彩染グレネード

結城十維

彩染グレネード

 投げた五円玉が宙に舞う。重力に歯向かうことはできず、やがて音を立てて箱の中に落ちる。

 手を叩き、目を閉じると真っ暗な宇宙が広がる。星は見えず、輝かない。光など一切入らない真っ暗闇。でも見えないモノに縋るしかないのだから私は、


「村瀬さん?」


 突如呼ばれた自分の名に驚き、空想から目覚める。目の前にいたのは先輩だった。


「ごめんね、急に声かけて。何かお願い事?」


 祈る姿を見られていたか……。誤魔化すこともできないと思い、うやむやに答える。


「うん、その、まあ上手くいかないことがあって」

「ふーん、大学の授業とか?」

「そんなとこ……です」


 納得したのか、うんうんと頷く。

 先輩の吐く息は白く、頬は寒さに負けまいと赤みを主張する。


「ちょっと待ってて」


 そう言って先輩は賽銭箱の前に立ち、財布から取り出した五円玉を投げ入れる。よりにもよって先輩に会うとは運がない。そう思いながらも、凛として整ったの横顔につい見入ってしまう。

 目を閉じ、佇む姿は絵になり、映画のパンフレットに載っても可笑しくない。風で揺れる長く黒い髪。合わせた小さな手。ピンと張った背筋、姿勢の良さが好きだ。同じ女性という性別であってもこれだけ違う。……卑怯だなと思う。

 彼女が目を開ける前に私は急いで目を逸らした。


「願っても、なかなかうまくいかないよね」


 目を開けた先輩が苦笑いを溢す。


「人生はそんな都合よくないんです」


 一瞬驚いた顔もすぐに元に戻り、彼女はじろじろと私の顔を見る。何も面白いところなんてないのだけど。


「……何ですか」

「村瀬さんは悟りきっているよね」

「悪かったですね」


 ふふっと笑う彼女を背に歩き始める。

 しかし、すぐに歩みは止められる。私の手を彼女が掴んでいた。


「本堂だけじゃ、願いは叶わないよ」


 その手の温もりに抗えず、「さあ全部まわろう」と私は無理やり連行されたのであった。



 × × ×

 細い指が紙を広げる。


「ぎゃー凶だ!」


 おみくじを引くだけで、いちいち愉快な人だ。


「待ち人も来ないし、願いも叶わないって」


 聞いてもいないのにわざわざ報告してくる。


「そりゃ残念だったですね」


 そう言いながら口元は緩んでしまう。先輩の願いなんて叶わない方がいい。


「村瀬さんはおみくじ引かないの?」

「私、こういうのは信じないんです」

「お賽銭入れているのに?」


 そこを突かれると痛い。


「別に願いを叶えて欲しいわけじゃありません」


 ただ誰かに言いたいだけだ。

 それが神様だって、仏様だって、どこかの大統領だって、店員さんだって、そこらへんを歩いている人だって、誰だっていいんだ。口に出さずとも言葉にしたかった。……家族や友達は嫌だけど。黙って聞いてくれる人がいい。

 言えないから、せめてと形にする。

 そして先輩には絶対に言わない。


「ふーん、変なの」

「変人に言われたくありません」

「じゃあ変人同士だね」


 くすくすと笑い、馬鹿にされるがそれも悪い気がしない。

 言える日など来ない。

 でも一緒なら嬉しい。

 スキ。

 それが同じ意味でなかったとしても。

 私は、彼女にすっかりと毒されてしまっている。


 

 × × ×

 陽は落ち始め、参拝する人の数は少なくなってきた。

 先輩と私が向かうのは、山門より少し離れた場所にひっそりと立つ小堂だ。本堂だけの予定が「あっちも行こう」、「次はこっち」、「まだまだ歩くよ」と各所をまわり、足が痛い。ここが広いのも良くない。都内でこんだけ広いのは珍しいだろう。

 疲れとは裏腹に心は嫌がっていない。尻尾があったらぶんぶんと振っているだろう。彼女と話す時間は特別で、どんな他愛ない話でも心が躍る。願わくば、今後もこの時間を続けていきたい。

