第4話 とある王女と奴隷の真実
時は遡り、ラーニヤと猫が話しているところまで戻りましょう。
「……まだ、真実の愛を求めるか?」
「ええ」
ラーニヤはうなずきました。心の渇きが満たされるまで。胸の空虚が埋まる、その日まで。自分は真実の愛にたどり着けるのであればなんでもする。彼女は、そう思っていました。
「何かいい案をくれるの?」
しばし、沈黙。人語を話す猫なんて、ほんとうは幻であって、この猫はただの猫なのではないか。ラーニヤがそう考えはじめた時、猫はようやく口を開きました。
「お前がいちばんだいじにしているものは、なんだ?」
だいじにしているもの。
「それを奴隷にくれてやれば、奴隷は今度こそほんとうに、お前のことを愛するだろう」
いちばんだいじなもの。それは、
「……命」
「ならば命を、その奴隷にくれてやれ」
それはたしかに、アフィーフの心を動かす最大の切り札であるように思われました。でも、それだけでは足りません。何をどうやって、どのように彼に命をくれてやればいいのか、その答えが分かりません。
ラーニヤは唾を飲みました。
「ねえ、私はどうすればいいの?」
教えて。そう言うよりも早く、猫の姿は影に溶け込んで消えてしまいました。
「……」
疲れ果てたように、彼女はベッドに腰かけました。枕がはずみ、布団がはずみ、天蓋からぶら下がったカーテンが、シャララと音を立てて揺れました。
今まで、与えられるものはなんでも彼に与えてきました。食べものも衣服も、身の回りの世話も。アフィーフは彼女なしには生きてはいけませんでした。でも彼は、牢獄で生きるのに必要のない面倒、金品や体などは、けっして受け取ろうとはしませんでした。
数年経ったこの後に及んでも、ラーニヤはアフィーフの心を動かすことは、できなかったのです。
砂漠から照り返した青い月明かりが、王宮の庭に降り注いでいます。部屋に差し込んだ月明かりは、室内を青く染め上げます。光と影に切り取られた世界を見つめながら、ラーニヤは深く考え込みました。
いちばんだいじなものを、奴隷にくれてやること。
それがすなわち、彼の真実の愛を手に入れる方法だと。
「……どうしたら、いいのかしら?」
ただ死ぬだけではダメでした。ラーニヤは思索を続けます。自分の存在を、より奴隷の心に刻み込むには、どうしたらいいのでしょうか。命のすべてを、生殺与奪を握ってもなお、心なびかなかったアフィーフを、あの聡明で頑固でいじっぱりの、誇り高き奴隷を、振り向かせるには。
自分のいちばんだいじなものを、奴隷にくれてやること。
いちばんだいじなもの。
命。
「……」
ラーニヤは布団の上に倒れ込みました。そして、過去を思い出します。そもそもなんで、自分はあの奴隷をここまで愛したのか。それは簡単です。彼が自分を助けてくれたからです。ラーニヤがいちばんだいじな、自分の命を、あの時彼が、救ってくれたからです。
「……そっか」
そういうことだったのです。
彼女は閃きました。それはまさしく雷に打たれたような衝撃を、彼女に与えました。ラーニヤは寝所を飛び出しました。こんなところで、ぼんやりしているわけにはいかないのです。これは天啓でした。真実の愛を求道するラーニヤのもとに、神が下さった、答えなのです。
彼女は地下牢に行きました。アフィーフを訪ねに来たのだろうと、見張りの兵士は気にも留めませんでした。
そして鍵を盗み、ある男が入れられた檻の鍵を開けました。
あの日、あの時、あの瞬間、ラーニヤを襲おうとした荒くれ者の、牢屋でした。
「釈放よ」
かつては荒くれ者として名を馳せたその男に、凶暴そうな面影は残っていませんでした。
それでも、
「ただし、条件があるわ。……奴隷の男をひとり、殺して欲しいの」
そう言ってラーニヤは、男の手を取りました。
そして男は暴漢となり、ラーニヤの命令通り、アフィーフを刺し殺そうとしたのです。
そしてラーニヤはアフィーフを庇い、暴漢に刺し殺されました。彼女と暴漢の間に取引があったことを、当然、アフィーフは知らないのです。
言い訳を口にする前に、暴漢は兵士によって殺されました。残ったのは血まみれのラーニヤと、その細い体を抱く、アフィーフの姿だけでした。
「ラーニヤ! ラーニヤ!!」
「あ……、アフィー、フ……」
自分のいちばんだいじなものを、奴隷にくれてやること。
いちばんだいじなもの。
それは。
手先から、どんどん感覚が失われていきます。痺れて冷たくて、力が入りません。それでも渾身の力を振り絞って、ラーニヤはアフィーフの頬を撫でました。アフィーフの涙が温かく、指先に染み込む感覚がありました。
息が苦しく、寒くなってきました。もう目もよく見えません。それでもラーニヤは幸せでした。人生でいちばんの幸せを、彼女はこの時、ようやく手に入れたのです。
彼が自分のために涙してくれていました。
もうこれで、今度こそ、自分が彼にとってのいちばんになったのです。
ラーニヤは奴隷の顔を目に焼き付けました。その後、笑って、目を閉じました。
とある王女と奴隷の話 山南こはる @kuonkazami
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます