第2話 錠前師
「なあ、さっさと終わらせて帰りの汽車に乗りたいんだよ」
教会の前で、押し問答をしている黒髪の若い男がいた。鳥籠を片手に、そう、魔女が申していた錠前師は彼である。足元には道具箱もある。
「弱ったな。俺だって下っ端なんだから、そこは飲み込んでくれよ」
対しているのは教会で修業中の小坊主である。錠前師の幼なじみであるが、発心したのが最近であったので、まだ小坊主である。以前は魚屋をしていた。繁盛していたのになぜ、と、ささやかれていたが、発心とはそのようなものである。
「なんだか、俺が町から出ていた間に、面倒な話になっていたっていうじゃねえか。それにしてもなんだってこの年で今更親父の仕事に追いかけられなきゃならねえんだよ」
小坊主は錠前師が、工芸の名人である父親の名声がまとわりつくのに耐えられずに町を出て、錠前とからくり仕掛けの修業を積みそれなりになって祭りの日だけは戻ってくるようになったいきさつをよくよく存じ上げている。
「なあ、入れてくれよ」
「誰も鐘つき塔に入れるなとの厳命なのさ」
「ばかだなあ、お前だって知ってるだろう、あの化け物を教会でなんて飼いきれないぞ。飼う意味だって、あるもんか」
「それはそうだけど、上の決めたことだからさあ」
今年、都からあの出世頭が来てからというもの、魔物は教会が管理するべきだという意見が一層強くなったのである。
「悪霊払い、魔物封じは金がとれるからな。都の方ではしょっちゅう幽霊やら化け物騒動だ。それも本当にいるんだかいねえんだかわからねえやつよ。いつからそう業突く張りになりやがった」
「ちがうよ、悪いものは清めるのが教会の仕事だからだよ」
受け売りなので小坊主も自信なさげだが、そのような建前だった。
「どっちにしろ、ここにいれば遅かれ早かれあいつはこの住み慣れた家に戻るんだ。
それまで塔を離れられちゃ困るからね、俺はここで見張らせてもらうよ」
「それなら文句はないと思うけど……」
錠前師は鳥籠を置いて、その傍らに座り込んだ。
見上げれば、塔の上ではまだ黒いけだものがすやすやと眠っている。
通り雨での水浴び、後の日差しと風を味わうことが、鳥籠の中に封じられていてはできなかったのであろう。
「まったく、親父も厄介なものを残してくれたもんだぜ」
「厄介か。うちの母ちゃんが子供のころに使っていた人形の家は、親父さんが作ってくれたもんだそうだよ」
「そのあたりで済ませりゃいいものを、調子に乗りやすいんだよな」
「うん……」
だが小坊主は、それであるからこそ、いつまでもその名が語り継がれているのだということも、よくよく存じ上げている。
「あいつを手懐けてこの籠に封じたのは魔女様だけれど、親父さんはそれに加えてさらに仕事をしたんじゃないか」
この鍵付きの鳥籠は、もとは昔々の鍛冶屋と職人がこしらえた頑丈なものである。
錠前師の父親の、かの名人は、それらに美しい飾りを施して、黒いけだものの機嫌を取ったと伝えられている。鳥籠にガラス飾りのついた鎖や、彫金でこしらえた花飾りが年毎に増えていった。
「あいつは、きれいなものが好きだというんだな」
塔の上の、けだものが、である。
「じゃあ、なんで大昔は暴れていたんだろう」
それはもう、ほんとうのところは魔女に尋ねるほか、わからない。
「親父はそう、調子に乗りやすいものだから、飾りだけでは済まなかったよ」
「そうだなあ」
「……それでますます名前が売れちまって、俺は居心地が悪くなっていったんだなあ。
なのに今では、祭りの時には面倒でも戻らない訳にはいかなくなっちまった」
小坊主もその事情はよくよく存じ上げていた。
「座りこまれては、困りますな」
そこに現れたのが、紫の衣の出世頭である。小坊主は平伏した。
「話し込むとは、なにごとか。このような時に」
小言までされた。
錠前師は、ははあ、これがここ数日、町で何度も噂を聞いた、都から来た感じのよくない教会の出世頭か、と思った。
「これはこれは、不調法をお詫びします」
慇懃に礼をするのだが錠前師、なぜだかこのようなときは作法が板についている。
「手前は、当地で生まれ育ちました」
そしてひと通りの挨拶を済ませ、鳥籠を魔女に託され、黒いけだものを迎えにきた旨までを話した。
「で、」
その口ぶりと、この紫の衣でその地位はわかるだろう、挨拶など無用だろう、というその素振りが、なるほど感じがよくないと錠前師は思った。
「その鳥籠は、そのまま置いてゆかれるのだな?」
「はて」
魔女との手筈はそのようなものではない。
「今後、あのけだものは教会が管理するものとする」
「なぜ」
「魔の者との交際が、この教会においては長く続いていたということだ。その立場をわきまえぬ仕儀と判断した」
魔女という存在を認めない教会もある。都に出て錠前師は知った。
「お言葉ですが、あのけだものは、いつも代償を求めます。教会ではその備えはおありですか」
「代償。
君の父上が、昨年より姿が見えない、そのことだろうか」
長年鳥籠を整えていた名人、錠前師の父はその言葉の通り、この一年姿を消している。
「けだものが危険な存在である何よりの証拠。
あの魔女はこの件を、ずっと放置しているではないか」
おやおやおや。
錠前師は、内心困惑して小坊主を見た。
おいおいおい。こいつはこれまで町の誰とも言葉を交わさずに来たと見える。
「どうやら、何か行き違いがあるようですね」
小坊主は、錠前師はうまい言い方をしたと思って見ていた。
「あのけだものが求める代償とは、何か心地よい美しいもの。それで機嫌がとれます。
ですから、今なにか良いものを手渡せば、この場でただちに鳥籠へ帰れ、ということもできるのです」
「ほう。では、さぞその鳥籠は財宝で埋もれているのだろうね」
「ええ。どうぞこの祭りの記念にご覧あそばされてはいかがでしょうか」
そう言って錠前師が立ち上がり、鳥籠の扉を開けると、たちまち出世頭は中へ吸い込まれていった。
「さて、静かになったな」
扉を閉め、錠前を下ろした。
「やりすぎだよ」
小坊主がいちおう口を挟んだが、そこまで心配はしていない。
「すまんね」
供の者が腰を抜かしているかもしれないと気遣ってみれば、
「いや。すっとした」
涼しい顔でそう答えたではないか。
そしてつかつかと前へ進み、塔の扉を開けると、
「さあ、お役目があるんだろう」
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