雛鳥の殻破り 7(幕間)

 賢楼館けんろうかんを出た二人は、再びひばりの運転する車に乗って横浜を離れた。車は右手に太平洋を一望しながら、スピードを少しずつ上げていく。

 せっかく南関東まで来たので、森岡の実家に立ち寄り家族に挨拶をさせて欲しいとひばりが願い出た。体内に眠っていた魔力の種を発芽させ、魔性の世界に引き入れてしまったことを両親に謝罪したかったひばりだったが、しかし、家に帰れば距離を空けると決めた弟に会うことになってしまう。再会するのはもう少し先にしたいという森岡の思いを優先して今回は見送ることにした。

 だというのに、なぜか車は東京方面へと向かっている。


「ひばりさん、どこに行くんですか?」

「モーリーさんはどういう魔術師になりたいですか?」

 質問に全く別の質問で返され困惑したが、森岡はひばりの問いかけに思考を巡らせた。どんなと言われても、そもそも魔術師とは何をするものなのか、どうやって生きていくのが普通なのかもわからない。森岡が知る魔術師はつい先程少しだけ話しただけの西くらいのものだ。畦地にも会っているが、ただの無礼なおじさんというイメージしかない。生計を立てるにしても、賢楼館のようなお堅そうなところで働く自信もないし、ひばりのようにお店を構えてまじないを売る以外思いつかない。


「自分が魔術師として生きていくことが、あまり想像出来ないです。魔術師って普通どういう風に生きていくものなんですか」

「魔術師として生きている人はあまりいないですね。魔術師は魔女と違って、一般の方に直接作用するおまじないを作ることができないので、例えば魔術具で自らのプロポーションを磨いてモデルをしている方だったり、顔料を魔砂で作り出して絵画を描く画家だったり、あとは……えーと、デザイナーなどがいます」

「へぇ……芸術家が多いんですかね」

「研究家気質な人も多いので、発明家や製薬会社に務めている人もいますね。他にも身体能力を強化して軍人になった人や冒険家として活躍する人もいるんですよ」

 ひばりは思いつく限りの魔術師の顔を浮かべて例を挙げるが、皆自由に生きているのでここではとても挙げきることが出来ない。

「すごいなぁ。私は特にやりたいことも思いつかないし、得意なこともないから……」

「あら、私、モーリーさんの作るお料理大好きですよ? 先ほど蜀魂の間でも答えてましたし、料理は特技でないんですか?」

「正直、特技と言える程のものでは……」

 森岡は特段料理が好きで料理人をしていたわけではない。高校時代にホールのアルバイトとして入ったトラットリアで調理師になることを勧められ、他にやりたいことも思いつかないので、言われるまま調理専門学校に入学した。在学中もそこでアルバイトを続け、卒業後にはそのまま正社員として就職した。

 飲み込みの早かった森岡はあっという間にスー・シェフまで駆け上がり、その頃には料理自体も楽しいと思えるようになっていた。色んな食材、調味料を様々な方法で調理していくことにやり甲斐や魅力を感じているのは間違いないが、好きかと聞かれると何とも言えない。そんな気持ちで厨房に立ち続けることは周りに申し訳ないという思いでいたが、店が忙しく、他に仕事を見つける気にもなれなかった。

 そんな時に弟との関係に変化があり、その後ひばりと出会った事で森岡千鶴の人生という物語は一変したのだった。

 良くも悪くも、人に示された道をただ歩んできた人生だと気づいた森岡は、自嘲するようにポリポリと頬を掻いた。

「でも、食べてくれた人に喜んでもらえるのは素直に嬉しいです」

「ふふ。モーリーさんらしいですね。ほとんど強制的に魔術師になったようなものですし、無理に探す必要もありません。これからゆっくり見つけていったらいいと思いますよ」


 ひばりと森岡が乗った車はサービスエリアに停まった。移動販売車から立ち上るコーヒーの香りに誘われ、2人はそれぞれ持ち帰り用のカップを手にし車に戻った。

「移動販売かぁ……楽しそうだな」

「日本中を回ってモーリーさん特性のコーヒーでも販売してみます?」

「うーん……できればあの街に根を張りたいです。かなり気に入ってるので」

 へへっと照れたように笑う森岡に、ひばりも柔らかく微笑み返した。自分の住む街を好んでもらえて、誇らしさと喜びが胸に溢れる。

 そんな2人を包み込むように、濃厚なコーヒー豆の香りが車内を満たしていた。

「そういえば」

 ひばりはふと思い出したように眉を上げ、人指し指をピンと立てた。

「魔草の類でコーヒー豆に似たものがあった気がします。名前は忘れてしまいましたが、毒性はそんなに無くて、焙煎して擦り潰すととてもいい香りになるんです。食したことはありませんけど、うまく使えば食材としていいんじゃないかしら」

「へぇ……魔草にもいろいろあるんですね」

 ひと括りに魔草といっても、花をつけるもの、胞子から生まれるもの、細胞分裂するものなど、繁殖の方法や形状は多岐にわたる。まだまだ謎が多いため、安易に口に入れる者はあまりいないのだが、それがかえって面白いかもしれない。

