窓辺のキス
田中ソラ
本編
貴方のいた空気。肺に目一杯吸い込んで、吐く。漏れる吐息に白。
少女が窓辺に座り、帰りを待つ。輝く月を見て、暖炉から零れる熱を浴びる。
「早く、帰ってきてね」
ただ一人のために。少女がいくつもの年を取った。
春を見て、夏を超え。秋を眺めて冬を過ごす。薄い布を一枚羽織り、少女はずっと窓辺から帰りを待つ。開かれることのない扉、人が通り過ぎる気配のない窓辺。外には誰も見えない。何も見えない。
黒く、布で覆われた窓はいつしか少女の癒しではなくなった。春が過ぎても、夏が過ぎても。秋、冬と超える季節。開くことのない窓。見えることのない景色。帰ってきてくれない待ち人。
少女の心は疲弊していた。
疲れて、疲れて帰りを待つ人以外に身を委ねようとさえした。けれどできなかった。
少女の真っ直ぐな心は視線を逸らすことを許さなかった。
「いつまで待つつもりだい?」
「……いつまでも」
部屋には少女の他に一人、老婆がいた。ずっと窓辺に座り、外の見えるはずのない窓を眺める少女に不思議と惹かれていた。もう少女と呼べるような年齢ではないのに幼く見えるその横顔。名前を名乗らない少女に老婆はずっと「少女」と呼んだ。少女の待ち人は少女が本当の「少女時代」だった頃しかきっと知らないはずだ。老婆は願掛けも兼ね、少女ではない彼女のことを少女と呼んだ。
やがて老婆は朽ち果てた。まるで林檎のように齧られ、次第に腐敗していった。少女は老婆が朽ちても窓辺から離れなかった。
いつの日か。窓に張られた黒が消えた。黒が消えると久方ぶりに見る外の景色が表れる。景色が美しいとは言えなかった。炎のようの燃える赤。赤は窓辺にいた少女の足を蝕む。
結局待ち人が来ることはなかった。窓辺とはいえなくなったそこから彼女は赤へと飛び込もうとした。するともう薄れた、本当の自分の名前が聞こえてくる。
記憶の中の待ち人とは変わり果てたあの人がいた。きっと少女も変わり果てている。「十年」という月日はとても大きい。
待ち人と少女の間に距離はない。
待ち人はそっと赤く膨れた少女の頬に触れ、そっと口づけた。嬉しくて嬉しくてたまらない少女の声はもう、届かない。
少女は待ち人の腕の中で、静かに果てた。
赤く膨れた、林檎のように……。
窓辺のキス 田中ソラ @TanakaSora
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