雛鳥の殻破り 6
仕切り直し、とでも言うように姿勢を正した西は、一際清廉な声色で宣言をする。
「これより、箱守ひばりの雛鳥である森岡千鶴と、箱守家の縁組の義を執り行います」
その時、森岡がおずおずと右手を挙げ、申し訳なさそうな声をあげた。
「あ、あの、ずーっと気になってるんですけど、雛鳥ってなんですか? 私のことを指してるんですよね? 実の所よくわかっていなくて……」
「ひばり……さすがにそれくらいは説明しておいてくれ」
「うっかりタイミングを逃しちゃって」
ひばりの悪戯心で焦らしに焦らした結果、結局この時までほとんど説明もないまま面談に挑むことになった森岡は「私は悪くない」と居直り、両手を膝の上で揃えてお行儀よく西と対面していた。
西が言うには、雛鳥とはノクターン協会に認定された魔女や魔術師の一族が、魔力を持たない常人同士の両親の間に魔力を持って生まれた子供を引き取り庇護することをいう。そのまま師弟関係になったり、養子縁組をするケースも多いが、強制ではなく、互いの了承のうえで執り行われるものである。
「わ、私、ひばりさんのことは大好きですけど、養子になるのはちょっと……」
「大丈夫ですよ。私達が結ぶのはご縁であって、戸籍ではありません」
「雛鳥契約は、箱守家の庇護下にあるのだから手出しは無用、という証になります」
「手出しって……あ」
森岡はつい先程、賢楼館のエントランスで畦地に絡まれたばかりだったことを思い出した。
「あれは別に私に嫌味を言いたくてモーリーさんに近づいた訳ではないんですよ」
「なんだひばり、もう誰かに茶々を入れられたのか」
「さっき、ちょっとね。お名前も忘れちゃったけど、どうやらモーリーさんを欲しがったみたい」
「箱守の雛鳥にちょっかいをかけるなんて命知らずなやつだな」
舐めるようなあのねっとりとした視線を思い出し、背中に虫酸が走る。終始ひばりへの中傷だった気がするが、あれで雛鳥としてのスカウトのつもりだったのなら、幼稚園から人間関係の築き方を学び直した方が良い、と再びグラグラと煮えたような感情が込み上げた。
――仮にひばりさんの雛鳥でなかったとしても、あんなネチネチと口汚い親父の家に入るなんて死んでもごめんだわ。
「現在、理由はわかっておりませんが、魔力を持つ者の数は減少傾向にあります。そのため皆が一族の存続のために必死なのですよ」
つまり、代々続いてきた一族が一代でも長く続くように、魔力を持った一般家庭出身の人間は取り合いになっているということだ。幼児であれば養子縁組、大人であれば婚姻をすることで戸籍上もその一族の一員となる。しかしひばりは箱守家の養子になることは否定したし、婚姻となれば考えられるのは……
「え! 私と日和君がけっこ――」
「認めません!!」
バンっとテーブルを叩き立ち上がって声をあげた。ひばりが珍しく声を荒らげたものだから、西と森岡は目を見開き固まっている。溺愛する弟が誰かのパートナーになるなんてひばりにはまだ考えたくもない悪夢だったが、取り乱したことに顔を赤くし、軽く咳払いをしてから森岡の方へ居直した。
「先程も申し上げましたが、モーリーさんと結ぶのはご縁です。協会が管理している魔術師の管理簿に署名をし、血判を押すことで魔力の登録が成されます。その際に、箱守家の雛鳥である旨を書き加えれば、それで完了です。もちろんそれによってモーリさんが箱守家の人間になるようなことはありませんし、森岡千鶴さんのまま変わりありませんよ」
「雛鳥契約を行うことで、仮に森岡さんを誘拐でもして一族に強引に取り込もうとするような輩がいても、協会がそれを認めることはありません」
「そんな不届き者がいたら私がこの手で始末してやりますけどね。ふふっ」
無邪気な笑顔で恐ろしい事をいうひばりに、森岡は得も言われぬ不安を感じた。
「モーリーさんの魔力を発芽させてしまった責任はきちんと持ちます。モーリーさんが立派な魔術師として独り立ちできるよう、育てあげてみせますからね!」
熱意のこもったひばりの決意表明に気を止めることなく、西は何事も無かったかのように冷静にテーブルの上に書類を広げた。
ひばりは左の薬指に銀のナイフで切れ目を入れ、湧き出た血液を紙に押し付ける。痛々しいその光景に森岡は怯んだが、西もひばりも、さも当たり前のように進めていくため腹を括らざるを得なかった。
一通りの書類に署名と血判を押し、これで手続きが完了したかと思われたが、西はもう一度湯を沸かし始めた。まだ帰れないのかと若干ゲンナリした森岡とは対照的に、ひばりはどこか期待したような目でそわそわしている。ドリップしたコーヒを再び二人に渡した西は、ちらりとひばりに視線をやった。
「時にひばり、先程魔道具について何か言っていなかったか」
その言葉を聞いたひばりは、待ってましたとばかりにその美しい顔にきらっきらの笑顔を浮かべる。
「そうなの。うちにね、魔道具が三体あるの」
「魔道具が三体……魔術具でなく?」
「ええ。魔道具が三体。ひとつはピアス、ひとつは水差し、もうひとつはコンパクトミラーなの。モーリーさんはその子たちの影響で発芽に繋がったのよ。凄いわよね」
