蛇に血液ジュースをあげよう(夕喰に昏い百合を添えて14品目)

広河長綺

第1話

美羽ちゃんが蛇に噛まれて死んだと聞いた時、私は丁度「蛇の毒を自分に注射した勇敢なアメリカ人についての本」を読んでいました。

そう、そこの机の上の本です。

当時私は慌ててその本を閉じて「えっ、なんで美羽が」とか言って驚いたフリをしました。

実際は鼓動がバクバクとうるさかったですよ。

だって美羽ちゃんを殺したのは私なんですから。言動でバレるんじゃないかと気が気じゃありません。

実際はバレなかったわけですが。

なぜなら美羽ちゃんの死体は、動物園の蛇コーナーの中にあり、そこは誰も入れない密室状態だったからです。エリアの入り口には係員と監視カメラがあり、中には美羽ちゃんとケージから出た複数の蛇しかいません。

だから「美羽ちゃんが自らケージから蛇を出し噛まれて死亡した事故だ」と警察は判断してくれました。良かったです。


本当はなにがあったのか。

それを説明しようとすると、事件の3日前を説明しなければなりません。





その日の夕方、私は動物園の蛇エリアの係の人に、自分の胸を触らせていました。

蛇エリアを私と美羽で貸し切りにするための代金でした。

頻度は1週間に1度くらいでしたよ。

60歳くらいの老けたおじさんに胸を触られるのは、初めはとてつもない嫌悪感でしたが10回目を過ぎたあたりで慣れました。

事件の3日前あたりでは、私の胸を触るだけでほんの少し若々しくなるおじさんの顔を「キモ過ぎて面白いな」と思いながら観察していた程です。


そして取引を終えると蛇エリアの中に入ります。

万が一蛇が脱走した時のために、重い鉄製の扉があり、そこを開けると蛇に触れるコーナーとケージの中の蛇を観察できるコーナーがある、通称蛇ワールドというエリアになります。

本当なら係員が客について回るのですが、胸で買収したので入ってきません。

おかげで伸び伸びと自由に歩けます。


こうして奥まで行くと、床に座っている美羽ちゃんがいました。その周囲を毒蛇がうろついています。

「あ、里奈ちゃん、お疲れ様―」

美羽ちゃんは私の名前を呼んで、こちらにブンブン手を振りました。

その子供っぽい仕草と周囲の毒蛇が不釣り合いで、なんだかシュールでした。


美羽ちゃんは決して不細工な女の子ではないのですが、少し太っているので頬が大きく見えます。目は伏し目がちで、猫背で暗い雰囲気を感じさせます。

少なくとも私の方が可愛いのは間違いありません。

優越感に浸りながら私は「もうやってる?」と近づきました。

「うん」

美羽ちゃんは手首を私に見せてくれました。


細くて白い手首。そこにバーコードのような縞があります。

そのうちの1本は鮮やかな赤で、まだ血が滲んでいました。切りたてホヤホヤなのでしょう。私も負けてはいられません。

「じゃあ私もやるよ」と言って切りました。

私の手首の上をぬるい液体の感触が伝います。


「気持ちいいね」

「…うん」


うっとりする私たちの足元に、美羽ちゃんがケージから出しておいた蛇が寄ってきて血をペロペロ舐めます。

とてつもなく邪悪なことをしている背徳感。秘密を共有する特別感。

美羽ちゃんの提案で始まった遊びでしたがもう半年ぐらい続いていました。


その日も思う存分楽しんだ後、蛇をケージに戻し

「じゃあ、またねー」と言って別れて、動物園から家に帰りました。


家の方向が違うので、動物園を出てからは一人で家まで歩くことになります。しばらく歩いてから、

「何よ。また来たの?」

と振り返りました。

「偶然散歩してただけだよ」

動物園を出たところからずっと私の後ろを歩いていた美子は眉をひそめました。悲しそうな表情を作り、肩をすくめます。「そんなに怒らなくてもいいじゃないか、里奈さん」

「ストーカーとして訴えるよ」

私は強い語気でいいました。美子はクラスメートの女の子なのですが、私に告白してきたのです。その時私はキッパリ断ったのですが、それからというものずっと私についてくるのでした。


