幼馴染は母を拒みママ2年生になる

月之影心

幼馴染は母を拒みママ2年生になる

 遠くで赤ん坊の泣き声が聞こえる。

 お腹が空いたのだろうか……それともおシメかな……なかなか泣き止まないな……お母さんは……


 と思考が辿り着いたところでぱちっと目が開く。


未来みくるが泣いてるのか……」


 寝惚け眼を擦りながら重たい体を強引に起こしてベッドから降り、枕元の照明を点けると、すぐ横のベビーベッドでギャン泣きしている未来を覗き込む。


「おぉよしよしどうした。お腹空いたか?ちょっと待ってろよ。」


 俺は泣いている未来を抱き抱えると、そのままキッチンへ行ってミルクを作り始める。




 俺は香西実徳こうざいみのり、26歳のサラリーマン。

 大学を卒業してすぐ結婚し、4年後に子供の未来を授かったのだが、嫁の未亜みあが未来の1ヶ月検診に行ったその帰りに事故に遭い帰らぬ人となった。

 信号を見落として交差点に飛び込んで来た乗用車に運転席側から突っ込まれ、恐らく未亜は即死に近い状態だっただろうと聞かされた。

 ベビーシートに寝かせてあった未来には、奇跡的に大した怪我が無かったのだけが救いだった。

 未亜の葬儀を終えた後も途方に暮れる暇など無く、俺は未来の世話に仕事にと忙しく過ごしていた。

 しかし、昼間は俺の母親が未来を見てくれているので安心ではあるものの、育児の知識などロクにない新米の父親が、昼間は仕事をしながら夜は母親の真似事をするなど無謀以外の何でもない。

 案の定と言うか、俺は仕事中に意識を飛ばして倒れてしまった。

 救急車で運ばれたが過労だけだったので点滴を打って貰って一晩だけ入院してすぐに復帰した。

 それを心配してくれた未亜の両親が『実徳君も大変だろうから未来をうちで引き取るのはどうだろうか。』と提案してきた。

 だが、子は実の親と一緒に居た方が良いという考えと、やはり未亜の忘れ形見である未来を目の届かないところへは渡したくないとの思いから丁重にお断りした。

 敢えて言っておくが、未亜の両親とは結婚する前からとても仲良くさせて貰っているし、事故後も変わらず気に掛けてくれているのは本当に有難いと思っている。

 今でも合間を見付けては未来に会いに来て、あれこれと未来の世話を買って出てくれるし、俺が疲れていると感じたら『2時間くらい散歩してくるよ』と言って外へ未来を連れ出し、その間に昼寝でもしろと言ってくれる。

 未亜の家族は両親と未亜だけで、初孫の未来が可愛いというのもあるが、初めて息子が出来たという事で俺を実の息子のように扱ってくれていた。




 経験と言うか慣れと言うか、少しずつ仕事と育児の両立が出来るようになり、そんな生活を繰り返して早3年。

 麻疹や水疱瘡、おたふく風邪といった病気に掛かりつつも、未来はすくすくと育ち、いっちょ前な事を舌足らずに言いながら『父ちゃん父ちゃん』と懐いてくれていた。


 ところが疲労は少しずつ溜まっていくもので、俺は再び仕事中に倒れてしまった。

 幸い職場はこういった事に理解度が高く、上司も『暫く有給取れ。後は俺に任せろ。』なんてかっこいい事を言ってくれたので、申し訳なく思いつつ仕事を休む事にしたし、その間未来は俺の両親が見てくれていて、未来も懐いてくれているのでそちらでも安心する事が出来た。

 倒れたと言うのに安心づくめで気が緩んだのか、俺は丸一日寝続けた。




 白いカーテンのようなものに囲まれた薄暗い空間で俺は目を覚ました。

 そこが病院のベッドである事を思い出すのに少し時間が掛かった。


(あぁ、入院してたんだな……。)


