第3話
◇
埃っぽい、がらんとした倉庫で俺は剣を振るっていた。倉庫の荷運びだけだと戦いの感覚が鈍るからだ。ふと、急に身体の芯が冷える様な感覚になり、俺は胸元から
俺はその糸を手繰りながら走り出す。距離は2kmは無さそうだ。丁度身体も暖まっているし、15分はかからないだろう。幸い目的地は路地裏の、所謂ラブホテルというやつらしい。これなら悪鬼を人気のないところに誘導する手間が省ける。奴らは昼間は人間に取り憑いたままで、その力の半分も発揮出来ない。本来ならば昼間に全て倒すことが出来れば、夜に出現する悪鬼本体相手に苦労することはない。しかし、忌々しい事に探知能力はメイの方が高い。というか、この都会の障気の渦の中からその根源を突きとめるのは難しい。この障気に慣れたメイは、それがどこからどの様に発生しているか分かる様だ。こればかりは少しだけ奴のことを評価している。
気持ち悪くなるほどの極彩色の看板の建物に向かう男女、男は40代くらいの小綺麗などこにでもいそうな雰囲気だが、完全に輪郭がブレている。悪鬼がはみ出していた。女の方は少し派手な感じだが、そこまで目立つ程じゃない。障気にあてられているはずが、その表情は恍惚としていた。拙い、取り込まれかけている。メイはまだたどり着いていないようだ。
まずはこのべったりとくっついた2人を引き離さなければ何も出来ない。生身では危険なので、俺は疾風豹に変化する。女を気絶させるか何かして避難させる。だが、悪鬼はそれを読んでいた。
「疾風の戦士か。食事の邪魔だ」
ゆっくりと振り返った悪鬼は、女を抱えたまま障気の衝撃波を放つ。
「ッ! その女を離せ!」
「馬鹿なことを言うな。このくらいの年頃の女は身も心も脂がのって美味いんだ。若い娘も美味いが、たまには味の濃いものもいい」
衝撃波が当たった壁はヒビどころか穴が空いている。こいつは厄介な奴だ。理性を失わず自分の欲望を認識しているのも拙い。この時点で倒さなければ、夜に本性を表した時の強さは相当だ。しかし、まずはあの女を何とかして助けないとダメだ。
その時、何かに引かれる様に女の身体が悪鬼の腕からすり抜けた。太陽にキラリと反射する一筋の光、糸だ。
「やれやれ、人のこと役立たず呼ばわりしたのはどこの誰だったっけ?」
背後から聞こえたのはメイの声で、その糸は疾蜘蛛のものだった。建物の影から上半身を生やしている。何度見ても気持ち悪いが、影の中を移動出来るのは少し羨ましい。
メイはそのまま女の体を糸でぐるぐる巻きにして離れた地面に転がす。ご丁寧に口元には猿轡のように、目元には目隠しのように糸を巻きつけていた。そして、メイは悪鬼にも糸を伸ばし、縛り上げる。
「早く、トドメ刺してよ」
棘のある声で俺を急かしてきた。
「言われなくてもやってやる!」
俺は光燐剣を振り下ろす。人間の体がダメージを受け、そこから完全に分離出来ない悪鬼にも影響を与える。さらにその苦しみのエネルギーで悪鬼は実体化するので、その一瞬を狙って角をへし折る手筈だった。だが、左肩から胸にかけて剣をめり込ませても悪鬼は余裕の表情だった。
「緩いな、疾風の戦士」
「何だとッ?!これなら、どうだ!」
俺はさらに体重をのせ、地面に向かう力を剣に加える。剣は心臓まで達したはずだった。だが、悪鬼は余裕の表情で、実体化する気配は無かった。かわりに、悪鬼のエネルギーである黒い障気が濃くなる。
「股間!」
「は?」
一瞬、メイが何を意図しているのか本気でわからなかった。
「欲望の源に障気が溜まって悪鬼の核になるんでしょうが!」
要はそこを狙えばいい。悪鬼の表情に少しだけ焦りが見えた。人間の急所に気を取られて前提を見失っていた。まあ、急所は急所だが。メイは障気の濃淡も見分けられるから、それもあって気付いたんだろう。悔しいが、ここはメイに助けられたという事になる。俺は再び形勢を立て直すために、奴の体から剣を外そうとした。しかし、骨な挟まっているようで外れなかった。悪鬼が再び嗤う。
「何やってんの馬鹿!糸がもたない!」
メイの言葉通り、巻きつけた糸がミリミリと軋む。
「お前がやれ!」
「絶対に嫌だ。素手じゃなくても触りたくない」
「そんな事を言ってる場合か!」
「この時間がもう無駄だから!剣じゃなくても足とかあるでしょう、とりあえず潰せ!」
メイの言葉と俺の前蹴りが出たのはほぼ同時だった。
「おごあっ?!」
疾風豹の脚力は厚さ3cmの鉄板を打ち抜く。それが人体の急所に当たれば、肉が爆ぜるのは当然で、その苦痛は男の俺には想像しても余りある程だった。どの道この男はほぼ取り込まれていたから、助ける術はなかった。悪鬼は耳障りな断末魔と共に、その姿を実体化させる。その瞬間、剣が悪鬼の肋骨から外れた。
外した勢いそのままに、俺は悪鬼の角を剣で叩く。思いの外勢いがついていたらしく、その角を真っ二つに折れた。男の体は白い灰と化し、悪鬼は黒い靄として霧散した。
残された女の方は放心したようになっていた。メイは女の糸を引き、コマのように回してそれを剥ぎ取る。こうすると記憶が飛ぶ。あの男の存在は悪鬼の消滅とともに消えるから、女の方は自分が何故こんなところにいるのか分からなくて混乱するだろう。とりあえずはそのくらいでいい。俺達から10メートル離れる頃には、首を傾げてはいたがその足取りはだいぶしっかりしたものに回復していた。それを確認すると、メイは疾蜘蛛で影に入り込もうとしていた。
「おい、帰るならきちんと浄化してからにしろ」
現場を浄化しなければ、残った障気がまた新たな人間の欲望に取り憑く。だから、自分達の首を絞めないようにするためにも、必ず浄化が必要になる。
「五月蝿いな。綺麗にしておけばいいんでしょ」
そう言うと、メイは糸を放出し障気を絡め取ってそれを再び自らの中に収めた。俺はその行動が前から気になっていた。
「お前、それどうするんだ?」
メイは俺が気にかけてやってるにも関わらず、心底迷惑そうに吐き捨てる。
「これでいいんでしょうが。別にどうもしないし」
そして、もう一度疾蜘蛛に変化して戻って行った。今までメイは何度もこうやってきたのだろうか。あいつの変化後が黒いせいで、障気の影響を受けているかどうかがわからなかった。
明暗のツガイ 原多岐人 @skullcnf0x0
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