第58話 それから

ケネスは騎士学校に行っていたけれど、それは実質、軍の士官学校だった。


世の中は変わっていく。


昔風の騎士と言う呼び名は残っていたが、学園が平民の入学を許して、優秀なブラウン女史が頭角を現していったのと同じように、軍もまた貴族と平民を分け隔てする時代ではなくなっていた。

もちろん、貴族であるということだけで、有利な部分はまだ非常に大きかったが、昔ほどではなくなってきたのだ。


時流に乗って栄える者と、乗り損ねて没落する者。


だが、そんな中でもケネスやオスカーは、当然のように仕事をつかんでいった。


ケネスは、士官として地位を得ていったし、オスカーは政界の道を進んでいた。



噂によると、オスカーは非の打ちどころのない良縁を得て無事結婚を果たしたらしい。


私にあれだけ色々迫ってきたくせに、ぬけぬけと良縁をつかむあたり、いかにもオスカーらしい。


ウィリアムにはまだお相手がいない。彼のことを気にしていることを知られると、ケネスの態度が微妙になるので黙って居るしかないのだけれど。



だが、圧巻だったのは実はアーノルドだった。


彼は実家の商売を手伝うようになりめきめきと頭角を現していった。目先がきくと評判だった。


そして、あろうことか、あのブラウン女史に猛アタックを開始して、ついに結婚をもぎ取ったのだ。


どうやら、学園で一緒に仕事をしている頃から、惚れ込んでいたらしい。


本気で困っているブラウン女史に、人前で公然とベタベタイチャイチャを始めて、大ひんしゅくを買った。


「アルバート、確かお前は……」


ケネスが呆れ返って、アルバートを詰問したが、アルバートは卑怯にも最後まで言わせず防御に走った。


「そっちだって、理由があるとか言って、わざわざやらかしてたろ?」


「だからだよ! 俺には理由があった。お前とは違うよ!」


アルバートはケネスを完全に無視して、ブラウン女史と手を繋ごうとして、サッと手を引き抜かれた。





更にその陰では、ルシンダがクレア伯爵と年の差婚を決めていた。


「そうすると、つまり、ルシンダは……ええと、私の叔母さんてこと?」


私はあまりのことに言葉を失って、報告に来たルシンダに尋ねた。ルシンダはぷうっとふくれた。


「ローレンスは、まだ三十台よ!」


私はケネスを振り返った。


「母の末の弟だから、まだ三十代だよ! 兄みたいな存在なんだ!」


ケネスは嬉しそうだった。




私たちの屋敷に帰ってから、ケネスは私の髪を撫でながら、叔父の話をした。


「ローレンスが二十二歳の時に、幼馴染で相思相愛だった娘が親の都合で、結婚させられてしまったのだよ」


私は思わずケネスの顔を見た。


「向こうの親は、クレア伯爵家が本気で相手をしてくれると思っていなかったらしい。実際、ローレンスは親を説得するのに苦労していた。同じような身分の者同士の結婚が幸せだと、繰り返し説かれていた。そうこうしているうちに娘が十七になった時、同じような家柄のご子息に求婚され、あっという間に結婚が決まってそれで終わってしまった」


「ローレンス様はその娘さんを忘れられなかったの?」


ケネスは首を振った。


「彼女は幸せじゃなかった。夫と合わなかった。夫も悪い人間じゃなかったが、別に恋人を作った。よくある話さ。ローレンスはつらかっただろうと思う。彼女が幸せになると自分に言い聞かせてあきらめたのだろうに、実際にはそうならなかった。僕はその頃まだ子どもで、後になって噂を聞いただけだけど」


ケネスはソファの上に寝そべった。私はその横に腰かけて彼の話を聞いていた。


「結局、そのふたりは別れた。彼女は王都を離れて地方へ行って再婚した」


「ローレンス様と結婚するわけにはいかなかったの?」


「初婚でない上に、彼女の家は商家で平民だった。クレア伯爵家が許すはずがない」


私の伯父のジェームズとは、その頃知り合いになったと言う。


「領地が近かったからね。一緒に釣りに行ったり、乗馬に行ったり、せっせと一緒に遊んでいたらしい。僕は母の縁でたまにシャーボーンに行って、叔父に遊んでもらった。僕たちは年の離れた兄弟みたいなものだった」


