ワタシヲ捨てないで。

欠け月

第1話

 さっきから、見開いたままの彼女の瞳には、天井が映っているだけだ。

深い空洞のような、ぽっかりと開いた瞳孔は、整った理想的な美しい顔を

不気味に見せている。

僕が今見下ろしているのは、身長162cm ライトブラウンの瞳 ウエスト推定58cmで「理恵」という名前がついている。 設定された年齢は21,2歳というところだろうか。

愛好家たちは、家に配達されてきた日を「お迎えする」と言うらしい。


 2020年、世界中に蔓延したCOVID-19、新型コロナウイルスは

僕たちに引きこもりを強いた。 

WHOの生ぬるい調査と、腑抜けた発表は、各国の初期段階の不手際に

拍車をかけた。 それなりに、上手く対処した国もあったが、既に世界は

自国だけで生き抜く力を失っている。

ウィルスと経済の両方に勝利する手立てを持ち得ていないのだ。


 仕事を失い、知り合いや友人、家族を失い、学びの場は家の中だけになった。

幸い、僕は元々仕事柄、リモートワークが多く、ある意味感染対策を先取りしていたようなもので、コロナ後は買い物や外食が不自由にはなったが、仕事に関しては何ら支障がなかった。


 そんな中、研修で来ていたフランス人のリュカが、いったん帰国するようにとの指示が出ると、急に落ち着かなくなり、日本での滞在を伸ばしてくれるよう、上司に願い出ているようだった。

確かに、日本で働くのが長年の希望だったと、バーで酒を飲み交わしながら、憧れの国で仕事が出来て如何に幸せかと語っていたが、あれほど必死に帰国を渋るのは意外だった。

多分、日本人の恋人でも出来たのだろうと思っているところに、リュカが深刻な面持ちで僕のデスクにやってきて、

「今夜ちょっと、頼みがあるから一杯付き合ってくれないか?」と言うのだった。

外出制限が出ている中だが、一杯くらいなら、と行きつけのバーカウンターで待っていると、何故か緊張した様子で、

「個室を予約してあるから、そっちに移ろう。」と言ってくる。

訝しく思いつつも、彼の後についていくと、思わぬ話を持ち出された。 

内容はこうだ。


 憧れの日本で働けるのは楽しかったが、フランスにいる恋人と会えず、寂しさと興味本位で世界でもトップクラスの、日本製ラブドールを注文していると言うのだ。

好みのカスタマイズに時間がかかる上に、コロナの影響でさらに納品が遅れている。

アパートも解約しなければならず、いつ届くかわからない商品の受け取りは勿論のこと、それを保管する場所もままならないと言うのだ。

そこで、信用できる僕に白羽の矢が立ったわけだ。

「迷惑をかけるのは、良くわかっているが、日本に戻ってくるまで預かってもらえないだろうか。」


 勿論、僕は二つ返事でOKした。


 そして、それがいま僕の部屋に“お迎えした”理恵なのだ。

リュカが僕を信頼した理由は分かっている。 僕がゲイだからである。 だから、どんなに美しくとも理恵にはなんの魅力も感じない。

リュカは、預けた相手に、先に「愛される」のを恐れたのだろう。

確かに、心配したくなるほど理恵は、遠目には人間としか思えず、端正な顔立ち、

魅惑的なボディ、シリコンとは思えぬ肌の感触。 どこをとっても、完璧な理想の恋人でラブドールである。

 

 僕はリュカだけには、ゲイをカミングアウトしていた。 と言うより、リュカの方から察して、ラフに聞いてきたのだ。

嘘をつく気もなかったので、正直に彼には告白したが、他の同僚には面倒なのでゲイであるのは勿論、私生活も出来る限り公表せずにいる。

リュカも日本の社会事情を良くわかっていて、会社ではそのことには一切触れて来なかった。

それもあって、付き合いは短いが信頼し合った仲だったのだ。


 ただ、リュカには知られていない僕の趣味がある。 理系のオタクが漏れなく家に置いてあるであろう、フィギュアである。 

僕もフィギュアファンの端くれらしく、自分でオリジナルを制作している。

だから、この見事な理恵のドールアイには非常に興味が湧いた。 十分に眺めた後、リュカには申し訳ないがいつも使っている、フィギュア制作用の柔らかなピックで、そっとアイホールに沿わせて、眼球に描かれている繊細な血管と、目頭の涙丘や眼尻の作りを、くまなく観察した。 