 ふぅっと大きく息を吐き出すと同時に、カーテンの向こう側に人の気配を感じ、そちらの方へ視線を向けた。

 確かここは4人部屋だったので隣のベッドに居る人の付き添いか何かだろうと思っていたが、その人影は俺が寝ているベッドを囲んだカーテンを静かに開けて俺を覗いてきた。


「あ、起こした?起きてた?」

「え?麻里奈まりな……?」


 相良さがら麻里奈。

 生まれてすぐの頃から一緒に過ごしてきた幼馴染の顔がそこにあった。

 実家が公園を挟んで向かい側と言う事で、お互いの母親が公園に来ていた時に仲良くなり、そのまま家族ぐるみの付き合い続いていた。

 麻里奈とは大学で進路が別になるまでほぼ毎日のように顔を合わせて色んな話をしながら仲良く過ごしてきた。

 それこそ幼い頃は『麻里奈を俺のお嫁さんにする』『麻里奈は実徳君のお嫁さんになる』なんて可愛らしい事も言ってが、成長するに伴い、恋仲になるというよりは性別に拘らない親友のような付き合いになっていった。

 高校を卒業して俺は遠方の大学へ、麻里奈は地元の大学へ進み、以前のように頻繁に話す事も無くなったが、それでも思い出したように電話をしたりメールをしたりで繋がりが途切れる事もなく、またお互いに恋人が出来たとかお互いに紹介しあったりとかで引き続き付き合いは続いていた。

 あの事故の後、未亜の葬式にも麻里奈は顔を出してくれていた。

 一つ年上だった未亜を、麻里奈は『お姉ちゃん』と呼んで打ち解けていたし、未亜も麻里奈に『こんな妹欲しかった』と言わしめる程仲が良かった。


「どうして麻里奈が……?」

「あぁ、昨日スーパーで実徳の母親おばさんに会ってね。それで教えてくれたの。」

「ったく……お袋のやつ、言わなくていい事を……」

「まぁまぁいいじゃないの。可愛い幼馴染がお見舞いに来たんだからおばさんに感謝しなさいな。」

「アラサーになって自分で可愛いって言うか。」

「女は何歳になっても可愛く在りたいものだよ。って自分だってアラサーじゃん。」


 麻里奈は切ってお皿に乗せたリンゴを差し出した。

 俺はお皿を受け取るとフォークでリンゴを刺して口に運んだ。


「いくら慣れたと言っても一人で無理しちゃダメだよ。」

「そうだな。今回で2回目だけど、ホント色んな人に迷惑掛けちゃったよ。」

「それはいいんじゃない?皆、実徳君の状況を知ってる人ばかりなんだから。」

「まぁね。でもそれに甘えてばかりも居られないよ。」


 リンゴを噛む『シャリシャリ』という音が静かな病室に響く。


「私にだって頼っていいんだからね?」


 静かな口調で麻里奈が言ってくれる。


「気持ちは有難いけどそういう訳にもいかないよ。麻里奈には麻里奈の生活があるんだから。」


 麻里奈が口元を手で隠して『ふふっ』と笑った。


「何か可笑しい事言ったか?」

「ううん。そう言えば言って無かったなって思って。」

「何を?」

「私、離婚して実家に戻って来てるんだ。」

「え?いつの間に?」

「戻ってたのはもう1年くらい前かな。正式に離婚したのは半年前ね。子供が出来ないのを私のせいにされてお義母さんに結構言われちゃってプチっと来て……それ以外にも色々積み重なってきてそれでサヨウナラって感じ。」


 麻里奈は身の上話をまるで他人の噂話のように淡々と語った。

 本人が吹っ切れているなら俺が何か言う必要は無い。

 しかしいくら仲良くしてきた幼馴染と言っても、身内でも何でもない麻里奈に甘えるわけにはいかない。


「気持ちだけ受け取っておくよ。ありがとう。」

「いつでも言ってね。ごたごたあって離婚したけど主婦してたんだから。」

「分かった。それより麻里奈の父親おじさん麻里奈の母親おばさんは元気にしてるか?」

「うちの親が元気じゃないところ見た事ある?」

「無いな。」


 麻里奈の両親もうちの両親も、その元気がどこから湧いて出てくるのかと思う程に元気で、お互いの子が成人した今でも4人で何処かへ遊びに行く事がある。

 それぞれの夫婦がお互いを尊重し、絵に描いたような理想の夫婦が2組、それが若い子のようにはしゃぎながら遊ぶ光景は、『将来こんな夫婦になりたい」と思える環境で、亡くなった嫁ともそうなろうと心に決めていたのだが、今となっては叶わぬ夢となった。




