隠れてしまった時間

 期末試験が終わった二月のある日、彼女は大変泣きはらして学校に現れた。

 僕は彼女に話しかけた。何があったのか、事情を聞こうと試みた。

 だが、彼女は僕の言葉に反応を返さなかった。


「空中庭園」

「……」

「いつもの場所で待ってるから」


 僕はただ、それだけを言った。

 彼女には何か辛いことがあったのだろう、ということは想像がついた。

 だとしたら、僕は彼女に過干渉するべきでは無いと思った。


 だったら、彼女を待ってあげるのが友人として出来る唯一のことだと思えた。


 その日、彼女は空中庭園には現れなかった。

 僕は待ち続けたが、彼女は来なかった。

 次の日も、その次の日も、冬休みが終わり、春休みが終わり、次の年になり…… 


 そして彼女が空中庭園にやってくることは、卒業の日までついぞ無かった。





 残りの二年間、僕は人生の半分を取り戻した。

 内申に響きそうな奇行に巻き込まれることはなく、益体も無い会話でいたずらに時間を浪費することも無くなった。


 そして台無しになったと思っていた高校生活は、二年目に入って急に軌道に乗り出しもした。

 二年生の新学期、たまたま、自然に普通の友人のような会話ができるヤツと席が隣になったのだ。

 僕はぼっちでは無くなり、クラスに普通に溶け込むその他大勢の存在となっていた。


 そして眞野ミコは、二年生になってから奇行をぱったりとやめた。

 謎の薬を学校に持ち込むことも、魔導書を授業中にこっそり読むことも、妙な呪文を唱えたりタロット占いをしたりする姿も見なくなった。


 二年目からの彼女は地味だけど数学や理科系科目の成績が優秀な普通の女の子になった。

 その変化について色々な人が気が付いてはいたけれど、変わった彼女の存在を変にはじき出すこともなく、そういうものとして受け入れるようになっていた。


 そういう意味で言えば、僕が通っていた学校は治安が良いというか、余裕のある生徒が集まっていたのかもしれない。


 彼女については色々な噂を聞くこともあった。

 

 例えば実家は医者の家系で随分と厳格らしい、というゴシップじみた噂もあったし、あるいは誰それに告白されたとか、付き合っているとか、まぁそういう高校生らしい話を聞くこともあった。


 奇行をやめて身だしなみを整えれば彼女は普通の女の子だった。


 それについて、寂しいとか哀しいとか思ったことは無い。

 僕が彼女に対して抱いていた感情は恐らく恋では無かった。


 僕は彼女と別れてからの方が賑やかな日々を送っている。

 友人もできて、普通の高校生のような日々を送れている。

 それは彼女も同じだ。


 そうでは無く、僕が抱いている感情は……彼女は現実に旅立ってしまったのだ、という感慨だった。


 僕が虚構の中で生きるのも悪くない、と思った瞬間、彼女は現実へと去って行ってしまった。その理由も意味も分からないまま。


 果たして彼女にとって虚構とは何だったのだろう。

 現実の代替物だったのだろうか。

 時に、あっさりと捨てたり選択したりできるようなものだったのだろうか。

 あるいは、捨てなければ現実にコミットできない不器用な女の子だったのかもしれない。


 分からない。彼女と僕はあれ以来、ぱったりと会話をしなくなったから。


 ともかく、僕の手元には登録だけして一本も動画を挙げていない動画サイトのアカウントと、彼女に影響されて購入したウェイト版タロットカードだけが残っている。


 僕はオカルトを捨てることなく、持ち続けていた。





 最後に彼女と顔を合わせたのはあの空中庭園だった。

 卒業式の日、僕はたまたま早く学校に来て、たまたま空中庭園に出向いていた。そこは相変わらず埃っぽい空気と地味な花壇だけがあるスポットで、他には何もない。


 高校生活を思い出してみると、ここに通ったのは一年と半年くらいだけだ。

 僕は半年ほど来ない人を待ち続け、やがて諦めた。


 それでも、ここに集まった時間だけは変に濃密で、後からでも思い出せる。

 眞野ミコと出会ったきっかけから会話から、そのすべてが妙に鮮やかに残っていた。


 だから、彼女も空中庭園に来ていたのを見た時、僕は一瞬流しそうになってしまった。

 ミコはあの頃から結構変わっていて、長い髪はボブショートになっていたし、教師にとがめられない程度のナチュラルメイクをするようにもなっていた。


 それでも、彼女がそこにいることは僕には自然に思えた。


「あっ……」


 彼女は僕を見るなり、動揺したような表情を見せた。


「流石に顔を見ただけでその反応は傷つくんだけど」

「……ごめんなさい」


 彼女は馬鹿に素直に謝った。

 ただ、その後に何を語るべきか、言葉を見失っているようだった。

 さりとて、逃げ出すというわけにも行かなくなっている。


 彼女はフリーズしたまま、しばし僕と視線を交わし合った。


「国立大受かったってほんと?」

「え。あ、うん」


 僕がそう尋ねると、彼女は自然な口調でそう返してきた。

 噂によると、彼女は医学部のある国立大に受かった、とのことで、まぁつまり現時点で想像できる最大限の成功をつかんだことになる。


 それは喜ばしいことだったし、素直に尊敬できることもであった。


「おめでとう」

「……」


 僕がそういうと、なぜだか彼女は哀しそうな表情でもって目を伏せた。 


 そんな後ろめたく思うことじゃないさ……とか、軽く言えればよかったのだが。しかし彼女は、そういう軽さを求めていないように思えた。


「あの、その……セキヤくん」

「うん」

「……ごめんなさい。私、セキヤくんに酷いことしたかもしれない。ずっと、ずっと仲良くしてくれていたのに、私……しか、仕方ないことで……いや、そうじゃなくて、ごめんなさい、わたし……」


 彼女の声は相変わらず金属と金属を擦り合わせたような声だった。恐る恐る、絞り出すかのような言葉の群れは、やがて嗚咽へと変わっていく。


 ああ、戻れないんだな。


 僕は自然とそんな感想を抱いていた。


 何があったのかは分からない。

 想像は出来る。

 例えば彼女の奇行や悪い成績を取った事実が家族に叱られた、とか。


 そういう何らかの事情があって、僕との接触も禁じられたのかも知れない。あるいは、接触することが勉学の妨げになると彼女自身が判断したか。

 

 だが、僕が感じたことは、そういうことでは無かった。

 僕は眞野ミコに謝ってほしいのでは無かったし、むしろ逆だ。


 今の彼女は自分の作ったキャラクターを演じることなく、ナチュラルな表情で持って僕に謝罪の言葉を向けていた。

 それはきっと、彼女の本心だった。

 

 僕は、実は心の底で期待していたのだと思う。


 彼女が魔女に戻ることを。


 自分が作ったキャラクターに飲まれながら、同時に現実に虚構で持って立ち向かう姿を見ることを。


 ……そして、その隣に僕がいることを、期待していた。


「いいよ」

「……」

「大丈夫。大丈夫だから。……がんばってね、大学に行っても。医学部でしょ。応援しているから」


 僕はそう言うと、空中庭園から去っていく。

 僕は僕の虚構に、彼女は彼女の現実に。


 僕と彼女の隠された時間は、そうして隠れたまま消えていった。

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