鳥籠には鍵がある

倉沢トモエ

第1話 祭りの日の通り雨

 ねえ、これから怖いことがおこるの、と、紙でできたウサギの面をつけた子供が魔女の黒い袖を引いた。

「なあに、なにも怖いことはないさ。祭りだから、縁起がいいくらいさ」

 通り雨とは巡り合わせがわるい。切り紙祭りの町は、町中を飾っている切り紙を、明るい空から降りそそぐ雨から避けるのに大わらわだった。間に合わなかった飾りが濡れ落ちている。おどけたクマが手をつないでいる切り紙、月や星が幾つも連なる切り紙、色とりどりの紙の花を長く長くつなげたものは縁起がよいとされていた。

 ここは祭り見物のために通りに面して並べられたテーブル。その隅の方で、魔女(誰もが彼女をそう呼んだ)は蜂蜜茶をたしなんでいたのだった。

「あげるよ」

 ウサギは桃色の紙の花を、ゆるく編み上げられた黒髪に挿した。老いた魔女はほほえんでそれを受けた。

 それからウサギは耳元に近づいて、

「このあいだ、おなか、すぐなおった。ありがとう」

「ああ、二番地のぼうやか」

 祭りの間は子供は面を外さないしきたりだ。

「にがい薬をがんばって飲んだね。今日はお面のご利益も、きっとあろうよ」

 面を外さずに日暮れを迎えると、その年は風邪もひかず、学業もはかどるというのであった。

 その起源というのはこのように伝えられている。

 町の広場にある石造りの教会は、二百年前に建てられたそうだ。

 とある聖人がその教会に滞在したおり、紙の面や飾りで孤児院の子供たちを喜ばせ、また、面を着けると病が避けてゆくという評判も広まり、そのまま町の祭りとなったのだという。

「それがほんの百年前の話だ」

 魔女はゆっくりと話した。

「紙がその頃には誰にも行き渡るようになっていた」

 ひとの話では、今は町で薬と茶を商う店を構えているこの魔女、もとはといえば、この地のはずれにある小さな泉のそばに住み、魔術や薬の知識を修めていたと。

 たったひとりで静かに暮らしていたのだが、この地はその泉をはじめ、よい井戸水が出る水の豊かな場所だった。その水とその水で育つ森の木々を求め、紙職人たちが少しずつ移り住んで、紙を作り始めた。

 よい紙を作ることが評判となり、商人たちが訪れるようになった。また、印刷の職人たちも集まり、筆耕や書物を作る職人たちも来た。教会や学校や書肆もできていった。

 それまで人から求められれば分けていた茶や薬を、町のなかで買えるようにしてほしいと願われて、魔女が今の店へ越してきたのもその時代であったという。

「紙がこの町を創ったのだよ」

 じつに懐かしそうに申す。

「みんな紙のおかげ、それで切り紙祭りがおこったのさ。

 ありがたいことに、わたしはそのあいだ、一度も家移りを迫られたことがなかった」

 聖なる書をたずさえやってきた教会でさえ、ときには彼女の知恵を頼ってきたのだという。そして彼女もまた、快く知恵を貸したのだという。


「実に悠長なことですな」

 雨の止まぬ中、供の者がさしかける絹の傘の下から聞きなれた声。今年都から来た、教会の若い出世頭だという。絹とレースの紫の衣をまとっているのがその証拠だ。

「そちらこそ、祭りの日に、巡回ご苦労なことです」

 魔女がありきたりな受け答えをすると、傘の下からは、

「この不始末に、住人の誰からも訴えが出ないとは。 いくら祭りでも、あれが祭りの余興ではないことくらい、わかりそうなものだが」

 染みひとつない白い手袋で指し指をした先には。

 そこには広場にある例の教会があって、その鐘つき塔のてっぺんに、黒い大きなけだものがいて、雨も気にせず昼寝をしているのだった。

 黒いけだもの。頭は獅子で、鹿の角を生やし、身体は熊。両手両足は虎で、尾は蛇である。魔女がそもそも泉のそばでひとりで住まっていたわけは、はるか昔に彼女があのけだものが各地を荒らしていたところを手懐け鍵付きの鳥籠に封じていた、そのためなのであった。

「お宅の鐘つき塔に、ご迷惑をおかけしていることは申し訳ございません」

「おや、話をそらすとは」

 だが、出世頭の腹の内など、魔女には見え透いていたにちがいない。

「一昨日、お届けしましたように、鍵を盗んだ不届きなものがおりましたので、鳥籠は厳重に見張っていたのですが、あの通り、散歩に出てしまったのです」

「散歩!」

 出世頭はまるで鬼の首を取ったかのような顔だったが、魔女は構わず、

「散歩ですとも。

 町の方々も、それを承知なので訴えがないのです。おそれながら申し上げますと、この祭りの日に魔物があらわれるのは吉兆とされております。そもそも……」

「魔の者相手に、何を甘いことを」

 嘆かわし気に、いつも同じことを繰り返すのだった。

「だから、鳥籠の管理は教会が行うべきなのだ」

「幸い、祭りでしたから、今の鳥籠を整えてくれた名人の息子が町に帰っておりましてね。親父さまの跡は継がなかったが、立派な錠前師になったんですよ。渡りに船と、新しい鍵に替えてもらいました。もう以前の鍵は用なしです」

 妙な間があって、出世頭はさらに申した。

「そうはあっても、あれをふたたび封じることはどうなっている」

「それなら先ほどの錠前師に頼んでありますとも。間違いないですからね」

「なにを。錠前師に」

「まさか教会からも、どなたかお手伝いくださるのですか」

「魔の者とあっては教会も黙ってはおられぬ。

 鳥籠はどこに」

「錠前師に持たせてありますとも。

 何しろ若者で若輩ですから、どうかよろしくお願いいたしますよ」

 雨がやみ、あちこちから歓声があがった。

 出世頭は供の者とその場を去り、

「こわかったねえ」

 二番地のぼうやはそう魔女にささやいて、迎えに来た鳥の面の友達と綿菓子を買いに走っていった。これから火を吹く大男や玉乗り娘が出ているサーカスを見るのだ。

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