「私と恋人になってくれたらすむ話なのに」バカに言い聞かせるように美子は言いました。

私からすればバカなことを言っているのは美子のほうなのですが。

「1週間前にも美子に言ったよね。私異性愛者なの。女子からの告白は受けないって」

「でもさっきまで女の子と一緒にいたじゃないですか」

「美羽ちゃんのこと?」予想外のツッコミに私は少したじろぎました。「あの子は恋人じゃないし」

「ふーん」

全く納得していなさそうな様子で美子は私の方を向きます。どこか私をバカにしているような表情でした。

「私は里奈さんのこと愛してるから教えますけど、美羽さんは里奈さんのことを見下していますよ」

それを捨て台詞に、美子はその日は満足したようでかえっていきました。


その夜、私の頭の中で「美羽が私を見下している」という言葉が反響し続けていました。

ストーカーが構ってほしくていった戯言。そう自分に言い聞かせても、止まりません。

もしかして「美羽ちゃんが私を見下している」のが真実なのではないかと、心のどこかで納得しているからです。


確かに、最近明らかに美羽ちゃんが元気になってきていました。


「最近、何か良いことあった?」と聞いたこともありました。

「急に何?」

「いや、なんだか嬉しそうな気がして」

美羽ちゃんは私に目を見て、ニコッと笑いました。「蛇に血液ジュースあげるこの儀式だよ。これが私にはストレス発散なの」

「…変な子」

「ほんと、私ってキモいよね。こんな私に付き合ってくれてありがと」

その自虐の言葉さえ、ここ数日はどこか清々しく聞こえます。

昔なら、自己嫌悪の暗さがあったはずなのに。




結局翌朝に私は美子の所へ行くことにしました。

気にしないフリはもうできなかったのです。

「やっっっと、私を頼る気になりましたか。ようやくあの子を疑いましたか」

待ち合わせの図書室で彼女は得意げに笑っていました。


「疑ってるんじゃない。美羽ちゃんのことが心配で」

「心配なのはあなた自身でしょ。あの子が何か企んでいたら、見下せなくなる」

「…は?」

とぼけて聞き返した声は、自分でも滑稽なほどに震えていました。

「あの子を見下すためにあなたは一緒にいたんでしょ」

美子は自信満々に繰り返します。

それは、確かに、事実でした。私は美羽ちゃんの陰キャさを見下して優越感に浸っています。でも美羽ちゃんは何を理由に私を見下せるというのでしょう?


「嘘言って、私とあの子の仲を切り裂くつもりなら無駄だよ。どの道私はあなたを恋人にはしないから」

「知ってますよー。ただあの子はあなたにふさわしくない。私が選ばれなくてもあの子が選ばれないようにしたいんです。その理由を説明します」

そう言って美子は一冊の本を差し出しました。

「何この本は」

「蛇毒の血清の研究に貢献したアメリカ人男性の話です」



そう言って美子から渡された本が、最初に言ったこの本です。

この本が何の関係があるか、ですって?大ありですよ。

この本には、「自ら毒蛇を摂取して血清を作ったアメリカ人の話」が載っているのですから。

そのアメリカ人は長い年月をかけて、ゆっくり毒を増やしていくことで毒蛇で死なない体を手に入れたのです。その人の血液を分析することで様々な毒蛇に対する解毒剤が作られたのでそのアメリカ人は英雄だと呼ばれるのですよ。


つまり美羽ちゃんも同じことをしていたのです。私が蛇エリアの外で胸を触られている間、美羽ちゃんは蛇の毒を微量ずつ体内に入れていました。その傷を隠すためにリストカットしていたのです。

そして私には「蛇に血を飲ませる遊びをしよう」と嘘をついていたのです。

殺害前に美羽ちゃんのメモを盗み見たからわかったのですが、複数の毒蛇の血清を進行をずらして、入れていました。この蛇は今日は1mg明日は1.1mgだが、別の蛇は今日は2mgで明日2.1mgというように。


なぜ美羽ちゃんはそんなことをしていたか、ですか。

私を見下すためですよ。美羽ちゃんの手首の傷は将来的に勲章になります。

人々を救う勇気ある行動の結果の傷です。

かたや私の手首の傷は単なるリストカットです。何の意味もありません。

将来美羽ちゃんが毒蛇治療薬を作った英雄になった時私は、とてつもない劣等感を感じることになるでしょう。


「私は里奈ちゃんの顔をみるとね、自然と笑顔になるんだ」

「蛇に囲まれていると生きる気力が湧いてくるんだ」

「私はずっと里奈ちゃんの傍にいたいよ」

全部美羽ちゃんの言葉です。


私を見下し劣等感を植え付けようとしていたとわかった今となっては違う意味に聞こえますね。

結局私と美羽ちゃんは似た者同士だったんですよ。

見下す相手が欲しくてずっと一緒にいたのです。



あぁ、どうやって密室殺人したかですか。簡単ですよ。

私はあの日、美羽ちゃんより先に蛇コーナーに行きました。そして黄色いテカテカした、似た見た目の毒蛇2匹を見つけて、入れ替えました。2匹取り出してそれぞれ違うケージに入れたのです。

その後動物園を離れて、係員と美羽ちゃんに「今日は遅れて行くよ」と連絡をいれて実際には行かなかった、それだけです。


思い出してください。美羽ちゃんの血清作成計画では蛇ごとに摂取すべき毒の量が違います。蛇を入れ替えると美羽ちゃんは片方の蛇では過剰な、もう片方の蛇では過小な毒を体に入れることになります。その結果死亡したのです。


「見下されるのが嫌なら、絶交するだけで良い。殺す必要はなかったのでは?」と言われるかもしれませんが、私にとっては愚問ですね。


私が美羽ちゃんと別れたら、私以外の人が美羽ちゃんの傍にいることになるでしょう?そんなのは不愉快です。私は誰よりも近くで美羽ちゃんのことを見下していたかったのです。

一緒に蛇に血を飲ませたあの特別な時間。

あの宝石のような時間を自分だけのものにしておきたかったのです。


思えばあの時間、私たちはお互いに相手を見下しながら、見下されていることに気づいていませんでした。

あの時、確かに、私たちは相思相愛だったのです。

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蛇に血液ジュースをあげよう(夕喰に昏い百合を添えて14品目) 広河長綺 @hirokawanagaki

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