 3日程入院していくつか検査を受けた後、4日目に退院した。

 会社の上司に退院する事を連絡すると、『明日明後日は土日だから家でゆっくり過ごして月曜から出社出来そうなら来い』と言われた。

 仕事の話を振ろうとしたら、『あの程度の仕事で倒れるとは香西もまだまだ青いな』と冗談混じりに言われ、『出社するまで仕事の事は忘れておけ』と念を押された。


 病院には父親が迎えに来てくれていた。


「未来は?」

「あぁ、いい子にしてたよ。お前と違って素直でよく気が利く。」

「酷いな。」

「しかし寝顔はお前の小さい頃そっくりだな。」

「それは俺もそう思うよ。」


 父親の車に20分程揺られて実家に辿り着いた。

 『ただいま』と玄関を開けると、『父ちゃんおかえり!』と元気な声と共に未来が飛び出してくる。


「未来ただいま!いい子にしてたか?」

「うん!じいちゃんとばあちゃんとまりちゃんとあそんでたよ!」

「まりちゃん?」


 聞き慣れない名前に保育所の友達かなと思った時、奥のリビングから麻里奈が顔を出した。


「おかえりなさい。」

「あぁ、まりちゃんって麻里奈の事か。ただいま。未来と遊んでくれてたんだ。すまないな。」

「ううんいいのよ。私も未来ちゃんと遊ぶの楽しいから。」


 俺は未来に手を引かれてリビングへと向かった。

 リビングの入り口に居た麻里奈に小声で耳打ちする。


「未来に『ちゃん』付けで呼ばせてるのか?」

「何が言いたいのかしら?」

「いや……何でもない……」

「まぁいいわ。病み上がりだから今日は聞かなかった事にしといてあげる。」

「そうしてくれると助かる。まだ本調子じゃないんだ。」


 麻里奈は『ふふっ』と笑ってしゃがみ込み、未来の手を取って奥へと入って行った。


「お疲れさん。今日はゆっくりしていきなさい。」


 母親が俺の姿を見て声を掛けてくる。


「ただいま。心配掛けてすまなかった。」

「いいんだよ。ほら、こっち来て座りなさい。」


 その日の晩は、両親と未来、そして麻里奈と麻里奈の両親も来て俺の快気祝いをしてくれた。

 病院食に馴染んで来ていた俺の舌には少し味が濃かったのもあったが、久々の母の味は体の奥まで沁み込んでいくように感じた。


 快気祝いの席で、俺の両親が未来の世話について『麻里ちゃんにも手伝ってもらえ』と言ってきた。

 麻里奈の両親も『それがいい』と同意をしていた。


「けど麻里奈だって仕事もあれば都合もあるだろ?」

「勿論、仕事も都合も無い時しか手伝えないけど、私も未来ちゃんと居るのは楽しいから全然かまわないよ。ねぇ?」


 麻里奈が隣りの子供用の椅子で料理を食べていた未来に首を傾げて笑顔を見せると、未来が『うんっ!』と恐らく話の意味も分からないままに元気に答えた。

 入院中に『気持ちだけ受け取っておく』と言った手前、即座に『じゃあ頼むよ』とは言いにくかったが、口の周りをケチャップでベタベタにしながら目をキラキラさせて俺の方を見る未来の顔を見て、ふっと肩の力を抜いた。


