灰降る光

いいの すけこ

彼女の葬送の流儀

 音もなくほどけた。

 多分、ひとりの人間の命が。

 魂というものは、その人が生きている間は肉体としっかりと繋がっていて。人が命を手放すとき、その結び付きがほどけるのだ。

 ただの俺なりの想像というか、比喩なのだけれど。君の目の前で今確かに、人一人の命がこの世界との繋がりを断った。

 まるで君が、その人の魂の結び目をほどいたようだった。


 大きな革張りの椅子に、ゆったりと体を預けた老紳士。穏やかにな表情で眠っている。恐らく、二度と目覚めることはない。

 眠りの直前、老紳士の胸元に伸びた彼女の指先が、不思議な動きをした。宙でスマホの画面でもいじっているような手付きにも見えたし、文字か模様を書いているようにも見えた。

 古めかしいデザインの真っ黒い学生服を――君は喪服のようで好きだと言っていたけれど――着ているのに、なぜか手には真っ白い手袋をはめていて、その白い布地に包まれた指先を踊らせたと思ったら。


「写真に撮っても、大したものは写らないと思うよ」

 振り向かずに君が言う。

「あなたはいつも、スマホのカメラを構えているね」

 手のひらがひどく熱かった。

 俺のスマホは常にモバイルバッテリーに繋ぎっぱなしだから、いつだって熱を帯びている。撮りたい何かや情熱が、本当はあるわけでもないのに。それでも写真は嘘をつかないから、意味があってもなくても思い付いたようにシャッターを切る。

「その、君がしたことも、写らない?」

「私がしたこと?」


「その人の胸のあたりから、光みたいのが抜け出てきて。君の指先に吸い込まれていった」

 写るかと問いはしたけれど、シャッターを切ってはいなかった。だから自分の記憶という、曖昧であやふやな、絶対の真実には足らないものにすがって説明するしかない。

「写らないと思うよ」

 そっけない君の答え。そもそも聞きたいのは、現象が写るか否かではなく。

「あれは、なに?」

 あの、光みたいなもの。

 光がその人の体を離れて、そして彼は命も放したようだった。

「君は、なに?」

命の光、みたいなものを、ほどいた君は。


「カメラも良いけど。自分の目で見て、焼き付けておくのも良いんじゃないかな」

 声を発してもあまり動かない君の口は、答えらしいものはくれず。

 さっきとは違う風に、君は手を振る。その手の動きはこの世界のどの信仰に基づくものとも違う形であったようだけど、確かに祈りの形に見えた。

「紙に残るのも良い」

 君の手が、何かの形を描き終わった瞬間に。


 椅子の老紳士の姿がかき消えた。

 砂塵のような灰のようなものが舞う。その一粒一粒は光となって消えていく。

「けど。誰かの記憶の中に残るの、もっと幸せじゃないかな」

 何が起きたのか全く理解できず、ただ呆然と光が溶けていくのを見ていた。空に、空気の中に、時間の一部に。この世界ではないどこかに。ただ溶けていくのを見ていた。

「人間なんて最期には」

 あとかたもなくなるから。

 君はそう小さく呟いた。

 

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