60 杖の街


 新明月の終わりを迎えた頃には寒さはいっそう深まった。二人は――誰が用意したのか分からないが、ある日突然置かれていた――厚手の服を着こみ、変わらず教員宿舎で過ごしていた。


 試験が終わった後、アズサは、勉強と読書と学校の敷地の探検をして過ごした。

 まだ、満足に魔法は使えなかった。けれども試験の日から少しずつ使えるようになっていることを実感して、毎日浮き足立っていた。


 そんなアズサのことを見たセノルは、教師であるというのに、「まじめすぎる」と嘆いた。もっと気楽に過ごせばいいのにと、アズサとユキを探検へと連れだしたのも一度や二度では無い。せノルは何だかんだ言いつつ、分からないことを教えてくれるものだから、面倒見のよい教師らしいところもある。


 アズサは、学び舎に入学することができるのなら、セノルのもとで魔法を学びたいと思うようになっていた。


 試験から半月ほど経ったある日、アルティナが一度だけ訪れ、ユキの養子縁組の資料をまとめていった。


 水の国でも由緒あるバーランドの一族は、養子縁組に反対したと、アルティナは苦々しそうに語った。バーランド家は保守的で、特に血筋を重んじる家系であり、ユキがどこの誰とも分からない存在であるということが問題だった。


 結果として、ユキはアルティナは遠縁にあたる「リヴェイラ家」に戸籍を作ることなった。


 リヴェイラ家はアルティナの母方の縁者で、水の国の男爵家にあたる。彼らはアルティナに恩義を感じており、さらに子供のいない老夫婦の家庭だったため、快く名を貸すことに了承したのだ。


 こうしてユキはリヴェイラ家に籍を置き、「遠縁の子供を支援する」という名目で、アルティナとの養子縁組を成立させることとなった。ただしユキは「バーランド」の姓を名乗らず、「リヴェイラ」の姓を持ち続けるということが、バーランド側の条件だった

 

 ――そうして過ごしているうちに、いつの間にか、新明月の最後日が訪れた。

 

 アズサが部屋の窓辺で本を読んでいると、外からかすかに笑い声が聞こえてきた。ユキの声だ。


 その音の持ち主を探して、窓から顔を覗かせると、白く染まった景色のなかで、ユキとウルが楽しそうに遊んでいる姿が目に入った。


 ユキは、ウルのふわふわとした毛を撫でたり、ウルを追い掛けて笑顔で走り回っていた。ときどき小さな雪玉を作って投げると、ウルは俊敏な動きでそれを追いかけ、雪の中に飛び込んでく。


 ユキの白銀の髪が宙に舞い、雪面に反射する光のように輝いていた。その姿があまりにも生き生きとして、アズサはその光景に嬉しさが込み上げた。


「ウル、待って! もっと遠くに投げるから!」


 ユキの声が響く。彼女は新たに雪玉を手に取り、少し大きめのものを作って遠くへ放り投げた。それを見たウルが、再び勢いよく雪を蹴り上げて走り出す。


 ユキも後を追いかけようとして、ふと、足を止めた。


 森の奥からアシャロウがゆっくりと歩いてくる姿が見えたのだ。白雪の中だといっとう目立つ、黄緑色の奇抜な外套が目を引いた。


 ユキがアシャロウと何やら話をして、彼はふっとアズサのいる方向へと顔を上げた。ばちりと目が会う。彼はその手に持つ二つの封筒を掲げて微笑んだ。それが試験の結果であると気づいたアズサは、急いで部屋を飛び出した。


「せ、先生! こんにちは!」

「こんにちは、アズサ。君たちに、届け物じゃ」


 アズサはアシャロウから封筒を受け取り、封を切った。喉の奥でら「あっ」と息が詰まる。中には紙が二枚入っており、その一枚を取り出すだけで、胸が内側から大きく動いていた。


 折りたたまれた紙を丁寧に開くと、すぐに、目はその文字をとらえた。そこには、「合格」の文字が書かれていた。高鳴っていた胸と緊張が解けて、全身がふわふわと浮いたかのような感覚だった。


