59 入学試験②


 最初は筆記の試験。開始されてから机に向かってペンを走らせる音だけが講堂に響いた。 アズサは、筆記の試験にはかなりの自信があった。その自信のおかげか問題は思っていたよりも簡単で、アズサは拍子抜けしてしまった。


 試験が終わると、達成感とともに、アズサの心の中にはかすかな安心感が広がっていた。周囲の子ども達も同じように安堵の表情を浮かべており、講堂の中は静かにざわつき始めた。試験を監督していた大人が講堂の外へと出て行くと、子ども達の囁き声は徐々に大きくなっていった。


「試験どうだった?」

「――あそこにいるのって、デインヴァース家の」

「こんなに難しいなんて聞いてないよ!」


 知り合い同士が多いのだろうか。

 遠くの席を見て見ると、ユキは席に座ってじっとしている。アズサも席に座ったまま、同い年くらいの子ども達の会話が気になって、耳を澄ませた。


「ギルベルト公子様がいる。今年入学する予定だっていうのは本当だったんだ」

「ね、あの、鉛筆落としたよ」

「あの子の髪の毛すごくきれい……」

「耳ホンモノ?」

「あ! 物を浮かせるのはやめてよ!」

「次って何が出るのかなぁ」


 次。次に待つのは実技の試験だ。アズサはそのことを考えると、さきほどまでの安心感が消え、途端に胸が重くなってきた。魔法が得意ではない自分が、この後どうやって実技試験を乗り切るのか、考えただけで不安が膨らむ。


 はぁ、と息を吐き出すと、その時、ふいに背後から声が聞こえてきた。


「ねえ――、ねえ、君。黒い髪の、ねえ!」


 アズサははっとして顔を上げた。まさか自分に声を掛けているのかと、アズサは声のする後ろに首を回した。


「そうそう。今、声かけたんだよ」

「僕?」アズサは自分を指さした。見知らぬ茶髪の少年は、大きく頷いた。

「筆記試験、解くのがすごく速かったからさ、得意なの?」

「えっ、あ、うん。少しだけ……」

「俺、筆記には自信がなくてさあ」


 アズサは小さく声を上げた。その戸惑いを感じたのか、少年は「ごめん、いきなり声を掛けたら、ビックリするよね」と小さく笑う。


「俺はイザヤ。イザヤ・デインヴァースだ。よろしく、えーっと」

「僕は、アズサ。アズサ・リアンタ」

「アズサね! リアンタって、どこの名前? めずらしい名前。違う国から来たの?」

「ううん。水の国だよ」

「そうなんだ。俺もだよ!」


 イザヤと名乗った少年は、初対面のアズサにも物怖じすることなく、太陽の如く笑いながら左手を差し出した。アズサはおずおずとその手を握り返した。


「次、どんなことをやるか知ってる?」

「実技試験だってことしか知らないんだ」アズサは答えた。

「そうだよなあ。俺もなんだ。筆記も自信がないんだけど、実技はもっとダメダメでさ。だから思わず君に声をかけちゃったんだ」

「僕も、実技には自信がないよ」


イザヤは顔を明るくさせた。


「ほんとに? よかったぁ。てっきり不安なのは俺だけだろうなって思って、余計に不安だったんだ」

「僕も不安だらけだよ。魔法、そんなに使ったことがなくて」

「そっか。――でもきっと大丈夫だよな!」


 何が大丈夫だというのかアズサには分からなかったが、ニカッと口角を上げて笑うイザヤに、アズサもつられてぎこちなく笑った。すると、彼はふいに講堂の前の方に視線を投げた。前の扉から、試験を監督していた大人が入ってくる。


 イザヤは「お互い頑張ろうな」と言い、アズサは頷いて前を向いて席に座り直した。アズサの心臓は別の意味でドキドキと音を立てていた。声を掛けられるなど、思ってもみなかった。ユキを除いて、アズサは同年代の子どもと、まともに話したことがなかったのだ。

 

「次の試験はひとりずつ、別室で行ないます。この試験は、皆さんが魔法師になるにあたり、魔法師の素質を持つのかをみるために行うものです」


 入ってきた女性は平淡な声で告げた。


「私たちは、あなたたちに法式を動かすための【魔力アラ】があり、それを使えるのかどうか、その部分を見ますから、特別なことを求めているわけではありません。それではみなさんを順番に別の部屋に案内します。静かに待っているように」


 女性は前から順番に番号を読み上げ、彼らを別室に連れて行った。女性と入れ替わるように、別の男性が来て、続きの番号を呼んでいく。


 しばらくすると、今度はユキの番号が呼ばれていた。部屋を出て行くユキはアズサのほうを見て、何やら口を動かしている。――がんばって。アズサは強く頷いて口を動かした。――ユキも、がんばって。

 

 アズサの番号は後ろの方で、呼ばれるまでに時間がかかった。

 案内された部屋は控え室のようで、アズサの前の番号の子どもが部屋で待っていた。

 すると、「おおっ」と、別の部屋の中から複数の声が聞こえてきた。驚きと歓声を織り交ぜたような短い響きだ。何かあっただろうかと、他の子どもたちが顔を見合わせる。アズサはなぜだかあの声が、ユキの魔法を見た大人達の反応なのではないかと思った。


 アズサは自分の手を見つめた。あれからも何度も魔法を練習したが、まだ思うように【魔力アラ】の操作をすることができていない。ゆっくりと、時間をかけて、成功するかしないかの瀬戸際で、魔法を作ることしか。