 でもそれは叶わない。叶わないからここにいる。


「ここには縁結びの神様がいるんだって」

「縁結び、……ですか」


 五円玉はもう投げつくしてしまったので、十円玉を投げ入れる。私はすぐに叶わぬ願いを言い終え、目を開ける。

 彼女はまだ願っていた。

 願いは知っている。その願いはきっと叶わない。叶わない方が良いのに、それでも先輩は願わずにはいられない。

 私と彼女の願いは何処か似ていて、決定的に違う。そして交わることはない。

 やっと先輩が目を開けて、満足そうな顔を見せる。


「熱心ですね」


 つい悪態をつく。先輩は「うん」と頷き、切なげに笑みを浮かべる。


「叶えたいお願いがあるから」


 どうしてそんな顔をするのだろう。

 辛いなら辞めればいい。無理なら諦めればいい。


「その願いは叶えない方がいいんじゃないですか」


 口から本音が零れていた。

 手に持つ爆弾を投げても、誰も幸せにはならない。先輩が傷つくだけだ。


「そっか……」


 そう、先輩は呟き、足元の小石を蹴る。


「村瀬さんは知っていたんだ」

「ああ、そうなんだと思ってました」


 いつも目で追っていたから。だからわかってしまった。わかりたくなんてなかった。知らないまま片想いだったら、幸せなままの私でいられた。


「バレバレなのかな店長と私」

「……どうですかね。たぶん気づいたのは私だけだと思いますけど」


 そっけなく返事をする。動揺しないように、平然と見えるように顔を保つ。


「だといいな。村瀬さんもバイト長いよね」

「ええ、2年ぐらいですね。長くやりすぎました」

「そうだね、長すぎた。長すぎたんだよね」


 それはバイトのことなのか、恋のことなのか。

 ……たぶんどっちもだ。

 長すぎた。私も早く諦めれば良かったんだ。それでも諦めきれなかった。

 好きは変えられない。

 誰に咎められようと諦められない。上手く切り替えられたらどんなに良かっただろうか。

 先輩が私を見て、笑った。


「もうバイトは辞めるよ」

「そう、ですか」

「寂しくない?」


 どうだろう。バイトが無くなれば先輩との接点はきっと無くなる。連絡がくればすぐに呼び出しに答えそうだが、大学を卒業して環境が変わればそれも無くなっていくだろう。もう心が痛むこともなくなる。


「ついでにお守りも買いに行こうか」


 答えない私に、先輩は話を逸らした。

 ここまで来て、わざわざ断る理由もなかった。

 


 × × ×

 無病息災、学業成就、交通安全。様々な色のお守りがお店を飾る。


「これにしようかな」


 そう言って彼女が取ったのは『安産祈願』のお守りで、思わずぎょっとしてしまう。


「冗談だよ、冗談。そんなことにならないから」


 心臓に悪い。彼女は代わりに桃色の縁結びのお守りを店員に渡し、会計をする。


「せっかくだから村瀬さんのお守りも買ってあげるよ」

「いらないです」

「えー、色々と付き合わせちゃったしさ」


 好きで付き合っている、なんて言えない。


「お姉さんに任せなさい。バイト先の給料も入ったしさ」

「つまり、それは私にもバイト代が入ったってことですよね」

「もう細かいこと気にしない、モテないよ」


 背中を叩かれ、渋々お守りを選ぶ。

 お守りを買ったのは、大学の受験の時以来か。厳密には自分で買ったのではなく、親が嬉しそうに買ってきてくれたものだ。3つも買ってきたので、神様たちが喧嘩するのではないかと思ったが無事大学に合格したから効果はあったのだろう。

 手が止まる。

 ……同じ縁結びのお守りを手にしたら、この人は驚くのだろうか。

 いや、余計な詮索をされるだけで面倒だ。そう思い、別のお守りに手を伸ばした。


「大願成就、ね」


 無難な選択。彼女がお金を払い、私に「はい」と笑顔で手渡す。


「どうも、ありがとうございます」

「うむ、苦しゅうない。もっと感謝せよ」


 あははと愛想笑いをし、先を歩く彼女についていく。

 もう見る場所は終わりだ。先輩との時間はこれで終了。


「それじゃ、帰りますね」


 私の言葉とは反対に、先輩はお蕎麦屋さんを指さした。


「夕飯でも食べていこうよ。お腹空いちゃってさ」


 お腹を押さえ、私に微笑む。先輩から誘ってくれるのは嬉しかった。

 まだまだ先輩といたい。いたいんだ。

 好き、だから。

 その仕草も、私への優しさも、ニコニコと笑う顔も、少し高めの声も、全部全部好き、どうしようもなく大好きだ。

 でも、この気持ちは届かない。知っている。長い時間を過ごしても何も変えることができない。私に向くことはなかった。無理なんだ。

 なら、これ以上一緒にはいたくなかった。

 聞きたくない彼女の台詞を、彼女のいけない気持ちを聞いてしまう。それを上手く消化できるほど私は大人ではない。

 もういいんだ。これで終わりにしよう。


「帰ります」


 明確な拒絶に彼女は「そっか」と言葉短く答え、残念そうにする。


「じゃあ、私は帰るね。今日はありがと」

「……」


 先輩が歩き出す。

 もう会わない。会うこともあるだろうが、心は合うことはない。

 自分で拒絶しといて、その事実に心が痛む。

 先輩が遠くに行ってしまう。

 手を伸ばして引き止められたら、抱きしめて気持ちを伝えられたら、どんなにいいだろう。

 私でいいじゃないか。

 私でいい。なんで、先輩はそっちを選ぶのだ。間違っているものをどうして選ぶの? 幸せになれないと知っているのに。


「……団子、お団子ならいいです!」


 急に大きな声を出した私に、先輩は振り向き、驚いた顔を見せる。

 