「前にモーリーさんが躊躇なくイスリルもどきを調理したことがありましたけど、あれ、すごいことなんですよ。大半の魔草は、自身とは別の魔力に触れると何かしらの反応を起こしてしまいます。実際あれには私も魔力を吸い出されましたし、中には溶けてしまったり自爆するものもいるんです」

「じ、自爆ですか」

 森岡が知る食材とは全く違い、危険を帯びた行為だったことに今更戦慄した。もちろんひばりは危険がないことを確認した上で森岡の手を借りたはずだが、実際のところはわからない。ひょっとしたらただ面白がっていたのかも知れない。短い付き合いだが、森岡はひばりが穏やかな笑顔の裏に隠した悪戯好きな一面を見抜いていた。しかし、そんなところも嫌いじゃないというのが森岡の本心だ。

「でも不思議なことに、モーリーさんの魔力には反応しなかった。これは特技というか、特異体質なのかもしれません」

「特異体質……魔術師はみんなそういう特殊なスキルがあるんですか?」

「いえ、むしろ、特異体質の者は蜀魂ほととぎすによって魔女と判断されます。例外もありますが、そういった体質を持つ魔術師は極々稀です」

「え! ってことは私にも魔女の素質が……」

「残念ながら、蜀魂は魔術師と判断したようです。目覚めが遅かったのと魔力量の少なさに原因があると思います。モーリーさんは極々稀の中のひとりということですね」

「なんだぁ~。私も魔女だったらお客さん相手に幸せな気分になれる料理を提供できたのに」

 そう言ってから、森岡ははたとひらめいた。


「ひばりさん、フラン・フルールの前で青空キッチンをやってもいいですか」

「青空キッチン?」

 森岡はワクワクした表情を運転席に座るひばりに向けている。

「はい! あの通りは程よく人の流れがあるし、幸いなことに道幅が異様に広い遊歩道になっている! テイクアウトするもよし、テーブルなんかを置いてそこで食べてもらうもよし! どうでしょう!」

 鼻息を荒くし拳を握りしめながら力説する森岡に圧倒され、ひばりは少しだけたじろいだ。青空と聞いてイメージするのは屋外だが、衛生上それはどうなのだろうか。

「店の前にキッチンを置くんですか」

 ひばりの疑問に、ふふんと得意げに片方の口角を上げた森岡は、先程のひばりと同じように人指し指をピンと立てた。

「キッチンカーを置くんです。さすがに平日の集客はそれほど見込めませんから、決まった曜日だけ営業して、それ以外の日はひばりさんのお手伝いをします。常設じゃないから営業許可ももぎ取れるだろうし、ちょっとその辺は詳しく調べなければいけませんけど」

「なるほど……」

 ひばりは思案するため顎に手を当て目を閉じた。まじない屋としてのフラン・フルールは”知る人ぞ知る”魔女の店だが、正直、一見さんには入りづらいのではないかと前々から考えていた。そこにキッチンカーを置いたら、少しは敷居が下がってお店に入ってきてくれる人が増える可能性がある。何より、営業日以外は森岡が手伝い――要するに助手をしてくれると言うではないか。そこまでデメリットがあるとは思えな素敵な提案だ。そして、次の一言がひばりの心を固める決定打となった。

「それにね、私が出勤している日はひばりさんのお食事作ってあげられますよ」

「採用」


 そうして、森岡の今後の目標は定まった。

 開業資金を用意し、キッチンカーを手に入れたらすぐにでも開店するつもりだ。メニューは魔草を使用した変わった料理や飲み物を提供する予定だが、口に入れても良い種類や、ノクターン協会が定めるルールがあるかもしれない。それについても猛勉強する必要があった。でもどのように学べばいいのか…。

 そんな小さな憂いを感じ取ったのか、ひばりは飲み干したコーヒーのカップをグッと握り締め森岡に微笑む。

「安心してください。モーリーさんには魔性のなんたるかを教えてくれる心強い先生の元へ修行に行ってもらいます」

「え? 今からですか? た、楽しい旅行は? 海は?!」

「モーリーさん、私は今、とてつもない使命感に駆られているんです。モーリーさんを立派な魔術師にするため、ひいては私の食…助手をしてもらうために!」

 時々漏れ出るひばりの本音には目を瞑るとして、ぽっと出のど素人に師事を付けてくれる人がいるというのかという疑問を持つ。それを察してか、ひばりは不敵な笑みを浮かべながら人差し指を立てた。

「これから都内に住む私の叔父であり先生でもあるノリス叔父様の元へ行ってもらいます。大丈夫、先程電話でモーリーさんの話をしたら喜んで引き受けてくれましたし、手加減は不要と伝えてあります。びしばししごかれて来てくださいね」


 ――ひばりさんそれはもう、決定事項なんですね……。嗚呼、楽しい旅行……。

 ひばりは曇りのないキラッキラの華やかな笑顔を森岡に贈った。


「ん~! こうなったらヤケです! 立派な魔術師になってやる!」


 斯くして森岡はノリスに師事するため、ノリスの仕事場の住所が書かれたメモのみを渡され、半ば強制的に大都会に一人放たれたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

憂い多き魔女の半生 諸麦こむぎ @Moromugi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