「良かった……!」


 アズサは込み上げた気持ちのまま声を上げた。隣で同じように封筒を開けていたユキに目を向けると、ユキもまた合格の文字を確認し、ほっとした表情を浮かべている。


「おめでとう、二人とも。これで正式に入学が決まったな」


 アシャロウは目元を緩ませた。その表情には、二人の合格を信じて疑っていなかったという確信があった。


「あ……、ありがとうございます、先生」

「感謝するのはセノル先生に。もちろん、結果についてはわしは関与していないから、安心しなさい」


 君たちには魔法師になる素質がある。アシャロウは穏やかに答えた。


「アズサ。君は試験前まで魔法が使えなかった。それでも少しずつ、その困難を乗り越えてある。わしも、ここまですぐに君が魔法を使えるようになるとは思っていなかったが、君には困難を自分の糧にする力がある。それを忘れてはいけないよ。この学舎が、もっと君の力を磨く場所であるように願っておる」


 アズサは、真っ直ぐにそう褒められて、身体の芯からじんと温かくなるのを感じた。

 アシャロウはアズサの努力を見てくれているのだ。試験に合格したことよりも、その言葉が何より嬉しい。


 アシャロウは続いてユキのほうへと顔を向けた。


「ユキ、君は今回の試験で、誰よりも素晴らしい能力をみせてくれた。君にとって、魔法とはどんな存在じゃろうか」


 ユキはその質問に少し驚いたようで、「どんな存在?」と繰り返したあと、口を閉ざした。

 

 アズサは魔法が好きだ。

 それだけではなく、魔法は、いつか必ず見つけ出すと決めた養父を探すための唯一の手段でもある。そう思うと、魔法はアズサにとって希望でもあり、目標でもあった。


 一方で、ユキは魔法をどうとらえているのか、アズサには分からなかった。ユキは魔法が好きなのだろうか。アズサには、そうは思えない。

 魔法は、ユキにとって、呼吸のようなに自然なものかもしれない。特別に意識することなく、当たり前に使えるものかもしれない。


 当たり前の存在を意識することは難しい。アズサには、アシャロウの質問の意図は読めなかった。


「答えを、この学び舎で探してみるのもいいじゃろう」


 アシャロウは初めからそう言うつもりだったようだ。対してユキはアシャロウの顔をじっと見つめ、小さく頷いた。


「それから」アシャロウは奇抜な外套の懐に手を入れた。「これは君たちのものだ。入学の準備に使いなさい」


 二人は小袋を手渡され、中を覗くと、ダリエン金貨か入っていた。


「……僕、ゼンさんから貰ってるものがあるので、こんなに貰えません」

「それも、ゼンが君に用意していたものじゃから、受け取りなさい。ユキ、君のは後見人からの軍資金だそうだ」


 良くして貰ってばかりで、アズサは複雑な気持ちになった。これほどまでしてもらう理由がどうにも分からない。そして、ゼンが予めここまで手を回していたことが、今の状況になることを見越していたようにも思えて、また、心の中に重石が積み上がる。


「それでも気になるのであれば、いつか君たちの気が済むように、その気持ちを返しておくれ」


 アシャロウはそう言って、二人を交互に見ながら朗らかに笑う。


「さあ、二つ目の紙に、入学に向けて必要なものが書いてある。杖の街へ行って必要なものを揃えるといい。わしは共に行けないが、気をつけて行くんだぞ」


 アシャロウの言葉通り、二枚目の手紙は必要なものが書き連ねてあった。教科書、制服、魔法薬学の物品、杖の素材――。


「先生、これはどこで揃えれば……あ、もういない」


 アズサが質問をしようとした時には、その姿は忽然と消えていて、二人は顔を見合せた。


「とりあえず行ってみよっか。杖の街に!」



 

 周囲を険しい山々に囲まれている水の国の南西部には、ラドラト湖へと至るリーヌ川から流れ出た水が窪地にたまり、巨大な湖と離れ小島を作った地が存在する。その湖の中心に浮かぶ島、それが神秘的と呼び声が高い杖の街『ラノエ』だ。その中にエルヴァ魔法学校が位置している。


 魔法師が杖の街と呼ぶのは、賑わいのある商店街区域と居住区を指す。ここは大陸でも有数の、魔法師のために存在する街だ。


 午後の陽に照らされた通りは、多くの人々で賑わっていた。

 石畳の道沿いに立ち並ぶ古風な建物の間を歩けば、空気は魔法の気配で満ちている。店先や道路の脇に置かれた奇妙な生き物の彫像や、軒先から風に揺れる魔除けのモビールがカランと綺麗な音を奏でる。空には色鮮やかな魔法道具がふわふわと浮かび、通りを行き交う人々は、みな手に杖を持つ魔法師ばかりだ。