「ダイエット中?」

「そういうわけではないです」

「そっか、いいよ。食べようか」


 自分の気持ちの弱さに呆れる。

 拒絶しといて、やっぱり離れたくなくて、引き留めてしまう。



 × × ×

 目の前で女の子がお団子を焼く。


「いい匂い」


 先輩の意見に同意する。こういった場所で売っている食べ物は余計に美味しそうだと思ってしまう。

 厄除けだんごと表されていたが、普通の醤油団子や、みたらし、あんこだ。

 私は醤油団子を1本買い、先輩は2本のみたらしを買った。お会計を済まし、ベンチに移動する。


「うーん、甘い」

「よかったですね」

「こっちばかり見てないで村瀬さんも食べなよ」


 指摘されると焦ってしまう。私、そんなに見ていた?


「おいしい?」

「……美味しいです」

「よかった、ふふ」


 その笑顔が見れて、心は満たされてしまう。


「先輩はくいしんぼうですね」

「成長期ですから」

「何年前の話ですか?」

「まだまだこれからだよ! ……ううん、成長しないよな私は」

「そんなことっ」


 「ないです」と軽々しく言えない。 

  

「ねえ、先輩」


 その触れたら壊れそうな小さな人に言葉を投げかける。

 余計なことだろう。私にとっては意味のない言葉。でも先輩には明るくいてほしかったから。


「願い、叶うといいですね」

「叶うわけないよ」


 言葉はすぐに返ってきた。厳しい口調に、返事を失う。

 ちょうど夕陽の逆光が彼女にあたり、いったいどんな表情をしているのか、私にはわからない。暗く落ちた彼女の顔を直視できない。


「そう、叶うわけない。奥さんだっているんだ。叶っちゃいけない」


 それでも彼女は願う。

 叶ってはいけないのに、願う。


「……それでいいんですか」

「でも好きだから」


 駄目と知りながら、好きな人といたいと思う。その気持ちが私にはわからない。

 いや、わかっているだろう。

 その人の気持ちが自分にないと知りながら、こうやって隣にいる。

 私と先輩は同じだ。


「先輩……」

「ふつうでいられたら良かったのにな」

「そんなことないです」

 

 いつの間にかベンチから立っていた。


「世間的には間違っていたとしても、良くないこととわかっていても、自分だけは認めてあげて下さい。好きになって良かったと」

「……」

「先輩が認めないなら、私が認めます」

 

 嫌だけど、そんなの嫌だけど、それでも先輩は笑顔でいてほしい。

 私を見上げる、目を丸くした先輩が私の手を握る。


「あったかいね」


 私の手を引っ張り、自分が立ち上がるのに利用する。

 並んだ私たちは先輩の方が少し背が低くて、私が先輩を見下ろす形になる。


「いや、熱すぎだよ村瀬さん!? 顔も真っ赤だよ!」

「ご、ごめんなさい。つい熱くなりました」

「ううん、ありがとう。嬉しいな、村瀬さんの言葉嬉しい」 


 でも、私の本当の気持ちが届くことはない。


「寒くなってきたね、帰ろうか」


 先輩の言葉に頷く。先輩はバスに乗って帰ると言い、自転車の私は彼女を見送った。


「またね」


 手を振り返したが、言葉を返さなかった。

 自転車に乗る気持ちになれず、押しながら歩く。

 冬が終わり、春が来たら先輩はいなくなる。学生ではなくなり、東京からも離れる。

 店長との関係がどうなるかなんて知らない。知りたくもない。知らないように離れればいい。先輩のことを思わなければいい。

 でも、私は留まる。今のままでいようとする。 


 好きだから、辛い。

 好きだから、諦められない。

 それが互いに間違ったとしても、この気持ちは止められない。


「先輩、あなたのことが好きです」


 目の前じゃなきゃ口に出せる言葉に意味はない。

 買ってもらったお守りを強く握る。行き場のない想いに悲鳴をあげていた。

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彩染グレネード 結城十維 @yukiToy

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