家政士系宇宙人に絆される

海沈生物

第1話

 絵描きソフトの新機能を使って遊んでいると、外で買い物中の宇宙人から無機質な声のテレパシーが飛んできた。


『原稿の進捗はどう?』


 私は画面に映る落書き未満の絵たちに目を向けると、軽く深呼吸をする。


『とーっても順調や。今ちょうど、三ページ目が完成したところやで』


『そう。なら良かった。あと五分ぐらいで帰宅する』


 彼女は『それじゃあ後で』とだけ言うと、テレパシーを切った。私はホッと息をつくと、目の前のペンタブに映る落書き未満の絵たちを急いで消した。こんなことをしている場合ではない。というか、締め切り明後日なのにどうしてこんなことしているんだ、私。


 せっかく、あの謎の宇宙人こと「ヘルス」に家事全般と原稿進捗管理を無償でやってもらっているのだから、しっかりしなければならない。これ以上、迷惑をかけるわけにはいかない。私はパンッと頬を叩く。ペンを取ると、まだ進捗20%にも到達していない原稿と向かい合った。




 私とヘルスが冗談みたいな出会いを果たしたのは、数か月前の秋の日のことであった。私がいつものように三十本のエナジードリンクを一気飲みして深夜作業をしていると、唐突にその美女は「出現」した。しかも、私がちょうど描いているに。


 私の心には「なんで急に謎の美女が」という戸惑いがあった。しかし、彼女の出現など些末なことである。私は今にもひび割れそうなペンタブの姿を見ると、彼女がその上に乗っていることなど気にせず、引っ張った。


 画面を服の袖で拭きながら、汚れや傷痕がないかと確認する。なんとか傷跡が付いてないことを確認すると、ホッと息をつく。あぁ、良かった。私の数万円が無事で本当に良かった。安堵からギュッとペンタブを抱きしめる。


 その時だった。「あっ」と気の抜けた声が聞こえたかと思うと、テーブルの上でフラフラしていた彼女が落ちてきた。顔面から落ちてきたので、「雑誌のモデルみたいに顔が良いな」と感心していたが、一秒後の痛みで全てが吹っ飛んだ。


「がはっ!」


 絶対にアニメキャラしか出さないやろ、と思っていた声が人生で初めて出た。私はその場に倒れ込むと、呼吸のできない苦しみに喘ぐ。死ぬ、死ぬ、死ぬ。これは死ぬやつだ。ひひっ、死ぬ。


 しかし、三分ぐらい死ぬ死ぬ詐欺をしていたら普通に呼吸ができるようになってきた。最後に大きく深呼吸をすると、もうすっかり落ち着いてきた。生き延びた、なんとか生き延びることができたのだ。


 家族に「泣き上戸」と言われるほど泣いてしまう癖のある私は、その事実にホッとして、涙がポロポロと溢れてきた。とはいえ、今は死にかけた原因の彼女がいるのだ。こんな泣き顔を見せるわけにはいかない。服の袖で涙を拭うと、振り向いて彼女の姿を探した。しかし、彼女は後ろにいなかった。


 なんとヘルスはあろうことか、私の冷蔵庫の中身を物色していたのだ。まさか、冷蔵庫の奥に隠してある新作のエナジードリンクを飲む気ではないのか。それだけは譲るわけにいかない。

 まだフラフラな足取りで彼女の背中の服を掴むと、膝を屈めて冷蔵庫の中を眺めていた彼女を床に引きずり下ろす。これでエナジードリンクが助かる。


 いつものようにホッとして泣きそうになった瞬間、突然が目の前に飛んできた。涙も切れた。大量のエナジードリンクはすんでのところで彼女の背中から生えてきた大量の触手によって、受け止められた。

 ポカンと口を開けてその姿を見る私を横目に、彼女はそのエナジードリンクを開封して、中身を全て飲んでしまった。その中にはもちろん、私の隠していた秘蔵のエナジードリンクもあった。


「あっ……」


 終わりだ、と思った。今夜はまだ原稿が10ページも残っているのに、冷蔵庫の中にあるエナジードリンクを全て飲まれてしまった。このまま首を吊って死んでしまうしかない。今まで根気強く私のことを見てくれていた編集さん、遠くで暮らしている両親や妹など、走馬灯が見えてきた。

 フラフラとした足取りでロープを探そうとする私に、その宇宙人ちゃんはグイッと触手で身体を縛ってきた。


『死ぬつもりなのか?』


 脳内で反響する声に身体が一瞬固まる。これは一体、どんな魔法なのか。頭をぶつけたせいで、ついに私はおかしくなってしまったのか。夜が明けたら病院に行くべきなのか。いや死ぬなら関係ないか。