 街全体が魔法そのもので作られているような不思議な場所に、アズサとユキは圧倒され、興奮を隠せなかった。


 街路沿いに開かれる出店から、活き活きとした声が飛び交う。大道芸の魔法師が、空に花を咲かせ、紙吹雪が舞い踊る様子に、道行く人々が歓声を上げた。


 二人はようやく人混みを抜け、広場に出た。


「うわぁ、魔法がいっぱい……! ユキ、すごいねここ!」


 アズサは目を輝かせ、目の前を飛び交う魔法の鳥に手を伸ばした。ユキはウルを腕に抱き直して、手を物珍しげに当たりを見渡した。心なしか、白い頬もほんのりと色づいている。


「どこにいく?」とユキが言った。

「まずは教科書から探す? あ、お店の名前が書いてあるね。ユキ、全部ここで買えそうだよ」

「なんていうお店?」

「『ハーツァル書店』だって」

「あそこにあるお店じゃない?」


 ユキが指差す方向に、目的の店があった。

 二人はその後、次々と店を巡り、教科書や制服、魔法薬学の物品を揃えた。荷物が次第に増えていくと、街の中にある配送サービス『ラタラタ配送』を頼ることにした。ラタラタという長い耳の中型動物が、配送先に荷物を届けてくれるという。

 

 必要な物品を揃え、最後に杖の素材を売る店を探しに向かうこととなった。とはいえユキは既に杖を持っているので、必要なのはアズサの杖だった。


 大きな通りから外れた路地に、いくつかの杖の素材を扱う店が並んでいた。店の軒下には木材や鉱石が積み重なって置かれ、独特な輝きを放ってる。


「どの店がいいかな?」アズサが少し迷いながら訪ねると、ユキは奥まった場所にある、静かな店を指差した。

「あそこが良いと思う。なんとなく、良いものが揃っている気がするの」


 二人が入ったのは、「ワーデナ杖工房」と書かれた古びた看板の店だった。重厚な木製の扉が二人を迎えた。中は薄暗く、静謐な空気が漂っている。木の皮の香りもした。


 外からの陽の光が窓から差し込み、棚に並んだ鉱石の瓶や色とりどりの箱を照らしている。

 アズサはその静けさに、思わず息を潜めた。


「あら、いらっしゃい。杖を探しているのかい?」


 カウンターの奥から、ふくよかで優しげな女性が顔を出した。アズサは驚いて「わっ」と肩をすくめた。


「ああ! 脅かして悪かったね。ワーデナ杖工房へようこそ」女性は恰幅良く笑った。「何をお探しかな?」

「あー。入学の準備で、杖の素材を探してます」

「おお! エルヴァの新入生なんだね。杖を作るのは初めてかい?」

「そうです」

「お嬢ちゃんは?」

 ユキは首を振った。「わたしは持ってます」

「そうかい! なら、そっちの坊ちゃんのだね。どんな素材がいい? 柔らかめ、固め。言うことを聞きやすいか、扱いやすいか。しなやかさもあるね。頑固だけど忠誠心が高いやつも。あとは香りも大事だ! 色もね!」

「ええと……」アズサは頬をかいた。「僕、あまりよく分かってなくて。その……杖じゃなくて杖の素材って、どういうことですか?」


 女性はにっこりと微笑んだ。


「エルヴァはね、自分で杖を作り上げていくことをすすめているんだ。もちろん既製品もあるけれど、自分の手に合うものが一番だからねえ」

「自分の手で?」

「そう。杖は自分自身と一緒に成長するものだから、自分に合った素材を選ぶことが大事なのさ。まず、芯となる木を選び、それから心臓にあたる鉱石を選ぶんだ。自分がこれだと思うものを探せばいい。手に取って、ゆっくり見てね」


 女性は店の奥の方へと戻って行った。

 アズサは首が折れそうなほど高い棚を見上げた。近場の木を手に取ってみる。どれを選べばいいのかさっぱりだ。

 しばらく物色している間に、何度か人が入って来ては商品を購入していく。

 アズサが気になった木材や鉱石を手に取り見比べていると、背後から声が聞こえた。


「それは固いから、使いにくいかも」


 振り返ると、そこには見覚えのある少年が立っていた。窓から差し込んでいた陽を浴びて、明るい茶色の髪がサラサラと輝いていた。その姿を見た瞬間、アズサは彼が誰かを思い出した。


「君は、試験の時の――イザヤ」


 入学試験で、アズサに声をかけた少年だ。イザヤは「覚えてくれてたんだね。試験ぶり。アズサ」と、人好きのする笑顔を咲かせた。

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碧落に君は消えゆく 藤橋峰妙 @AZUYU6049

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