第22話 エピローグ
目覚めはいつもの同じで、ぼんやりとしたものだった。
この頃は特訓と称される拷問のせいで絶えず眠いのだが、習慣というものは恐ろしく、例えどんなことがあろうとも、リンの朝食を作る時間になると、自然と目が覚めるようになってしまった。それにしても眠い。というかダルイ気がする。
眞己は身体を起こすと、これも習慣となった動きで枕元にある眼鏡をとろうとして、そこに何もないことに気がついた。そのことに首をかしげる。寝るときは必ず眼鏡を枕元においてから寝るはずなのだが。
「はて? 昨日は眼鏡をどこに置いたっけ?」
そうして昨日の出来事を回想していくうちに顔が強張るのを感じた。
そうだ。自分はリンを助け出して、それから急に視界が暗くなって、そして──
眞己は頭を横に振った。どうしても思い出しない。それからどうした。思わず頭に抱えると軽い鈍痛を感じた。包帯が巻いてある。
いや、とにかくそんなことを気にしている場合ではない。
「──リンっ!」
そう彼女を見つけて、ことの安否を確認するのが先決だ。
思い立ってベッドから勢いよく飛び出し、リビングに向かったのだが──
──ガンッ!
「~~~~ッッ!」
途中、タンスか何かに足の小指を打ちつけてしまい、地獄の苦しみを味わった。やはり眼鏡のない状態で急に動くのは危険らしい。それでも眞己は視界のきかない状態で、できる限り速く移動しリビングに向かった。
「リン!」
呼びかえるも、返事は返ってこなかった。
だが、
──カタン。
リンの部屋から反応があった。きっと彼女はそこにいるのだろう。
「おい、リン! いるのかっ?」
呼びかけと同時に何度もドアをノックする。
すると──
「眞己?」
弱々しくはあったが声が返ってきた。それはまさしくリンの声で、そのことに眞己は心の底から安堵した。
「ああ、入るぞ」
「……どうぞ」
こちらから開けるまでもなく、扉は開いた。すぐそこにいたらしいリンが開けてくれたのだ。
だが、眞己にはリンの姿がはっきりとは見えなかった。うっすらと人影らしきものがわかるくらいである。
「はい、眞己」
リンがその言葉と共にあるものを渡してくれた。それは眼鏡だった。いつも自分の使っているものではなく、新しいものらしい。
「おお、サンキュ──」
眼鏡かけてリンを見た眞己は、言葉を途切れさせて思わず呆然としてしまった。
目の前にいるのは、確かにリンだった。
それは間違いない。
だが、リンはいつもの男装姿ではなく、女子の制服を着ていたのだ。
彼女はスカートに穿き慣れてないからなのか、躊躇と恥じらいが入り混じった様子で、もじもじと内腿をこすり合わせ、その前で指を忙しなく組み替えていた。
「──リ、リン?」
彼女は眞己の呼びかけに、びくんっ、と肩を震わせた。
「えぇと、その、変だよね……うぅ……。でも鳴海姉さんが、どうしてもこれを着ろって……」
そう言って顔を真っ赤にして俯いてしまった。
それに眞己は慌てて首を横に振った。
「い、いや、変じゃない。えっと、その、かわいい、と思うぞ」
思わずそんなことを言ってしまう。
「えっ?」
リンがその言葉に顔を上げ、さらに顔を真っ赤にして俯いてしまう。
その女の子らしい仕草に、眞己はさらに慌てた。
「あ、いや、その、……違うんだ」
そう言うと、リンは哀しげな表情をみせた。
「ちがうの……?」
その反応に、眞己はさらに恐慌状態に陥ってしまう。いやな汗が後から後から流れ出る。
「いや、ち、違わない。か、かわいいのは本当だ。うん、き、きれいだ。ああ、だけど違うんだ。あ、そのかわいいというのを否定したわけじゃなく、その、な……」
もう自分でもなにを言っているか理解してなかった。ただ混乱してて、もう背中は冷たい汗でぐっしょりと濡れていた。
リンが眞己の言葉を一言でも聞き逃すまいと真剣な顔でこちらを見つめていた。
そして、眞己は気がついてしまった。
手が自然とリンの頬に伸びる。
それに、びくんっ、と身体を振るわせたが彼女はその手を避けなかった。色素の薄い柔らかな髪の間から頬に手を添える。