「まぁ麻里奈がいいって言うなら俺は何の問題も無いから、頼めるならお願いしようかな。」

「任せてよ。報酬は月に一回、未来ちゃんと私を連れて外食する事で手を打ちましょう。」


 俺の両親が声を上げて笑い、ほぼ同時に麻里奈の両親も笑った。

 釣られて未来もきゃっきゃと笑い、俺も未来の笑顔を見て笑った。

 久し振りに気持ちよく笑ったような気がしていた。




 それからは特にスケジュールを決めたわけではないが、月水金は俺の母親が、火木は麻里奈が、土日は俺と時間があれば麻里奈や両親が一緒になって未来を見ていたのに加えて、週一くらいで不定期ではあるが未亜の両親も来る事があり、俺としてはかなり楽をさせて貰えていた。

 一度、麻里奈が自分の両親を連れて未来を見ている時に、俺の両親が『暇だったから』と遊びに来て、更にそこへ未亜の両親が『近くに来たから』と加わったりして、決して広くは無いマンションの俺の部屋が何かパーティでもするのかと思うくらいに人が集まる事もあった。

 仕事から帰ってきた俺も、さすがに玄関を開けた時の脱いで置かれた靴の多さに言葉が出なかった。




 俺も多少楽をさせて貰いつつ、皆が交代で未来を見てくれるようになって2年近くが経ち、次の春から未来も幼稚園に通う時期になった頃、未亜の両親に呼ばれて義実家へお邪魔していた。

 『実徳君一人で来て欲しい』と、あれだけ可愛がっている未来は連れて来ないようにと念押しされて妙な感じを受けていた。


「実は、実徳君の今後について私達で考えた事があって、それを聞いて貰いたくてね。」


 俺の今後?

 未来ではなく?

 未亜の父親は穏やかな表情で俺の目をじっと見ながら言葉を連ねた。


「未亜が亡くなってもうすぐ6年になる。そろそろ実徳君もいい人と一緒にやり直した方がいいんじゃないかと思うんだよ。」

「お義父さん!?そ、それは……。」

「あぁ分かってる……分かってるよ。実徳君が今でも未亜を大事に思ってくれている事は私達としてもとても嬉しいし感謝もしてる。でも実徳君はまだ若い。これからの人生の方が長い実徳君をいつまでも縛り付けておくのも申し訳ないと思っているんだ。」


