第2話
◆
精神的な疲労からか、昼近くになるといつも体が重くなる。
「1番いただきます」
事務所内にとどまっている、すでに退勤した主婦の方々に声をかける。普通に休憩いただきますでも問題ないけれど、念のため規範とならなければいけない立場なので細かいところまで気を抜けない。
本当は外でランチ、といきたいところだったが、手弁当な上に何かあったら対応しなければならないので、そのまま事務所で食事をとる。
店長が産休に入り押しつけられた店長代行というお値段以上の責任のため、その疲労感はさらに大きくなる。
最も、疲労感はマコトの存在によるところが大きい。確かにCMで癒し系イケメンが家にいるのを羨ましいと思ったことは否定できない。若い男が家にいる。字面で見れば変わらないけれど、現実は大分違う。
食費が倍近くかかる。
水道、ガス、電気代も普段より多めにのしかかってくる。
そして何か汗臭い。柔軟剤の香りをまとえとまでは言わない。せめて無臭であってほしい。あとは自分の正義感を基準にした説教をかましてくるところなんて最悪だ。経済的な負担と精神的及び体力的な負担が半端ない。
「狹山さんいつもお弁当ですよね」
急に横から覗き込まれて驚く。
昼で定時を迎えるシングルマザーの2人が事務所に入ってきたところだった。
「お料理も出来てしっかりしてるのに、何で結婚出来ないのかしらねー不思議」
「そういえば野々山店長確か今9ヶ月でしょ?もうすぐね。楽しみ」
そこそこの大声で会話しながら、だらだらと帰る準備をしている。仕事中から疲れた早く帰りたいを連発していたけれども、なかなか帰らないのは何故だろう。ふと、そのうちの1人から悪鬼の気配を感じた。横目で見ると、首のあたりから黒い靄が立ち上っている。それは、蛇のような動きをしていて、もう1人の首にも絡みつこうとしていた。
「昨日デートした人がね、アズミちゃんのこと知ってるって言ってたけど、知り合い?」
「えー誰それ、前の職場の人とかかな?この間ユミっちにDMしてきた人でしょ」
黒い靄が途端に濃くなる。アズミちゃん、もとい平野亜澄。ユミっちこと青木由美子。2人とも私より年下だが、結婚して離婚してほぼ1人で子育てをしている。生物として二歩も三歩も先を行っている訳で、その点は尊敬する。尚も楽しそうにマッチングアプリで出会った男性の話をしている2人。少し気になるのは青木さんが喋るたびに平野さんの黒い靄が鼓動を刻むように濃淡の変化が見える。何か平野さんに関係がありそうだが、この2人はどちらも悪鬼本体じゃなそうだ。本体にしては気配が遠い。それに少し安心した自分がいる。別にこの2人のどちらかを消すことに対しては何も思わない。ただ、そこそこのベテランがいなくなって平日昼間のシフトが組みにくくなるのが面倒なだけだ。私が重んじるのは正義ではなく効率だった。
念のため平野さんに糸をつけておいた。私の糸は悪鬼に反応するので、攻撃だけじゃなく探査、追尾にも使える。最近は位置がわかるだけじゃなく、その人物が見ている光景と、それに付随する感情またはイメージが断片的ではあるけれど流れ込んでくるようになった。
お疲れ様です、と2人が事務所から出て行った後も、私の脳内には平野さんの情報が流れ込んできていた。どうにも悪鬼の障気が感じられて食事が不味い。後は平野さんの個人的な感情ーー青木さんに対する嫉妬だろうか。先程話題になった男性はどうやら平野さんの昔の恋人らしい。しかも妊娠したことによって捨てられたようだ。その次に脳内に流れ込んできたのは、平野さんがその男性に抱かれている記憶と、青木さんが抱かれている場面を遠くから見ているイメージだった。もちろん実際そんな事はしていないだろうけど、この2人にとってはそういう事をするような相手だということだ。男性の頭部から透けた一本角が見える。悪鬼は人間に憑依するので、男性の輪郭も私にはぼやけて見えている。薄ぼんやりとした生々しいベッドシーン。ますます飯が不味い。自店スタッフが竿姉妹だなんて知りたくなかった。吐きそうになりながらも、何とか最後の一口のご飯を飲み込んだ。
私の食欲減退と引き換えに情報は得られた。この糸からの情報を見る限り青木さんの現在の恋人が悪鬼で間違いない。糸は平野さんから枝分かれし青木さんに付けかえる。その際に、平野さんから瘴気を絡め取ることも忘れない。仕事でやる気を無くされたら面倒だ。青木さんはその男性と、お子さんの学校が終わるまで会うようだ。待ち合わせ時間まで後15分、私の休憩時間残り51分戻ってきてギリギリ、というところだ。
こんな覗きというかストーカーじみたことに罪悪感がない訳じゃない。知ってしまったからには、手を出してしまったからには手段を選べない。私は裏口から人気の無い店舗搬入口に向かって、そこで変身する。疾蜘蛛にモードチェンジをして速度を上げ、青木さんの後を追った。
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