第37話 奥底に在るもの

 賢志の心が大きく軋みを上げた。



 忽然と現れもう駄目かと思われたその状況を理解できない何かで一変させた少女。

 化物は叩き伏せられ今はタンクに標本の様にめり込んでいる。

 どうやったのか、殴りつけるどころか触れてもいなかった様に見えたのだが、あの巨体が打たれたボールの様に弾き飛んでいった。


 何もかもが理解できず、何もかもが理解しがたい。


 それを行ったのは紛れもない目の前の少女だった。


「ごめん・・・・・い。ごめん、なさい」


 その少女が涙を流していた。

 項垂れる様に座り、謝罪の言葉を振るえる唇で紡ぎながら、大きな瞳を揺らし、幾つもの水滴をぽろぽろと零れさせている。


 既に賢志の限界は過ぎている。今もこうして意識を保てているのも極度の緊張感が在ってのものだ。

 女の子を無事に帰す。そして自分も生きて戻り愛理に一言謝りたい。その一心のもと辛うじて保てていただけに過ぎない意識。



 だが朦朧とする意識からはその事がいつの間にか消えていた。


 ただ茫然と涙を流す少女をその目で捉えている。


 捉えて、そしてその少女の泣き顔がどうしようも無い程に胸が苦しくなっていた。


 どうしてそう思ったのか、なぜそう感じているのか、それが賢志にも分らなかった。だがこの少女が泣いている事が、辛そうに顔を歪めているのが、それが無性に悲しく、そして心が締め付けられる。


 気が付けば少女に向かって手を伸ばしていた。


 それが何のために、どうしようと考え伸ばしたのか、本人は意識もしていないだろう。

 ただ求める様にそうするのが当然の様に差し出された手は、そっと少女の、舞桜の頬に触れ。



 優しく涙を指で拭った。



 舞桜は頬の感触に驚いたように目を見開いた。見開き触れてきた賢志を真直ぐに見つめ。


「大丈夫・・・・・大丈夫だ、まお・・・・・」


 そう賢志が口にしたことでされに瞳を大きくさせた。


 賢志の表情は読めない。無表情と言うわけではないが何かが抜け落ちた様に呆然とした雰囲気がある。


 何が、何故に。


 困惑と期待が入り混じった情けない顔を晒し、舞桜はまるで唇を指で摘ままれたように口が開かない。

 いやもしかしたら単純に恐怖で竦んでいたのかもしれない。ここで舞桜が口を開き、もしその時発した問いを否定されたらもっと絶望してしまうから。

 それは酷い板挟みだ。明と暗が明確に分れる。


 だがそれでも舞桜は確かめずにはいられない。


 「私を覚えているの」と。


 逸る気持ちに自然と体は前のめりになる。激しく高鳴る動悸はまるで耳鳴りの様に響く。怖い、知りたくない、そう頭が拒絶を試みるが引き寄せられる心を止められそうにない。

 舞桜がゆっくりとその桜色の唇がゆっくりと隙間を開ける。


「あなたは、私を・・・・・・・え、え、ちょっ、え!?」


 だがその口から吐き出されるものが途中から意味をなさない言葉へと変わってしまった。


「け、けけけ」


 まるでひきつけを起こしたかのように声を詰まらせる舞桜。顔を真っ赤に染めて慌てふためく。


 舞桜が突然狼狽えた原因、それは自分の胸に沈み込む重みによるものだった。


 賢志が舞桜の胸に自身の顔を埋めていた。


 その唐突な出来事に完全に我を忘れ慌てふためく舞桜。張り詰めていただけに決壊し壊れた時の反動が凄い。


 若干嬉しそうに見えるのは見間違えでは無いのだろう。

 実際胸に沈む賢志の頭を抱えようと腕を回しだしていた。


「・・・・・・え、けん、じゃ?」


 だがそれも直ぐに治まった。


 胸に凭れ掛かっている賢志の状態に気付いたからだ。


「気を、失ったのね」


 賢志の意識が落ちていた。上下する肩から最悪な事態では無い事は直ぐに分った。


 舞桜は回した手で賢志の頭をそっと優しく撫でる。


「ごめんなさい。貴方をこんな目にあわせてしまって、本当にごめんなさい」


 賢志の血で汚れ固まった髪を慈しむ様に指を這わせる。

 追わなくてもよかったはずの傷に痛ましげに瞳が揺れる。

 

 そして次に訪れたのはどうしようもない程湧き出る怒り。

 それは自分にでもあり、そして・・・・・・・。


「グルォゥゥ」


 賢志をこんなにも傷つけた愚か者に。


 手負いとなった人狼ワーウルフが、それでも衰えぬ獰猛な眼光を灯し三度舞桜の前に立ちはだかっていた。

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逆転生活 ~異世界の魔王と賢者は日本に転生し幸せになる事を夢見る~ シシオドシ @tokahona

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