエルメ。それに追いすがる女性達。

 羨ましくは無い。無いのだ。こんな浮ついた人間に言い寄られても嬉しくもない。


「あなた達。服装を見たところこの商会の受付担当のようですが。このエルメはキルウ・ボット商業連合の取引相手である私の付き人です。それに言い寄ろうとするのは感心しませんね。」


 顔を青ざめさせて逃げて行った受付達をエルメは冷めた目で見つめていた。


「…これでも医者だからね。職務に忠実じゃない人間は嫌いなんだよ。ありがとうリトス。」

「面倒な客1人追い返せない医者ってのも見てて面白いがな。ほら行くぞ。」


 目を合わせてにやりと笑い、2人で契約の手続きを済ませる。

 ファスの街では立ち合う側だった俺が、今回は立ち合われる側として契約書に署名する。

 エルメはそれをじっと見つめながら契約の文句を口の中で反芻していた。一応この立会は専用の資格が必要なのだが、まさか取る気なのだろうか。


「さて、商会の用事はこれで終わりだ。それじゃ、役所に向かうとするか。」

「了解だよ。しかし時間は大丈夫かい?ファスの役所は閉まるのが早かったけど。」

「実を言うとかなりまずい。走れるな?」


 役所は広場の反対側、丁度対角線上に位置している。人混みを突っ切る事さえ出来ればすぐだ。

 しかし言うは易く行うは難く、人の流れに逆行するのは中々に時間がかかる。目の前の役所にたどり着いた時には、既に扉は締め切られようとする寸前だった。


「リトス!もうあれ閉まっちゃうよ!」

「おいおいおい!その閉門ちょっと待ってくれないか!少しだけでいいから!」


 門を閉めようとしていた初老の男はなんとも嫌そうな顔をしていたが、銀翼貨を1枚握らせれば途端に唇を綻ばせて俺たちを招き入れた。

 旅の費用と言えば飯と宿だが、俺の様な稼業だとこういう所でも少しずつ金が要るのだ。硬貨は人間の潤滑剤とはよく言ったものである。


「ファスの街、となるとヤルザ殿からの預かりですね。少々お待ち下さい。すぐに持って参ります。」

「いえいえ、閉める間際にお邪魔してしまい申し訳ありません。」


 役所の椅子は、商業連合のそれよりも座り心地がいい。予算を割く場所が違う事に何とも言えない面白さを感じているうちに、先程の男が折り畳まれた紙の束を持って来た。


「お預かりの荷物はこちらです。どうぞ、ご確認を。」


 中身を確認している内に俺は、自分の目が点になっていくのを自覚していた。これはとんでもない切り札になるが、使い方を間違えれば多方面が吹き飛ぶ爆弾だ。

 どうやら、ヤルザの奴は頭がおかしいらしい。でも無ければ俺にこんなものを託す筈がない。


「……あぁ、確認しました。この度は無理を言ってしまってすみません。」

「いえ、お気になさらず。これからも良い取引が出来ることを期待していますよ。」


 内心の動揺をひた隠し、男に優しく挨拶を返す。そのまま足早に役所を飛び出した。


「エルメ…俺顔に出てないよな?」

「何がだい?特に何もないけど……さっき受け取ったものと関係あるのかい?」

「いや…何も無いならいいんだ、うん。」


 取り敢えずは飯だ。こんなに動揺するのは恐らく腹が減っているからだ。

 港への道を辿りながら、俺は頭の中でヤルザの贈り物をどう使ったものか考えを巡らせていた。

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備忘録-[ある異世界における龍と人の戦史] 違和感の時間 @iwakan_time

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