第6話 海鷲

 寝苦しさを感じて、兵舎を出ると、満点の星空が広がっていた。俺は滑走路に沿ってしばらく歩いていた。草むらに鳥飼が寝転がっていたので、俺はその隣に座った。

「眠れねぇのかい」

 鳥飼はこちらを見上げて答えた。

「中尉こそ」

 潮風が吹いてくる。

「いよいよ、俺とお前だけになっちまったな」

 戦闘303通称「海鷲隊」が編成された時からの古参兵の内、今日の出撃で、猿投と犬塚が死んだ。恐らく、近い内に最後の2人も死ぬのだろう。

「4人でよく遊んだな。覚えているか?訓練明けに飲みにいったら朝になっちまってよ。酔い覚ましにカフェーに行った後、子供向けの活動写真を見たよな」

「ええ」

「猿投だっけ。見たいと言い出したのは」

「あいつ弟たちをよく映画に連れて行ったらしくて」

「そう言ってたな。犬塚はいつの間にかカフェーの女給とどこかにふけちまった。たいしたもんだ」

「犬は鼻が利きますからね」

「あの映画、確か桃太郎か」

「俺は寝てたんで覚えてないです」

「たった4人で大勢の鬼たちをさんざんやっつけていたが、あんなのは嘘っぱちだなぁ」

「そうでしたね」

 既に戦局は思わしく無く敗戦は誰の目にも明らかになろうとしていた。しかし飛行機乗りには、もっと前から、この戦いに勝ちは無いことは分かっていた。敵は、次々と高性能機を繰り出してきて、常に優勢な航空戦力を生かし、複数で1機の日本軍機を追い込む戦法を取っていた。兎にも角にも、物量に勝るものは無かった。

「桃太郎と言えば・・・」

 鳥飼がぽつりと言った。

「部隊が内地から移動する前の日に、中尉の妹さんが面会に来たことを覚えていますか」

「ああ、桃子か。お袋からの手紙と差し入れを持ってきたんだっけ」

「可愛い妹さんでした」

「惚れたか」

 鳥飼はにやっと笑って続けた。

「中尉のおっかさんが作られたという黍団子をみんなに配って、くれぐれも兄をよろしくお願いします、と言うんですよ。冗談でね、俺は雉じゃないけど、まあ鳥だから似たようなもんです。ここに犬猿鳥がいるんですから、必ず桃太郎をお助けして帰ってきますよと言ったんです」

「俺が桃太郎なのか?」

「妹さん、笑ってくれましたけど、でも笑いながら泣いてました」

「・・・・」

「今日、俺は見ました。中尉のケツについた2機のグラマンに、猿投と犬塚が突っ込んでいくところを」

 敵機が連中の射線を回避したので俺は助かった。だがその直後、彼らは別の敵から攻撃を受けた。零戦は数発の被弾ですぐに火を吹く。黒い尾を引きながら落ちていく2機を、俺は黙って見ているだけだった。

「あいつら、黍団子1個が高くつきましたね」

「・・・そうだな」


 低気圧が迫っていた。低い雲海を抜け、眩い陽光のもとへと出る。今日は発動機の調子がすこぶる良い。変な振動も起きていない。

 右前方を行く飯沼機が、無線電話で敵機発見を告げた。

 俺は軽く機体を傾けた。下方に小さな点々のような敵の艦載機の編隊が見えた。

「各機、戦闘開始」

 俺は操縦桿をひねり機体を半回転して背面飛行から加速を掛けながら連中を追った。持てる力を全て開放した栄二一型が咆哮を上げる。降下限界速度で敵機後方に付ける。こちらに気付いた青い機体が回避行動に移る。

「くらえ」

 機体一つ分前の空間に向かって照準を合わせて引き金に手を掛ける。

 その瞬間、後ろから曳光弾の火線が走った。

「くそっ」

 俺は風防に顔を押し付けるようにして後ろに迫る敵機を振り返った。前方の敵を追いつつ、後方の敵から逃げる。

「うっ!」

 速度が出すぎて前方のF-6Fと衝突寸前になっていた。

 慌てて回避。敵機も偶然、同じ方向に回転し、被せるような恰好となった。

 ガツーンという音がして、翼端同志が接触した。敵の操縦士と、風防超しに視線があった。一瞬が何秒にも引き延ばされたようだ。

(なんだよ・・・)

 俺は思った。連中は鬼だと聞いていたが、まるで田舎でジャガイモでも作っていそうな男じゃないか。

 次の瞬間、突然の夕立のように、ばしゃっと音がして敵の12.7㎜が俺の機体を襲った。火花が散り、噴き出た白煙が視界を覆った。


「中尉。中尉が桃太郎だって?そりゃあ、ありませんや」

 鳥飼が笑って言った。

「人間、誰でも自分が物語の主人公のような気で生きていますがね、実のところ、誰かの物語のわき役でしかないんです。だから、死ぬ時にはあっさり死ぬ。それが当たり前なんじゃあないですか?」

 俺は周囲を見渡した。

「どこだ、鳥飼」

「俺は独身って事で通してきてましたがね、実は許嫁がいたんです。秩父の山奥で、出征前に慌てて祝言だけ挙げてきました。あの日、中尉の妹さんを見て、つい姿を重ねちまった」

「おい」

「出来れば生きて帰りたかった」

「バカなことを言うな!どこだ!」


 俺ははっとした。気を失っていたのは何秒か。白煙の隙間から眼前に迫る白い波頭が見えた。

 慌てて操縦桿を引く。もどかしいほどゆっくりと、舵が効いてくる。海面すれすれで飛行姿勢を戻すことに成功した。波しぶきが風防を叩く。水面効果の手ごたえを感じる高度で、機首を押さえ込みながら、敵の回避に努めた。

「おい、鳥飼!木村!飯沼!」

 返事が無い。

「鳥飼!応答しろ!」

 無線装置の故障か。だが、俺は漠然と、彼の死を感じていた。


 あの日、海鷲隊は部隊の半数以上を失った。その中には、やはりと言うべきか、鳥飼の名もあった。もしかして、奴は俺を助けようとして被弾したのか?それは分からない。靖国で聞くしかないだろう。

 俺は機体内を飛び回った破片で腹と足を負傷し後方送りとなった。その後しばらくして、その島は敵の大々的な上陸作戦を受けて陥落した。敵も味方も合わせて、何千人も死んだそうだ。

 俺はあの時、落下する機体の中で鳥飼と邂逅した時、最後に聞こえた言葉を思い出す。消え入るような声が、こう言ったような気がした。

「でもね。もしここで生き残れたら、それは何か意味があることなんだ。そう思って生きようじゃないですか」

 それは奴の言葉か。俺の言葉か。それも分からなかった。


元になったお話:桃太郎

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御伽噺の夜 アルマカン @sekigahara1600

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