楽しそうに話すひばりの正面に座る西は目を細め固まっている。そして考えるように幾ばくか俯いてからガタリと立ち上がった。驚いた森岡は思わず足してもらったばかりのコーヒーを落としそうになる。
「魔道具が三体!?」
「さっきそう言ったじゃない」
「お前! どんな手を使ったんだ!」
「どんな手って、私は特別何もしてないんだけど」
「そんなわけあるか! どうせまたおかしな魔術具でも作って怪しい商会に売りつけてどこからか秘密裏に仕入れてきたんだろ」
「西君……私のこと一体何だと思ってるの。モーリーさんがびっくりしてるわ。大きな声を出さないで」
二人のやり取りにあわあわとやり場のない手を空中で彷徨わせている。
「う、申し訳ない。いやしかし、どんなに優秀な魔術師や錬金術士だって、一生に一度お目にかかれるかどうかの代物なんだぞ?」
困惑した表情で額に汗を浮かべる西を見て、森岡はこれが只事ではないことを察した。
「魔道具ってそんなにすごいものなんですか」
「はい。俺もまだ協会に保管されている物以外、見たことが無い。そう簡単に拝めるものではないんですよ。だと言うのにこいつはなんでもない事のように……」
「あら西君、魔道具見たいの?」
「……持ってきているのか?」
たった今まで懐疑的な目を向けていた西が、期待と疑念の入り混じった複雑な表情を浮かべている。西も元々は研究員志望だっただけあって、好奇心は旺盛。やはり一度は触れてみたい代物のようだ。ひばりの身の回りをぐるりと見渡し対象物を探している。
しかしひばりは手ぶらである。ハンドバッグの一つも持たないひばりは一体どこに魔道具を隠しているのかとじれったく感じていた。
「持つというより、私と一体化してるの」
「一体化? それはどういう――」
「見た方が早いわ。リヒト、カガミ」
「こちらに」
ひばりの呼びかけに応え、一弾指の間に音もなく現れた二人は、ひばりの背後で右手を胸に当て主に忠誠の意を表す。
西は突然現れた二人の男性に警戒をし、咄嗟に腰に隠していたナイフに手をかけた。しかし身に纏う魔力が異質だったこともあり、すぐにこの二人が人では無いことを察知したが、あまりに一瞬のことだったのでかなり困惑していた。
そんな西を尻目に、ひばりと森岡はリヒトとカガミの頭を撫でている。まるで二匹の大型犬のようだ。
「西君、ナイフを離してくれる? この子たちが私の魔道具よ。ちょっとこの子たちについて相談があるの」
「……えぇ~」
――全ての魔術師の憧れである魔道具、思ってたのとなんか違う。
*
「なるほど。ひばりが求めていたわけではなく、魔道具の意思でひばりの元にやってきたと」
ひばりはこれまでの経緯を手短に西に説明すると、西は立ち上がりこめかみに手を当てたままぐるぐると応接室の中を歩き始めた。コツコツと古い床板を鳴らす革靴の音は、どこか上品さを感じられる。どうやら歩きながらあれこれ考えているようで、ブツブツと独り言をつぶやいている。
「この子たちの意思なのかもわからないんだけどね。そんなことがあるのかどうか、なんでこんなことになっているのか調べて欲しいの」
うーん、とこめかみを抑えながら唸る西は、ひばりの後ろでぼーっと立っているカガミに目をとめた。
「君は……ええと、カガミだったか。カガミはひばりの元に行かなくてはならないと感じたのだったね」
カガミは突然話しかけられ、ビクリと肩を震わせ、スッとリヒトの後ろに隠れた。そしてリヒトに何かを説明するようにもごもごと口を動かしている。
「申し訳ありません、カガミ本人もよくわかっていないようです」
カガミの代わりに答えたリヒトは、眉を八の字に下げ困ったような笑顔を向けた。
「どうかしら西君。魔道具について調べてみたくなった?」
「……まぁな。しかし、俺の周りに詳しい者などいないからなぁ」
大げさに天井を仰ぎ見る西に、ひばりはくすくすと笑った。
「その辺は協会の人脈を辿って、詳しい人を探し出してくれると嬉しいのだけど」
「俺に話したのはそれが目的か?」
「まさか。研究ばかな西君にだからお話したのよ」
「研究ばかはひばりもだろう。まぁいい。あまり期待はせずに待っていろ。何かわかったら連絡する」
「さすが西君。聞きたいことがあれば、私にわかる事だったらなんでも答えるわ。今度たくさん魔草で作ったお菓子を送ってあげるわね」
蠱惑的な笑みを西に向けたひばりは、残ったコーヒーを飲み干し、森岡を連れて賢楼館を後にした。
部屋に残された西は、ひばりが使っていたカップの縁を撫で、ほぅっと息を漏らす。1人になり気を抜いた途端に、頬にぶわっと熱を持った。ひばりが昔に比べて力をセーブしてくれているのがわかってはいたが、どうにも抑えきれない感情が湧き上がってしまうのは、彼女の能力の一端なのだから仕方のないことだ。友人であるからこそ、変に気を遣わせたくないとは思いつつ、これからもひばりと関わりをもつことができることに喜びを隠しきれない西は、書類を片付けると新たなおもちゃを手に入れた子供のように軽い足取りで退室していったのだった。
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