 そんな私の心を読んだかのように、彼女は溜息をつく。そうしてキッチンから包丁を取ってくると、それを首元に突き付けてきた。


『エナジードリンクは、カフェインの塊だ。こんなものを常用していたら、肝臓は機能不全に陥り、やがて死ぬぞ』


「そ、それ、本気で言っとる?」


『本気、っていうのがよく分からないけど、多分そう。真面目に忠告している』


「あー……いやいや、そっちのことやない。私が言っているのは、今首に突き付けてる方やな。それは、食べ物を切る道具や。今みたいに人間へ向けるような武器ちゃうで」


『そう、なのか。だったらすまない。てっきりただの棒かと思った。人間のこと、よく分かっていなかったみたいだ』


 静かな空間に金属音が響くと、身体中の体毛が猫のように逆立った。そっと包丁を拾いあげて台所に戻すと、一安心する。緊張からの緩和でまた泣きそうになったが、今はまだ泣いている場合じゃない。


 涙をなんとか引っ込めると、今度は彼女が中指をこちらに向けてきた。何か変なことをされるのではないかと警戒した。しかし、彼女の美少女顔を観ていると、何もしないというのも可哀想な気がしてきた。「この美少女顔が……」と思いつつ、指を震わせながら私の中身を当てた。


 それにしても、指が細い。まるで芋けんぴのように細い。思わず「あぁ」と感嘆の声を漏らすと、ちょうど同じタイミングで彼女も同じ音を漏らした。


「あーあー……よし、大丈夫だ。これでお前と同じ言語を”口”で発音できるらしい。すまないな、迷惑をかけて」


「本気で迷惑かけたと思ってるんやったら、さっきぶつかってきた分の慰謝料を頭からつま先まで払ってほしいやけどなぁ」


「いしゃ……なんだ、その未知の概念は」


「冗談や冗談、本気にしたらあかんで。……って絆されたらあかんあかん、それよりもあんた何者なん?」


「言ってなかったか? 人型アンドロイドだ……冗談や冗談、だが」


 下手な関西弁の模倣にイラっとしたが、表情から悪気がないことを理解すると口を閉ざした。彼女は引き続いて自己紹介をしてくれると、自身の名前が「ヘルス=プロキオン」であることを教えてくれる。


 どうやらプロキオン、小犬座の方からやってきた地球外生命体らしい。「へぇー、なるほどなぁ」と聞いていたが、もちろん真に受けるわけがない。


 そもそも、この世界にファンタジーなものは存在するわけがない。全ては物理法則に支配されているし、宇宙人が突然ペンタブの上に現れるわけがない。これはきっと、エナジードリンクの飲み過ぎなのだ。次からは一気飲みする数を二十本ぐらいに減らそう。彼女の言葉を”返してもらう”としたら、「冗談や冗談」なのだ。

 部屋に転がる数十本の缶を見て、唇を噛んだ。


「もう締切まで時間ないし気合いで原稿の続きをやるから、部屋にいるなら大人しくしててな」


「分かった。……壁は見ていても大丈夫か?」


「ま、まぁそのぐらいやったらええけど」


 やはり疲れているのだろう。頭のぶつけた部分を軽く撫でると、原稿を再開した。

 それから数時間後、ついに原稿が完成する。肩凝りと眠気と空腹の三重苦で死にかけていたので、せめて何か口に入れようかと冷蔵庫を漁ろうとする。


 だが、それよりも先に机の上に冷蔵庫の中にあった余り野菜で作ったチャーハンと中華スープがあった。カップ麺でもない、コンビニ飯でもない、手作りのご飯。久しぶりのご飯に目が自動的に輝き、涙が出てきた。相変わらず壁を見たままの彼女の姿を探すと、お風呂場から出てきた様子だった。


「あー……すまない。壁はちゃんと見ていたのだが、お前の“健康”が気になった。冷蔵庫の端で死にかけていた食材を使わせてもらった。あと、お風呂もスイッチを入れてきた。ところで、どうして泣いて————」


「————泣いてへんわ! あと、もう原稿終わったし壁を見んくてもええ。……それで、これ食べてええんか?」


「あぁそうだ。お前のあと一か月足らずで栄養失調どころか死亡事故を起こしそうな”健康”を考慮すると、これを食べない手はないからな。むしろ、さっさと食べろ」


 目の前の数週間ぶりの「ご馳走」に若干の戸惑いを覚えながらも、空腹には逆らえない。まるで飢えた思春期の運動部の男子高校生のようにご飯を飲み込んでいく。もはや食べるという勢いではなかった。味の美味しい美味しくないも分からない。ただ、乾いた肉体を、温かい食べ物で満たしていく。