 その時、コトリと小さな音がして、何かが理恵の眼球付近で動いた気配があった。

理恵は、男性の性欲を満足させるためのラブドールであるから、ヘッド部分に内蔵されているものは、何もないはずである。

ドールアイも何の問題もなく、アイホールにしっかりとおさまっている。 


 僕は生来の好奇心を抑えきれず、ゆっくりとピックと小さな吸盤を使い、眼球を取り出す決心をした。

眼球は、きっちりホールに嵌っていて、傷つけずに引き離すのはなかなかに厄介だったが、苦心の末ようやく取り出せた。 夜中人間そっくりのラブドールから、目玉を引っ張り出すなんて、まるでホラー映画だ。

上手く仕事をやり遂げ、汗ばむほどの高揚感がゆっくりとやってきた。 

しかし、そんな興奮にいつまでもかまっていられなかった。 何故なら、アイホールの奥に、装着してある小さな電子部品が、見えたからだ。

ピンセットで丁寧に持ち上げ、観察すると、どう見てもこれは、盗撮用に設置された極小カメラだ。 つまり、理恵は性欲処理を目的として作られただけでなく、

他の目的を持たされた特別なラブドールなのだ。 まるでSFである。 ラブドールが女スパイとして運び込まれてきたのだ。

しかし、それらの疑問を解決するためにも、もう少し細かく調べる必要があった。 

 

 先ずは、カメラの始動だ。

どこかに、スイッチがあるはずだ。

ドールのご主人様が知らずに、しかし必ず触れる場所。

考えられるのは一つ。 挿入部分である。 

とはいえ、下手に触ってスイッチが入ってしまうと、映像が見知らぬ誰かへ、あるいは、組織に流れてしまう。


 それならば、先ずはどこにバッテリーがあるのかを探る方が先決である。

取扱説明書には、2年間のメンテナンス保障をうたっていた。

つまりは、2年間充電せずにカメラが作動し続けられるか、途中必ずメンテナンスを必要とする何かが仕込まれているか、或いは独立型の充電装置が取り付けられているかである。


 AIロボットであれば、家にあるアウトレットまで勝手に移動して自分で充電するか、無線充電の場所まで自力で動く。

理恵はそれが出来ない。 しては、ならないのだ。 持ち主はよもや、自分の夜の一人遊びの相手が盗撮しているとは、予想だにしないだろう。 

であるならば、疑われずに充電できる安全性を考えると、独立型の小型ソーラー式、若しくは振動発電の装着が考えられる。

以前、自立して動くフィギュアを作ろうとしたときに、独立型の充電装置を探した経験があった。

その時は、小さなフィギュアが勝手に話し出したら、不思議な感覚が楽しめるだろうと、極小レコーダーとスピーカーも一緒に探したのだった。 


 盗撮を考えた人間なら、当然録音も考えて然るべきである。

理恵のもう一つの目玉を取り出して、鼻根と眉間の裏側をつたう細いワイヤーやリード線を何度も確認すると、僕は一つの確信を得たような気がした。

この極小カメラとレコーダー一体型を収めた、小さなプラスチック容器の側面に は、あるべきものが無かった。 製品番号がご丁寧にも、削り取られていたのだ。 製造国が分からないように、ひと手間掛けたというわけだ。




第二話

https://kakuyomu.jp/works/16816452219573271121/episodes/16816452219573316787


第三話

https://kakuyomu.jp/works/16816452219789947500/episodes/16816452219790922169


第四話

https://kakuyomu.jp/works/16816452219913115766/episodes/16816452219913294381


第五話

https://kakuyomu.jp/works/16816452219990841501/episodes/16816452220081426637







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