地獄散歩

泉錦之助

1

 わが島崎葉介しまざきようすけは、この世の遊戯ゆうぎや娯楽と呼ばれる事のおおむねを試してはみましたが、それらが趣味になるようなこと(一ヶ月も続いたという話)は、一切ありませんでした。本読みを気取ろうとして、書架しょかまで自室に組み込んだものの、つい此間こないだには、使いふるしの文房具や、埃まみれの食器などがその本棚の場所を取っていて、いっこうに本が増えないという事も、その一例なのでしょう。益々ますます呆れたことに、へやをよく観察してみれば、水彩画の入門書が安いパレットの下でしおれていたり、ろくに起動もしないカメラが、レンズを裸のままにして一人になっていたりするのでした。このような状況の所為せいか、如何いかんせん彼は、何か得意と言える趣味も出来ませんでしたし、心から面白いという娯楽も見つからないのでした。そうして島崎はついに、この世にある全ての遊戯、娯楽、趣味を、試し尽くしてしまうのでした——むろん、彼の興味をそそるような遊びは現れませんでしたが——。そうなると彼は必然的に、人生の楽しみと言うものが、一つも分からなくなりました。島崎は、生きる意味を失ったかのように思われました。

 みな屹度きっと、こう提案するのでしょう。「何か彼にも、女との繋がりはあるのだろうから、そうした人間の欲求に通ずる遊びをすればいいのだ」と。そうおっしゃるのですね。ただ、それは島崎にとって、間違いでなのでした。るひとつの訳あって、彼にとってはそれも、ちっとも面白みのない遊戯の代表に過ぎないのです。肉をう。ああ、うまい。布団から出ない。ああ、楽しい。女と遊ぶ。ああ……、ああ。もう分からないのでしょう。彼は、世間の感覚に納得がいきませんでした。馴じみの同窓がも偉そうに惚気のろけ話を語るのにも、何か気持ちの悪い思いをして、決まって最後には、同窓が情けなく見えるのでした。島崎にはやはり、そのような娯楽の楽しさすら、理解できないのです。

 このようにして島崎は、死のう死のうと毎晩思い立ち、準備していた縄を何度も何度も首にむすんだり、ほどいたりするという、奇妙な生活を始めるのでした。この本が読み終われば死のう。時計のはりがあそこまで進んだら死のう。二十歳の生日せいじつになれば死のう。そうして死の宣告を延長させながら、生命の瀬戸際せとぎわを、駆け回るのでした。

「ああ、どうして死にきれない」

こうした自分への憎悪が、彼の頭に、無数の白髪を生やしたりもするのですから、友人や親類にも、あれは何かの病気だろう、近寄らないのがいい、と後ろ指を差されるという日が、珍しくありませんでした。

 さあ、これはひと事のように思われて、存外にも身近、或いは自分にも起こりうる、「崩壊」なのです。あなたがそれに思い当たるとやらを、少しでも感知かんちできるのならば、きっと、この島崎という男と、同じ運命を辿たどるのでしょう。それは例えば、島崎が二十四の時、突然死んでしまうという事からです。

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地獄散歩 泉錦之助 @Izumi_kinnnosuke

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