 俺は膝の上に置いた拳をぐっと握り締め、未亜の父親をじっと見て言った。


「俺は、縛り付けられているなんて思った事は無いですし……何より未来の為にも未亜の分まで俺が愛情を注がなければならないと思っています。」

「うんうん。でも一人で父親と母親の両方をこなす事は出来ない。未来ちゃんも女の子だ。時に母親が必要な時もあるんじゃないかな?」

「それは……そうかもしれませんが……。」

「ある程度なら実徳君のご両親や麻里奈さんで何とかなるかもしれないけど、それはあくまでも補えるという程度なの。母親という立場の人にしか出来ない事だってあるのよ。」


 未亜の母親がゆったりとした口調で言った。


「分かっています。それでも俺は!……」




「覚悟だけで子を育てられると思ってはいけないよ。」




 穏やかではあるが凛とした厳しい口調で、まるで俺が次に何を言うのか分かっていて、それを言わせまいとするかのように未亜の父親が言った。

 俺は何も言えなかった。

 今は未来もまだ幼く、周りのサポートもあるので何とかやり過ごせている部分もあるだろう。

 しかし未来の将来を考えると、男親しか居ない状況に途端に不安を感じる。


 俺は未亜の両親に『考えておきます』とだけ言って義実家を後にした。

 俺の人生……未来の将来……未亜の父親に言われた言葉を頭の中で何度も繰り返すが、やはり最後に辿り着くのは未来の事だった。

 父親だけでは全てを補えない事は分かっている。

 しかし、未来の母親である未亜が居ない今、俺にはどうすれば良いのか分からなかった。




「きょうね、まりままがね……」


 未亜の両親と話をした数日後、未来を寝かし付けている時にまた未来が聞き慣れない言葉を口にした。


「まりまま?」

「うん。まりまま。」

「まりままって何?」

「まりままはまりちゃんだよ。」

「まりちゃん?何でまりちゃんがまりままなの?」


 未来がたどたどしく『まりまま』の事を説明してくれた。

 要するに、麻里奈が未来と居る時に麻里奈の両親がやってきて、仲良くままごとをやっていたのを見た麻里奈の母親が、『お邪魔しまぁす。未来ちゃんこんにちは。ママ居ますかぁ?』って言ったのが、『ママ』という存在が自分には居ない事に気付く切っ掛けになり、それを麻里奈と麻里奈の母親が一生懸命教えたところ、『ママ』に該当するのが麻里奈だと認識して麻里奈の事を『まりまま』と呼んでいるようだった。

 いやいや、そもそも未来の母親は未亜だけであって、いくら『ママ』のような事をしても麻里奈は未来のママじゃないし、未来のママと言う事は俺の嫁になると言う事で……麻里奈が俺の嫁?

 俺は未来の隣に寝そべりながら思考を霧散させようと目をぎゅっと閉じた。


 薄暗い部屋の中、いつの間にか横ですーすーと寝息を立てて寝ている未来の顔を見た。

 『覚悟だけで子を育てられると思ってはいけない』

 未亜の父親の言葉が、頭の中に貼り付いたままになっていた。


 分かっている事だ。

 いくら父親として努力しようとも決して母親にはなれない事も、未来には父親だけじゃなく母親も必要である事も。

 では未来の母親になれるのは誰だ?

 そう思いつつ、俺の頭の中では先程未来が言っていた『まりまま』と言う言葉が離れなくなっていた。

 麻里奈が未来の母親になってくれれば、少なくとも未来は喜ぶかもしれない。

 しかし麻里奈の気持ちもあるし、それと同時に『俺の嫁になる』という事でもあるので、お互いの家は元より、未亜の両親……そして自分の気持ちの問題も絡んで来る。

 考えがまとまらないまま、なかなか寝付けない夜が更けていった。




 あれから全く考えが進まず、悶々とした日々を過ごしてきた。

 丁度仕事が休みとなった平日、未来を保育所に預けてから俺は帰り道を少し遠回りしたついでに未亜の眠る墓地へと立ち寄った。


 俺の父親が『俺が真っ先に逝くんだから俺が建てるのが筋だ』と言って建てた墓に、まさか自分の妻が最初に入る事になるとは思っていなかった当時を振り返りながら、墓の前にしゃがんで手を合わせた。


「あれ?こんな時間に珍しいね。」


 背後から聞き慣れた声が聞こえてきた。

 俺は振り返らず墓石を見たまま応えた。


「いつもありがとう。」

「ううん。お姉ちゃん……この花好きだったからね。」

「うん。」


 麻里奈はよくうちの墓に花を添えに来てくれていた。

 俺が墓の前で立ち上がって場所を空けると、麻里奈が同じ場所にしゃがんで手を合わせた。

 拝み終わった麻里奈が立ち上がると、手際良く添えられていた花を入れ替えた。

 俺はそれをすぐ横で見ながら、数日前の未亜の両親との会話や、その前に未来が言っていた事を思い出していた。


「未来が麻里奈の事を『まりまま』って呼んでるんだな。」

「うん。私とお母さんが『ママはこういう事をしてくれる人』って話をしてたら、『じゃあまりちゃんがママなんだね』って……何か上手く説明出来てなかったみたいでごめんね。」