ローレンス様は、結構、雑で荒い人物だったらしい。


「王都だとどうしても過保護だからね。僕がウマで走り出すと、母が真っ青になるんだ。ローレンスなら、僕を追い抜くことを考えるからな」


なんとなく、ケネスのお母さまの気持ちがわかった。


男の子の無鉄砲さには肝を冷やすことがあった。



自分と同じように幼馴染の女の子と結婚したいと言う甥の夢は、ローレンス様には衝撃だったらしい。


「でも、叔父と違って、僕の幼馴染は貴族の娘だった。伯父は今度こそはと希ったらしい」


彼は熱っぽく私の頰のあたりを眺めた。


ローレンス様が事あるたびにケネスの後押しをしていた理由が、わかったような気がした。


ルシンダはケネスと私の結婚には、辛辣なことも言ったが、友達思いのやさしい人だ。

アーノルドが過保護になるくらいに。


ローレンスなら、彼女を大切にするだろう。

愛らしい彼女を守ってくれるだろう。


いつでも、私のために怒ってくれていた彼女は、正義感と賢明さを併せ持つ。ローレンス様とはお似合いだ。


「僕たちの結婚式で出会ったらしいよ」


「すごいわ! 私たち、愛のキューピットという訳ね!」


私は決心した。絶対ルシンダのために何かしてあげないと。



その決意を聞いたケネスは、ソファから身を起こした。


「止めなよ」


「え? どうして?」


「君は僕に恋人をあっせんしようとしたよね」


バレていたのか。私はおずおずとケネスの顔を見た。もしかして怒ってる?


「学園にいた頃の話よね? ずいぶん前ですわ」


「わずか数年前の話だ」


ケネスが訂正した。


「そうね」


「僕は傷ついた」


「だって、あれは全くの善意からのもので……」


「善意だろうが何だろうが、結果が全てだ。余計なお世話は、やめといた方がいい。二人は幸せなんだ。これ以上できることは何もない」


そうか……


「今の僕たちのようにね」


ケネスは私に腕を回して抱き寄せるとキスした。


「だけど、思い出したよ。僕にあんな嫌がらせをするだなんてひどいな」


「善意だったって言ったでしょう?」


「好意でやったからって、結果が許されるわけではない。償いって言葉を知っているよね? あれだけ嫌がらせをしたんだ」


「嫌がらせではないと……ン」


「……もうそろそろ、夏のシーズンだけど、二人きりで外国の海辺へ行かないか? いいところを知ってるんだ。誰にも会わない。ゆっくり楽しめる。酔狂な外国人の金持ちには慣れている。暑いので、服を着る必要はあまりないんだ」



********


服を着ない生活とやらは功を奏して、私たちはその後引っ越しを余儀なくされた。


家族が増えて、それまでの家では狭くなってしまったのだ。

オズボーン侯爵家の本屋敷に私たちは移り住んだ。


子どもは大きくなって、かつてのケネスと同じように庭中を暴れまくって、庭師を泣かせていた。


「植え込みが済んだばかりの花壇がめちゃくちゃに……」


それと言うのも、上の子ども三人が男の子だったからだ。


家庭教師がなんと言おうと、全く聞く耳を持たない小悪魔のような彼らは、庭で暴れまくった。


大人しくなるのは、黒い髪に緑の目をした小さな令嬢が遊びに来た時だけだった。


末娘のシェリルのところへ、クレア伯爵の一人娘アデルが来るのだ。


妹に対してとは違って、アデル嬢にはいいところを見せたくなるらしい。


私は笑い出さずにはいられなかった。


ルシンダもおかしそうに笑っていた。ローレンスも口元をムズムズさせていた。


ケネスだけは、息子たちがおとなしく、ちょこんと座っている神妙な様子に、なんとも言えない表情をしていた。


オズボーン侯爵邸では常に子どもの騒ぐ声がする。もう少し、大きくなればそんなことも減ると思うのだけど……。




そして、隣の侯爵家は今は空き家になっていた。






『あの家はあなた方に譲ります』


亡くなった人が書いた手紙を読むのは、奇妙な気分だった。



まだ生きている気がする。


シャーボーンに行けば、太ってシミだらけの顔でニコニコしている伯母に、陽気で日焼けして馬に乗っている伯父に、また会える気がする。



『オズボーン侯爵家の隣に接しているのだから、それがいいでしょう』


寒さの厳しい日だった。ケネスが口元を引き締めて横に座って、一緒に文字を目で追っていた。



『かわいいシュザンナ、私が嬉しかったのはあなたの結婚です。


ケネスとあなたの気持ちを知っていたので、無事に結婚出来た時は、本当にうれしかった。


どうか、いつまでもあなた方が幸せでありますように』




涙が目からあふれ出し、字が読めなくなった。


ケネスとケンカすることもある。だけど、夫はいつでも結局私には甘い。この人と一緒になれた。


「幸せだよ」


夫は私を抱き寄せた。暖かい胸に包まれた。


「グレンフェル夫妻と同じように……」


伯母が亡くなった日の翌朝、夫の侯爵は伯母のベッドのそばに倒れていたところを見つかった。


「あんなふうに。ずっと一緒に……いるから。泣かないで。シュザンナ」


伯母はいつも笑っていた。伯父は陽気なスポーツマンだった。最近は引きこもりがちだったけれど。




魔法のような言葉がグルグルと回る。


どうか、いつまでもあなた方が幸せでありますように


どうか、いつまでも幸せで……


「愛してる。ずっと一緒だ。だからいつまでも幸せだよ……」

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