第42話 悲しみで花が咲くものか

 その日は、終業後真っ先に木村さんに電話を掛けた。

 事業所内にはまだたくさんのスタッフが帰り支度をしているところだった。

 電話越しに木村さんは大袈裟に驚いて見せる。


「宮内から電話なんて珍しいな」


 僕は少し照れながら言う。


「木村さん、今週の金曜辺り一杯どうですか?」


「おーっ! 宮内どうした? 何かあったのか?」


「何かないとダメですか?」


「いや、そうじゃない。良いよ、宮内。それで良い」


 木村さんは嬉しそうに何度も言った。

 電話越しに笑いながら頷く木村さんの姿が見えたような気がした。


 木村さんとの電話を終えると一呼吸置いて、今度は詩織に電話を掛ける。

 開口一番、詩織は夕飯の準備中なのだと、忙しそうに言う。

 僕は詩織に伝える。


「今日ほんの少し遅れるから、夕飯は先に食べていて欲しい」


「そうなの? 良かった、夕飯いらないって言われなくて。それくらいならメッセージでも良かったのに」


「うん、でも何となくさ。あと、碧に伝えて欲しいんだけど、今日はパパとお風呂に入ろうって」


 詩織はそんなことは電話で伝えなくてもと言わんばかりに、クスリと頷き、了解する。

 帰り支度を済ませ、自宅とは真逆方向、駅へと向かう。

 駅から電車に乗り、いくつかの駅をやり過ごし、本社の最寄駅を過ぎるころには、車内は帰宅ラッシュのビークになる。

 僕はそのまま、本社の最寄りもやり過ごし、二駅先の懐かしいホームに降り立つ。

 そのまま人の流れに乗り、人混みの改札に吐き出される。

 構内の張り紙は変わっていても、柱も進行看板も昔のままだった。流れに逆らわず、駅前の交差点に辿り着く。

 そこではしばらく立ち止まり、夕暮れの街並みを眺める。

 少しだけ心の時計を巻戻すと、人混みで疲れた遥がふぅー、と溜息をついて笑顔を回復させる姿を見たような気がした。

 迷った挙句、僕は遥の自宅の方向からは背を向けて歩く。

 そして駅のガードを抜けて南口に。

 十年前とは見違えるくらい、南口の風景は変わってしまっていた。

 周辺には飲食街が形成されつつあり、以前と比べると、明らかに人の出入りも激しくなっているみたいだった。

 更に南口に背を向け、勾配のきつい坂を上る。

 神社の手前の公園をやり過ごし、遊歩道へ。

 暗がりの増す遊歩道から頂上に至るころには、もうすっかり陽は沈み、夜の帳が下りていた。

 僕は呼吸を整え、頂上の公園から街を眺めてみる。

 まるで星々の瞬きようなネオンの光たちを見下ろし、その夜景に感動し、息を呑む。

 おもむろに、ポケットの中から内袋に入ったカバザクラガイを取り出し、掌に乗せる。

 あの日、順子さんから渡された時から、どうしたら良いのかと、毎日ポケットの中に仕舞い続けていたものだった。

 そして今度はハンカチを取り出し、中に包んでいたもう一つのカバザクラガイも取り出した。

 遥かとの最後の日、浜辺で拾ってこっそり持ち帰り、未だにどうしたものかと大切に仕舞っておいたものだった。

 二つのカバザクラガイを掌に乗せ、併せてみる。

 驚いたことに、カバザクラガイの二枚はぴったりと合わさった。

 この二枚の貝殻は、元は一つの貝だっのだ。

 こんな事があるのだろうか。

 この二枚の貝殻はあの海岸で二つに分かれ、別々に拾われ、十年の時を経て、今ここでぴったりとまた一つに合わさったのだ。

 二枚の貝殻を握りしめ、僕はこみ上げる想いをそっと飲み込んだ。

 そして植込みの躑躅つつじの前でしゃがみ込み、根本の土を少しだけ掘り返す。

 それからそこに、二枚のカバザクラガイを手向たむけ、土に埋める。

 立ち上がり、手に着いた土を払う。

 見上げると、星々みたいな街灯まちあかりの上で、それを優しく見守る様に一番星が輝いていた。

 僕は両手を広げ、風を感じてみる。

 そんな風にしてみると、まるで街灯かりを、この手にいだく様な、そんな心持ちになる。

 遥、ありがとう。

 君の祈りはまだここまで届いてるよ。

 君が祈り、想い描いてくれた道を僕は歩いている。

 君のお父さんが祈り、君が祈り継いだ想いだ。

 遥の事、忘れない事に決めた。

 ほら、今一番星を見たって、遥の事を思い出した。

 忘れないって決めた方が、何だか気持ちが安らかでいられるみたい。

 もしも気持ちの置き所って物があるのなら、そこが僕にとっての遥の居場所なんだね。

 でもね、遥。今日ばかりは言わせて欲しいんだ。

 これは別れのセリフではなくて、僕の中の折り目のようなものなんだ。

 これを言わない事には、どうも上手く前に進めない気がする。

 だから今日はこの場所に来た。

 ここなら君に届くような、そんな気がしたから。


 広げた腕を閉じ、僕は一番星を見上げる。

 少し恥ずかしいけれど、僕は空に向かって呟く。


「遥、ありがとう…」


 言い終え、僕は公園に背を向ける。

 そしてもと来た道をゆっくり歩き始める。

 僕は僕の道を歩かなくてはいけない。

 家では今、詩織と碧が僕を待っている。

 帰ったら碧と一緒に風呂に入るのだ。

 これから碧と湯船に浸かり、彼女に何を伝えよう。

 いや、これから毎日、ずっと、僕は碧に何を伝え、繋いだゆくだろう。

 成長した碧は、いつかきっとこんな風に言うかもしれない。

 パパうるさいよ、と。

 でも、それでもいい。

 僕は伝え、ずっと示し続けていくのだ。

 僕のおせっかいが、この世界を優しく包むまで。

 おせっかいの先の先で、碧を巡る世界が優しくありますように、と。

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悲しみで花が咲くものか side-A 根峯しゅうじ @nebushuuji

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