dear ghost

moes

dear ghost

 喧騒。

 必要以上に盛り上がった宴が公園内では繰り広げられているようだ。

 桜を愛でるという名目の下、実態はただの馬鹿騒ぎ。花を見ている人間がどれほどいるのだろうか。

 くだらない。

 ひらり、と横切る桜の花びらを戯れにつかみとろうと手を伸ばす。

 気まぐれに漂いすり抜けていってしまう一片を見送って苦笑めいたため息をもらす。

「ぅっるさーい。やかましーい。桜くらい、静かに見られないのかーっ」

 周囲の騒音を一掃しそうな怒鳴り声。

 反射的に声の方を見上げてしまう。

 桜の木の間に浮かんだ声の主と目が合った。誤魔化しの効かないくらい、ばっちりと。

 上から声が降ってくる時点でおかしいと思わなければならなかったのに。

 自分より二、三、年長の二十代半ばくらいにみえる半分透けた青年はにんまり笑うとこちらに近づいてきた。

 ――大失敗。



「こんにちはー。はじめましてー」

 ムダに愛想よしな幽霊だ。

 とりあえず、無視を試みつつ足早に人気のない方へ向かう。

「見えてないフリしないでよー。あれだけあからさまに目ぇ合わせておいて」

 背中に張り付き、耳元でささやく。

 本当に勘弁して欲しい。

 辺りに誰もいないことを確認する。

「おれはあなたに用はないし、何かしてあげることも出来ない。はなれてください」

 感情をこめず淡々と言う。

「そんなさみしーこと言わないでよー。つれないなぁ。話を聞いてくれるだけで充分。高望みはいたしませんよー」

 首にまとわりつきながら幽霊は言う。

 その、話を聞くということが既にかなり迷惑なのだけれど。

 自業自得か。

 いつもなら見えざるものに反応するなんて失敗しないのに。

 ため息がこぼれる。

「話、聞くだけですよ。とりあえず、場所変えましょう」

 当たり前だが、一般的に幽霊は見えないし、声も聞こえない。

 はたから見たら、独り言を言いながら歩く不機嫌そうな男、完全に不審者だ。

「どこへなりともー」

 こちらの気も知らず、明るく幽霊は答えた。



「神社?」

 幽霊の声にどことなくおびえが混じっている。

 あれだけ能天気でもやはりこういう場所は怖いのだろうか。本能的なものなのだだろうか。

「何か問題でも?」

「……いや、幽霊とかって入っちゃって大丈夫なわけ?」

 大丈夫じゃなくてもこちらとしてはなんら問題ないのだけれど。

「邪な心を持っていなければ平気なんじゃないですか?」

 神社は穢れあるものは立ち入れない神域とは聞くけれど、実際それだけの力のある神社なんてさほど多くないだろう。どこか廃れた雰囲気のあるこんな小さな神社なら尚更。

 幽霊のことなど気にせずさっさと先に入る。

 小さな社の横にやせた桜が一本、満開の花を咲かせている。

 ほっとする。人がいなくて。静かに桜を眺めるのには最適だ。幽霊付きでさえなければ。

「良かったー、なんともなくて。霧散したらどうしようかと思ったよ」

「……良かったですね」

 霧散してしまえばよかったのにとまではさすがに思えず、でもできれば付いてこないでほしかったという思いは当然あって、それがまざって非常に心のこもっていない声になった。が、それはそれで良かったかもしれない。

 甘い顔をしてつけあがられて本当に憑かれる羽目になったらシャレにならない。

「そんな嫌そうな顔しなくても」

 苦笑いする幽霊に無言を返す。

「ところで、いーね。ココ。桜一本ってのがちょっとさみしい気もしなくもないけどさぁ」

 幽霊は桜を見上げる。

「まったくねぇ、カンベンして欲しいよなぁ? こっちはさぁ、静かーに桜を眺めていたいっていうのに。昼も夜も連日大騒ぎでさ。桜なんかろくに見もしないで。ならどっか余所でやれって言うんだよなぁ。マナー悪いやつだとごみもそのままにしてくしさ」

 苦々しい声。

「全面同意」

 呟いた声に小さく笑みがまじってしまう。関わりたくないのは本当なのだけれど、口調というか雰囲気がどこか懐かしい友人に似ていて気がゆるむ。

「だよなー。穴場教えてもらえてラッキーだよ」

 にこにこ。人なつっこい笑顔。

「で、話ってなんですか?」

 手ごろな大きさの庭石にすわり幽霊に向き合い話を聞く態勢を作る。

 ほだされている場合じゃない。さっさと用件を済ませて別れないと。

「いや、さー。特に話があるってわけじゃないんだけどさ。あえていうなら雑談? しゃべらずにずっといるのってけっこう苦痛なんだよ。独り言はむなしいし」

「さっさと成仏したらどうです?」

「成仏の仕方がわかんねーんだよ、これがまた。困ったことに。キミ、知らない? ずいぶん幽霊慣れしてるみたいだし」

 桜を見上げて幽霊は言う。

 幽霊慣れっていやな言葉だ。事実とはいえ。

「知らないですよ。おれはただ見えるだけだから。未練を晴らしたりすれば良いんじゃないですか?」

 とりあえず、ごく一般的に。

「別に未練なんてないよ。あえて言うならもうちょっと生きていたかったなぁとは思うけどさ。それはどうしようもないし」

 なつかしい痛み。よみがえる、どうすることもできない無力感。

「キミが暗くなることじゃないでしょ。おれはそれなりに愉しんでるから平気よ? それどころか却ってちょっと得した気分だよ。幽霊やってるおかげで見られなかったはずの桜も見れたし」

 妙に前向きだ。幽霊なのにも関わらず。

「キミにとってはいい迷惑かもしれないけどね。キミは子供のころからずっと幽霊が見えるの?」

「……多分、見えていたんだと思いますよ。ただ、小さな頃は区別がついてなかったから」

 それが幽霊だなんて思わずに普通に対していた。それがおかしいことだということに気づいたのはいつ頃だっただろうか。

 もれた笑みには、自嘲的なものが含まれてしまう。

 なぜ、幽霊なんかにこんな話をしているのだろう。

「でもさー、実際は結構大変なんだろうけどさぁ。ちょっと良くない? 会えないはずの人と会えたりするんだから。例えばこの先……いや、まぁ縁起でもないけど、大事な人が先に逝ってしまったとしてもさ、会えるかもしれないし」

 慰めようとしているのかなんなのか、どこか必死に言う。

 他人のことばっかり気にして。変な幽霊だ。

「そううまくいけば良いんですけどね。友人には会えませんでしたよ、残念ながら」

 覚悟が決まっていたからか、さっさとすんなり成仏してしまったらしい友人。幽霊が見えるという力がはじめて役に立つかもと期待したのも事実だ。でもそれは結局叶わなかった。

「ゴメン」

 しょげたように、申し訳なさそうに幽霊は視線を落とす。

「謝らないでください。ちょっと感謝はしてるんです。アナタは少しその友人に似てて、なんだか懐かしいから」

 言うと驚いたように幽霊は顔をあげる。

「実はね、キミはおれの友人に雰囲気が似てて、だから話してみたかったって言ったら信じる?」

 幽霊はうっすらと微笑んで、そして桜を見上げた。



 ひらりと風に一片舞う花びら。

 いつの間にか幽霊は居なくなっていた。

「元気で」

 幽霊に対してそぐわない言葉は空に吸い込まれて。

 ただ、のこる静寂。


                                  【終】

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