 チャーハンとスープを食べ終えると、ふと冷凍庫の中にが消費期限のバームクーヘンがあったことを思い出す。腹八分目の身体を引き摺って冷凍庫のドアを開けると、そこにはあるべきはずのものがない。なかった。焦る私に「そこにあったものは食べた」と冷静な声が聞こえてくる。


「それは……あぁ、もうええわ。でも、人のもんをこれから食べるのはやめとき」


「そうなのか? ”名前が書いていないのならば、それは食べて良い”と書いてあったはずなんだが、やはり三流の宇宙雑誌は役に立たないな。意味があるのは実際の”人間のデータ”だけだ」


「"人間のデータ"、って。あんた、どこかの星からの侵攻者インベーダーなんか?」


「それは違う。守秘義務があって任務の詳細は言えないが、あくまでも人間の調査に来ただけの、ただの友好的な来訪者クライアントだ」


 そう言いながら、冷凍サラダを解凍したものを渡される。インゲンが苦手な私は買ってから後悔して冷凍庫に放置していたのだが、ここでお目にかかる羽目になるなんて。とりあえず「食べれへん!」と拒否しようと思った。

 しかし、


「食べろ」

「食べろ」

「食べろ」

「食べろ」

「食べろ」

「食べろ」

「食べろ」

「食べろ」

「食べろ」


と機械的な圧力をかけれると、簡単に敗北した。ついに一口だけ食べた。手作りというわけではないし、まぁ不味い。


「も、もう食べなくてもええよな?」


「食べろ」


「でも、一口食べたし?」


「食べろ」


 私と気持ちを汲む気はない、というよりは、私を本気で「人間のデータ」としか認識していないらしい。大人しく子どもが苦手なピーマンやゴーヤを食べる時のように、目をつぶって皿の中にある野菜を全部飲み込んだ。口の中に残った食感に辟易とする。食べ終えた後も、ヘルスは別段褒めてくれるということはない。


 お皿だけ洗ってくれると、今度は身体を持ち上げられた。そのまま服を脱がされそうになったのにはさすがに抵抗して、床に転がる。まさか今まで淡々と私にご飯を与えていたのは、私と「行為」をするためだったのか。


 そう警戒心剝き出しでヘルスを睨み付けていると、ちょうど部屋に『お風呂が湧きました』というボイスが響く。彼女は床に乱れた服装のまま転がる私を見下げると、また無言の圧力をかけて……こなかった。


「すまない。肉体的には同性同士とはいえ、今のは”配慮”に欠けた行動だった。私はただ、お前にお風呂へ入って欲しかっただけなのだ」


 それよりも前の食事についての”配慮”に関して問い詰めたい気持ちはあったが、珍しく表情筋を動かして謝ってきた姿に言葉を飲み込んだ。


 私は胸を服で隠したまま脱衣所まで来ると、ほっと一息ついてちょっとだけ涙をこぼす。あまりにも表情がないので機械か人工知能なのかと思ったが、ただ単純に表情筋が死んでいるだけだった……のだろうか。改めて思い出してみると、本当に表情筋が動いていたのか記憶が怪しくなる。


 そもそも、まだヘルスという存在は「夢」や「幻覚」である可能性が十分にあるのだ。創作のし過ぎなのかもしれない。明日からは一週間休みがもらえるようだし、しばらく創作というものから離れて静養しよう。そうと決まれば、お風呂である。

 服をさっさと脱いで洗濯機の中に直接入れてしまうと、何日ぶりか記憶にない浴室のドアを開く。


「あぁ、やっと来たか。徹夜しすぎた身体で突然お風呂に入ると、いくら若いとはいえ、温度差でショック死してしまう可能性があるからな。とはいえ、そのまま寝かせると明日の病院にお前の体臭を持ち込むことになる。そこで、私が」


 ドアを閉めた。いつの間にか置いてある服を着直して、もう寝ようかと思った。だが、それよりも先に彼女の触手で浴室の中に引きずり込まれる。やはり、さっき見た表情筋の動きは幻覚だったのか。いつもより暖かい浴室を意外に思っていると、ヘルスからかけ湯をされる。彼女の服がびしょ濡れにならないのかと後ろを向くと、既に裸になっていることに気付く。