「アズサ・リアンタ。こちらへどうぞ」


 部屋に入ってきた男が、アズサの名前を呼んだ。ようやくアズサの番がきた。


 静かに歩いて部屋に入ると、そこにはアシャロウと、四人の大人たちが席について待っていた。アズサがドキリとしたのは、アシャロウ以外、全員が外套を被って顔を隠していたからだ。セノルがいるのかすら分からなかった。


 そして部屋の中央には机が置いてあり、そこには火のついたろうそくの燭台が置いている。


 アシャロウをみると、あの穏やかな目と視線が合った。久しぶりにあったアシャロウは、アズサを見て、静かに笑みを浮かべていた。アシャロウがいる。それが安堵なのか、緊張なのか、アズサは高まる鼓動を感じた。


 案内した男が前に経ち、アズサに白い紙切れを渡してくる。


「緊張しなくても大丈夫。まずはこの紙に【魔力アラ】を流せますか。【魔力アラ】を操作することが、始めの一歩ですから」

「はい」


 アズサは深く息を吸い込み、集中した。けれども自分の意思を妨げるように、手が震えている。心の中で何度も「落ち着け」と繰り返しても、焦りは簡単に消えなかった。


 ――もっと静かに。


 セノルの教えを思い出しながら、アズサはゆっくりと魔力を体の中で流し始める。光を灯す練習をしてきたように、少しずつ、自分の中で魔力を流し、手のひらに集めた。すると、手のひらがじんわりと温かくなっていく。

 

 手のひらの上に置いた白い紙は、アズサが懸命に【魔力】を注ぐにつれて、ゆっくりと、ぱたぱたと、少しずつ折り目を付けて折れていった。やがてそれは歪んだ花のような形になった。アズサが見てもかろうじて花の姿に見えるが、決して綺麗とは言えなかった。


「はい。ありがとう」男はアズサの手のひらの花を受け取った。「では次に、あそこにある蝋燭の火を消せますか。ここに法式陣が書いてありますから、これを使ってもいいし、使わなくてもいいです」


 男はアズサに、法式陣の書かれた紙を渡してきた。アズサはその陣が、【そよ風よフェルア】の法式だと分かった。今のアズサの力では、法式陣がなければ魔法は使えない。アズサははっきりと頷いた。


「使います」

「法式は唱えられるね?」

「はい」アズサはその紙を受け取った。

 

 ――できる、できるって。練習、してきたんだから。


「……微睡む空、流れる時のささやきに応え――【そよ風よ、舞い上がれフェルア】」


 しかしいざ実行しようとすると、思うように魔力は動かない。


 ――違う、もっと繊細に。


 焦りが募るにつれて、指先に力が入りすぎた。魔力がうまく流れず、手が小刻みに震え始める。


 ――どうして、こんなに時間がかかるんだろう?


 頭の中で急かすような声が響く。その声に反射して、無理に魔力を引き出そうとした瞬間、流れが止まった。


 ――違う!


 「落ち着け、おちつけ……」アズサは自分に言い聞かせた。再び深呼吸をし、意識を沈めた。静かに、ゆっくりと、糸を引くように少しずつ魔力を流す。焦りを抑えて、ひたすら自分の感覚に集中する。


 すると、アズサの前髪がふわりと持ち上がった。

 かすかな風がアズサの周囲に起こり、そよそよと周囲の空気が動いた。微かではあるが、確かに風が起こっていることにアズサは気付いた。

 ろうそくの火がゆらりと揺れた。しかし、火を消すには足りなかった。


 ――もう少しだけ、もう少し、【魔力アラ】を、風の強さの式に。一滴だけ。


 ふわっと風が強さを増し、次の瞬間、ボッと小さな音が鳴った。


「あ……!」


 アズサは驚き、思わず声を上げた。机の上のろうそくの火が消え、黒い煙のすじが漂っていく。


 ――やった!


 胸の奥に小さな喜びが芽生えた。アズサは自分の力で魔法を使えたことがただただ嬉しかった。

 深く息を吐き出すと、アシャロウと目が合う。彼の表情は満足そうで、柔らかな視線がアズサを優しく包んでいた。


「君は、使われていない第三教員宿舎棟にいる子だね」


 突然、右端に座っていた人物が声を発した。声は中性的で、男のようだった。驚いたアズサは、一拍遅れて返事をした。


「そうです」

「噂だと、魔法が使えないと聞いていたが」

「――は、い。たしかに、うまく使えません」アズサは勇気を出して言った。「でも、ここまでなるように、がんばりました」

「ふむ。確かに、かなり時間がかかっていた。普通なら、法式が反応せずに不発しそうだが」その隣の人物が言った。声は女だった。「【魔力】の操作を練習したのかな。まだまだ課題がありそうだね」

「はい……」


 アズサは声を落とした。一度魔法を使っただけで、見抜かれてしまうものだろうか。

 魔法を成功させた喜びに満足していたアズサだったが、今が試験の最中だということに気付いた。「できた」という自信が心を満たす一方で、「合格できるのか」という現実的な思いも胸を掠めていく。良かったのか。良くなかったのか――それが分からない。

  

 その時、アシャロウがゆたりと口を開いて言った。


「アズサ、これからも頑張りなさい」


 その真意は分からなかったが、アズサはアシャロウに言われた言葉を胸の中で反すうした。

 これからも――。その言葉だけでも、アズサは自分の頑張りが認められているような、暖かな心地がした。


 部屋を退出して外に出ると、冷たい風が頬を撫でた。それでも、アズサは自分の力で魔法を――たとえうまくなくても――成功させたことに、心地よい疲労感と達成感に包まれていた。


「僕、できたんだ……よかった……!」

 

 ほっと胸をなで下ろして顔を上げる。遠くに、ユキが待っている姿が見えて、アズサは走り出した。


 

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