第12話

ブラス・トルタ大尉は、空中竜巣母艦レンオアム・リントのある部屋の前に立っていた。

港近くに停泊しているため、揺れは常より少ない。

参謀執務室とプレートには書かれている。

通常の軍艦には見られない部屋だ。なにせ、軍艦というものはとにかくスペースに余裕がない。(そもそも参謀……艦隊を動かす司令部のスタッフ……が常に乗り込む艦などほとんどない。旗艦となることがある大型艦艇も常に旗艦であるわけではない)

だが竜巣母艦であり、空中艦隊の旗艦であるレンオアム・リントは、はじめから艦隊司令部の参謀たちが乗り込むことが前提となっていたため、この手の部屋がわざわざ用意されていた。


ブラスは制服の皺を伸ばし、軽く見栄えを整えてからその部屋をノックする。

中から、入れという男の声を聴いたのち、ブラス・トルタ大尉入ります、と言いながら扉を開けた。

中はいくつかの机とそれぞれに積み上がっている書類。そしていくらかの本棚。

娑婆の人間にとって意外なことに、そこは普通の企業や商店の事務室と大きく変わらない。

ちらりと見回して、目的の人物の机の前に行く。

「トルタ大尉。参上いたしました」

ブラスを呼び出した人物、ジョージ・ヴァン・マッケンナ大佐に敬礼した。

室内なので、制帽を左手に抱え、半直角の角度をつけた右手を額の前に持ってくる陸軍式だった。

なお海軍だと、手の角度はもっときついものとなる。空中艦隊、特にそこに派遣されている独立第2竜騎兵連隊は、陸海軍からの寄せ集めであったのでそのあたりは統一されていないままだった。


「呼び出して済まなかったな」

丁寧な答礼(こちらも陸軍式だ)したマッケンナは、そうブラスに詫びた。

「ハッ……」

マッケンナらしくない態度に戸惑ったブラスはそう返すしかない。

普段ならもっといい加減な敬礼を返すし、軽々しく部下に詫びることなどない上官なのだ。

彼の戸惑いを察したのだろう。すこし笑ったマッケンナは、封筒を差し出した。

ブラスは受け取りながら尋ねる。

「これは?」

「明日から付けろ」そう襟元を示しながら言った。

中身を取り出す。

中に入っていたのは、小さな金属製のプレート。襟章だった。

二つの線に一つの星、少佐を示すものだ。

「昇進だよ、トルタ少佐」


ブラスはそれを軽く手で弄んだあとに封筒に戻し、上衣の物入れに仕舞った。

「……なぜです?」

「少しは喜べよ、トルタ。昇進だぞ」

そういいながらマッケンナはその筋肉質の体を、椅子の背もたれに預けた。

声に非難の色はなかった。

ぎしりと椅子がきしむ。

「いくつかあるが、一番大きいのは連隊の戦力が半減したことだ。事実上大隊と大差が無くなっちまった。少し休ませたら飛べる数は増えるだろうが、今この時点では20騎強しか飛べない」

マッケンナは、ブラスの目を見上げた。

「特に編隊長クラスの消耗が激しい。うちで一番上手いのはオマエになっちまったんだよトルタ」

「………」

「撃墜数も確認で3騎。大した戦果だ。……部隊の士気を立て直すためにもこういったことは必要だ」

「つまり神輿ですか、俺は?」

「そうだよ。だが俸給は増えるし、権限も増える。現場ではお前は俺以外から誰の指示も受けない」

冗談めかした口調と裏腹に、マッケンナの目には真摯なものがあった。

そういえばこの人は前の戦争──15年前の西方大陸で起きた大戦で大隊を指揮していたんだったか。

マッケンナは立ち上がるとブラスの肩を叩いた。

「期待している、少佐。……俺からの用は以上だ。下がってよろしい」



波が練り石コンクリート製の桟橋を叩き、引き返す音が一定のリズムで繰り返されている。

その音を聞きながらブラスは細巻を吹かしていた。煙が海風に流されて細く長くたなびく。

心地よい風だった。気分転換にはもってこいだった。

昇進の話を聞いてから軍務……書類仕事に身が入らなく、かといっていつもの気晴らしであるエイムの様子を見に行く気分にもならなかったからだった。


ブラスは細巻を咥えたまま、海上に視線を向けた。遠くには前後に砲塔を背負い式に配置している大型艦艇が見える。東部艦隊旗艦のダルドバだろう。東部艦隊には他に戦艦がいないから間違いないはずだった。