 頭以外の全身にお湯をかけられると、まるで介護をするように抱きかかえられたままお風呂に入れられる。私が膝を折ると、狭いお風呂の向かい側に彼女も入ってくる。しばしの安らぎ。久しぶりの感覚に疲れが落ちていくのを感じていると、突然、ヘルスが顔を近づけてきた。


「お前は……ふむ。やはり、人間というものは同じ顔をしていないのだな」


「あ、当たり前やろ! 人間は単細胞生物というわけではなし、アダムとイブの顔が無限に遺伝し続けているわけやないし」


「あだいぶ? ……それより、どうして人間は肉体や意識を統一しないのだ? そうすれば、種の”健康”を管理をするのが楽になると思うのだが」


「知らんわ。そういうのは、弁天様とか布袋様とかに聞かんと」


「弁天も布袋も七福神という種であるだけで、人間を作ったわけではないのではないか?」


「知ってるなら聞かんといてよ!」


 お風呂の水に半分だけ顔を付けてブクブクとする。ヘルスが「お風呂のお湯には私たちの汗が染み出ているわけだが、汚いと思わないのか?」と冷静なツッコミを入れてきたのを聞いて、興が冷めた。代わりにヘルスの顔でも見てやろうかと思っていると、そのタイミングで彼女が立ち上がった。


 私より二頭身近く高い身長に思わず「わっ」と声を漏らす。そのまま抱きかかえられると、椅子に座らされた。まさか、そんなところまで。つい変な想像をしてしまっている私に、タオルを投げてくる。


「さっきの失敗から学んだからな、同性同士とはいえ”配慮”する。部屋を暖房で温めているとはいえ、長時間のお風呂は今のお前にとっては"健康"に悪い。布団を整えておくから、程々のタイミングで出てこい」


 そう言うと、私一人を残して去って行った。取り残された私は一人勝手な妄想を膨らませていた自分に自己嫌悪して、その場で声にならない声を上げた。言ってから、真夜中とはいえ隣人に聞こえていたら不味いなとひたすらに後悔した。

 お風呂から上がると、あれだけエナジードリンクで溢れていた床にゴミがなく、布団もホテルみたいにふんわりとした仕上がりになっていた。洗っていたというわけではないので、匂いは変わっていない。


「完璧がモットーなんだがな。さすがにお前がお風呂に入ってくるだけの時間で布団を洗って乾かして干して取り込む、のは無理だった。明日、お前が病院へ行く前にやっておこう」


「行く前って。ヘルス、明日もいる気なん?」


「当然だ。……まさか、私がこれからという"大恩"を気にしない生物だと思っていたのか?」


「逆にこれからここに泊まるつもりなん?」


「ダメなのか? 別に滞在期間や滞在場所に規定はないからな。お前が"健康"になるまで、私が”家政士”としてずっと付き添ってやる」


 そのついでに仕事としてのデータ収集もやるからな、と言いつつも、少し自慢げな表情をしているように見えた。実際は表情筋がほとんど動いていないので、ただの私の妄想でしかなったようだが。


 明日に行くらしい病院を憂鬱に思いながら、そういえばベッドは一つしかないことを思い出して、顔が熱くなった。私は勝手にこぼれかけた涙を袖で拭うと、ヘルスの待つベッドへと急いだ。




 それがヘルスと私の冗談みたいな出会いだった。今では彼女との生活がすっかり日常となっているが、思い出してみると、やはり異常な出会いだったなと思う。


「ただいま、帰ったぞ」


「あぁ、おかえり……って、もう帰ってきたん?」


「あぁ。想定時間は五分だったんだが、なんだかお前の様子が気になってな。裏道を通って急いで帰って来た。……それで、本当に進捗は進んでいるのか?」


 いつものように表情筋を動かさないまま、彼女が原稿を見てこようと顔を近付けてくる。そんな彼女に対して、私は咄嗟にペンタブを身体で隠した。私が「企業秘密や! 企業秘密や!」と叫ぶ姿を見ると、思ったより簡単に彼女はすっと顔を離してくれた。


 どうしたのかなと思っていると、不意に彼女は笑みを漏らした。



 普段は絶対にしないであろうウィンクまでしてきたのに、私はつい顔が赤くなる。


「……べ、別にあんたに絆されわけじゃないからなぁ! 私は!」


「分かっている」


「その返事は絶対分かってへんやつやん」


「ほら、原稿をやれ。明後日が締切なんだから」


 触手でぐにょぐにょと頭を撫でられると、どうにも逆らえない気持ちになり、しゅん……となった。私はただ、熱くなった顔がどうにか一秒でも早く冷めてくれることを願いながら、泣きそうな顔で原稿を進めた。

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