「いや、全然構わないよ。寧ろ今まで話していなかった俺が悪かったんだ。」

「未来ちゃんが私の事を『まりまま』って呼んでくれるのは何だか嬉しいね。」

「嬉しい?」

「『ママ』って子供に一番必要な存在だから、それが未来ちゃんは私だって思ってくれてるんだと思ったら、何か嬉しくなっちゃった。でも……」


 麻里奈は明るい声でそう言いつつ、その声は少し震えていた。


「麻里奈……?」


 俺の方を向いた麻里奈の顔は、とても悲しそうだった。


「私には無理……未来ちゃんのお母さんはお姉ちゃんだけだもの……私が未来ちゃんのお母さんになっちゃダメなんだよ……」

「麻里奈……」

「未来ちゃんが私を母親だと思ってしまうと……お姉ちゃんが……消えちゃうんじゃないかって……」


 未来の母親は未亜だけ……これは事実だ。

 しかし、未来が自分の母親と居たのは生後1ヶ月だけで、正直母親の顔も声も知らない筈だ。

 ここ数年、未来が身内以外で最も気を許しているのは麻里奈である事に間違いは無い。

 未来にとって母親が必要であるなら、麻里奈以外には居ないだろう。

 だが、その当人である麻里奈が未来の母親になるのは駄目だと言う。

 当然と言えば当然だし、無理強い出来る事では無いので……。


 諦めかけた時、何故か幼い頃の記憶が頭の中に浮かんできた。




『俺、大きくなったら麻里奈を嫁に貰うよ。』


『私は将来、実徳君のお嫁さんになるの!』




 『嫁』が何なのか、『将来』が何なのか、深く考える事なく、お互いに『ずっと一緒に居たい』という気持ちだけで楽しく過ごしていた頃の記憶。

 気恥しいやらむず痒いやらで自然と顔が綻ぶと、麻里奈が不思議そうな顔をして俺を覗き込んできていた。


「どうしたの?何か可笑しかった?」

「いや……昔を思い出してね。」

「昔?」

「そう。麻里奈が『実徳君のお嫁さんになる』って言ってた頃の事。」

「ふふっ……言ってたね……覚えてるよ。」


 俺は未亜が眠る墓の方へ向いて、墓石に彫られた名前をじっと見て言った。








「未亜……俺……麻里奈と一緒になろうと思うんだ。」








「えっ?」








「麻里奈は未来の『母親』は未亜だけだからって言ってるけど、未来には『ママ』が必要なんじゃないかなって……だから麻里奈に『未来のママになってくれ』って頼んでみようと思ってるんだけど……どうかな?」


 俺は墓石から麻里奈の方へ視線を移した。

 麻里奈は驚いた表情で俺と墓の両方へ視線を送っていた。


「麻里奈。未来の『ママ』になってくれないか?それと……ついでに俺の嫁さんにも。」


 俺の顔をじっと見たままの麻里奈が、ぷっと吹いて笑顔になって言った。


「『母親』じゃなく『ママ』……か。いいわよ。未来ちゃんの『ママ』にならなるわ。実徳君のお嫁さんにもなってあげよう。」


 俺は肩を竦めて見せ、改めて墓石の方を向いた。

 麻里奈が俺の隣に来てしゃがみ込み、墓石に向かって手を合わせた。


「お姉ちゃん。私、母親お姉ちゃんの代わりにはなれないから、ママになってお姉ちゃんが出来なかった事の続きをお手伝いしようと思うんだけど……いい?」


 未亜の声が聞こえる筈も無いが、春先の穏やかな風に揺れる花がお辞儀をしたのを見て、未亜も認めてくれたんじゃないかと感じていた。




 「はい!撮るよ!ほら!未来こっち向いて!お義父さん未来ばっかり見てないで……っていや未亜の父お義父さんじゃなく……えぇぃややこしい!麻里奈の父おじさん!こっちだって!お袋もこっち見て!だから親父!未来を呼ぶんじゃない!撮りまーす!」


 俺はセルフタイマーをセットしたカメラのシャッターボタンを押すと、未来の右側の空いたスペースへ小走りに駆け寄った。

 しゃがんで未来の顔の高さに腰を落とした麻里奈が未来の左側に居る。

 未来の右側で未来の顔の高さに未亜の写真を掲げる。


 カシャッ


 黄色い帽子とピンク色のランドセルを背負った未来が俺の顔を見てにこっと笑い、すぐ反対側へ顔を向けて麻里奈を見た。




「ねぇまりママ!写真見たい!」




 今年、未来は小学生になる。

 麻里奈は『ママ2年生』になろうとしていた。

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