うまく髪と化粧で誤魔化してはいるが、その頬には殴られた跡が痛々しく残っていた。
「ごめんな……」
謝罪の言葉が自然と口から漏れた。
それにリンが哀しげに顔を歪めた。
「なんで、なんで眞己が謝るの?」
「たとえ喧嘩をしていても、かれんとのことで気まずくても、お前のそばを離れるべきじゃなかった。オレがそばにいれば、みすみすお前をあんな目に遭わせることはなかったのに。あねごだってなんとか助けることができたかもしれないのに、鳴海先生が駆けつけるまでは時間を稼いでやれたのに──。だから、ごめん」
「謝らないで。お願いだから、それ以上謝らないでよ……っ」
リンが湿った声で言った。
「だって、悪いのはボクなんだから。かれんのことも、お恵さんのことも、全部ボクが、悪いんだから」
リンが濡れた瞳を伏せた。長い睫毛が影を作りその陰影を濃くする。
「ボクね、あのとき眞己が死んじゃったかと思った。ボクを護るために眞己が……っ。ボクはあんな酷いことをしたのに、それなのに眞己は助けに来てくれて……」
リンはただ静かに涙をこぼしていた。
「それなのに、ボクは謝ることすらできなくて……。でも眞己は謝ってくれて、なにも、なにも悪くないのに……っ。これじゃあボクが、あまりにも惨めじゃないか」
「リン。……ごめん」
「謝るなって言ってるだろうっ!」
リンがこちらの襟首を掴んで言った。
「……謝らないでよ」
そのまま胸に顔うずめるようにして呟く。
「謝るのは、ボクのほうなんだから──」
「え?」
──ごめん、なさい──
それは囁くような声だったけど、確かに彼女はそう言った。
眞己はリンが謝るのなど初めて聞き、そして耳を疑った。あのリンが謝ったのだ。厚顔不遜でやたらと矜持が高く、それでいて絶対に他人に弱みを見せようとしない、あのリンが。
眞己は信じられないものを見るようにリンを見下ろした。それと同時に、彼女も恐る恐る眞己の胸元から顔を上げた。その上目使いで窺ってくる瞳はいまだ濡れていて、これまでになく不安そうに揺れていた。
「許して、くれる?」
それは親に許しを請う幼子のようで、どこか胸の奥が、きゅうっと締めつけられた。眞己はそのことに苦笑を浮かべながら、やや乱暴にリンの頭に手を置いた。そしてやわらかな細い髪を梳くようにして何度もなでる。
「ああ、もちろんだ」
その言葉に、リンは泣き笑いのような表情を浮かべると、また眞己の胸に顔をうずめてしまった。
「……リン?」
「……よかった。眞己が許して、くれて……っ。もう、絶対に、許して、くれないんじゃないかって、ずっと、不安で……っ。ふえええ──っ」
やっと泣き止んでくれると思ったのだが、リンはそう言うとさらに力いっぱい泣きだしてしまった。
「おいおい……」
眞己はそんな彼女を持て余すように見下ろした。どうにか慰めようとするのだが、どうしようもなく。結局はリンの肩をやさしく抱き、泣き止むまで思う存分泣かせてやろうと思った。
「もう、いいんだよ。我慢しなくても。オレは、ずっとそばにいるから」
そう言うと、彼女はさらに声をあげ、幼子のように泣きじゃくった。何度も、ごめんなさい、ごめんなさい、とあやまりながら。
そのたびに眞己は、もういいんだよ、と耳元に呟き、背中をなでた。
腕の中には細い肩を震わせているリンがいる。これを見ていると、いつもの王子様然とした笑みを浮かべて女子に囲まれているとは信じられない思いだ。
それでも、これでいいんだと思う。これが自分や他人を偽る仮面を外した、──本当のリンだと思うから。
今までずっと我慢してきたんだから、これからも我慢していかなきゃいけないだから。
だから、今だけは、自分の前だけでも、本当のリンでいて欲しい。
だって、オレはただ一人、リンの正体を知っているのだから。
そう、ラブコメ野朗の正体は、──とても可愛い女の子なのだから。
ラブコメ野郎の正体は? 宮原陽暉 @miya0123456
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