35.6cm砲を二連装四基の計8門。就役そのものは30年前のまさに老朽艦と言っていい老嬢だが、それでも陸軍おかの人間からすると強力極まりない火力だった。同等の砲は鉄道砲ぐらいしか陸軍にはない。

そのまま視線を陸に向けると、大型の輸送船が何隻も桟橋に横づけているのが見えた。

それに乗船しようと並んでいる人々も。


皇国はズィーシに疎開命令を出していた。

王国軍を追い払ってすぐのことだった。

このことは、解放された市民たち(そこにはズィーシ市長も含まれる)を困惑させ、そして怒らせた。

つまり、皇国はズィーシを護れない、そう言っているのと同じことだったからだ。

だが、軍の代表者としてその批判の矢面に立ったフレデリック・ド・フェルナンデス陸軍中将は、至極事務的に回答した。


軍の貨物を降ろした輸送船に乗船いただき、市民の皆さんには避難していただきます。もちろんその後の生活は政府からの補助が出ます。……お早くされた方が良い。今なら持てるだけの財産を持ち出せますから。


それだけ言うと彼は、集まっていた市民たちの怒号を無視して背を向けた。

最悪の対応だった。エイムはそう思った。今もそう思っている。

だが効果は覿面だった。

大半の市民たちは、彼らにできる限りの迅速さで港に向かったからだった。


フレデリック中将の態度は、軍はズィーシを護る気がないと市民に理解させる効果だけはあったのだった。


それ以降、港では疎開をしようとしている市民たちが列をなしている。

一つ誤ると暴動を起こしかねないと思われたかれらを、16師団の一部と東部艦隊の水兵たちは必死に宥め、統制していた。


その光景をブラスは眺めていた。眉間に皺が寄っていた。

彼は、ただ竜と遊ぶためだけに軍に入った男だった。

だからこそどこかで軍を、その義務の順守を崇高なことだと受け止めていた。

国家を、市民を、その生活を護る。それこそが軍の存在する意義。

醜の御楯。

だからこそ俺たちは胸を張って生活ができる。普段遊び惚けているように周りから見られても、自称平和主義者の軍隊嫌いがなんと言おうと気にならなかった。

だが。

だが軍はその義務を放棄しようとしている。そんな場所で俺は出世しようとしている。


もちろん、彼の理性(と士官としての教育による知識)は軍の意図を理解していた。

ズィーシ奪還自体は、言ってしまえば囮なのだ。

王国軍の海上輸送路を封鎖するなら艦隊だけでいい。制海権を抑えてしまえば、占領までしてやる必要はない。効果は同じだからだ。

わざわざ上陸までしたのは、敵を迷わせるため。皇国が上陸して側面から攻撃してくるのではないか、と思わせるため。その対処のために、敵の戦力をいくらかズィーシに引き付けるため。

その目的は?

別の行動を邪魔されないため。

この場合は、全力での逆襲なわけがない(そんな余力はない)から、戦力を下げて戦線を整頓するためだろう。

要は軍は、皇国を救うついでにズィーシ市民を脱出させようとしていたのだった。

出来る範囲でその義務を果たしている……と言えなくもなかった。


つまり彼の中では理性と感情が対立して、大戦争を行っていたのだった。

そして戦況は(誰でもそうあるように)理性は常に劣勢だった。

ブラス・トルタが軍務(書類仕事だが)を放棄し、細巻を吸って紫煙を吐き出していたのは、つまるところ、彼の内部で起きている理性と感情が起こした戦争の和平交渉が上手くいっていないからだった。


そんな無益な戦争をとりあえず停戦にさせたのは。彼の前に転がってきた一つのボールだった。

遠くで……竜巣母艦の周りに立てられていた柵の向こうで……手を振っている子供の姿が見える。

男の子らしい。その隣には保護者らしき大人の姿も見えた。その向こうには何人かの子供の姿も。

乗船まで待たされている間、子供たちは大人たちの事情など無視して、仲間を見つけては遊んでいるのだった。

その中には、ボールを持ち出している子もいる。蹴りあっていたボールがふとした拍子でブラスのところまで飛んできてしまったのだろう。


ブラスはボールを拾い上げると、歩き出した。

投げ返すのではなく持って行ってやることにしたのだった。

なにかの気分転換になれば、その程度の考えだった。

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航空竜兵艦隊 松平真 @mappei

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