星待ちの懊悩

佐久良 明兎

星待ちの懊悩

 君が私の元を去ったのは、もうずうっと前の話で。

 だから別に今更遠く地元を離れて都会に来てしまったところで何も支障はない。

 はずだったんだけれど。



 今日も私は、星を待っている。



+++++



 大学と高校のクラスって、似ているようでいて致命的なまでに違っている。

 同じクラスの男子に恋をして、やきもきしている友人を見るとそう思う。


 高校ならば、クラスが一緒であれば一部を除いたほとんどの時間を同じ教室内で過ごせるわけだし、何かのイベントの際には同じ枠組みの中で活動が出来るわけだけれど、比べて大学では、一緒にいられる時間なんてのは語学の時間ぐらいである。

 その語学の時間だって週に四回、時間にして六時間しかないのだから、いかにそれが頼りないくくりであるかというものだ。結構『仲間』という意識が芽生えたりする高校のクラスと違って、大学のクラスはただ単に同じ授業を共有している集団にすぎない。

 彼女の苦悩がうかがえるというものだ。


 中学・高校と女子校育ちの温室培養な彼女は、ただでさえこの手のやりとりにはうといというのに、なかなか大変である。

 おまけについ今し方、彼女の愛しの君を密かに同じサークルの女の子が狙っているという噂がとびこんできたのだ。まったく、一体どこから仕入れてくるのか、女の子の情報網には計り知れないものがある。


「ねぇ、クラスとサークルだと、どっちの方が有利かなぁ……?」


 私の袖をくいくいと引っ張りながら、不安そうな面持ちで彼女は私に聞いてきた。


「まぁ、サークルの勝ちだろうね」

「ふええええん」


 純情な彼女は面白いくらい予想通りの分かりやすい反応で、眉をハの字にして困り果てている。事実でもそれを伝えてしまうのは幾分か可哀想な気もした。

 事実だけど。


 クラスでの関係とサークルでの関係の親密さは、明らかにサークルの方が上である。これでも私は友達が多い方だが、各所でサークル内カップルの話は聞いても、クラス内カップルの話はあまり聞いたことがない。

 しかしいくら恋する乙女であっても、根っからのインドア派であり、尚かつ真面目な彼女である。愛しの君の所属する体育会系サークルには、たとえマネージャーであっても入る勇気がないのだった。


「動機が不純だよぅ……。それに、マネージャーなんて、できないし」


 サークル入っちゃいなよ! と後押ししようとした友人達は、しかし、彼女の発言と困り果てた表情を受けて異口同音に頷く。


「無理だね、あんたには」


 まっすぐで不器用な彼女に、そんな器用なこと出来るわけがない。

 自覚している本人もその反応を否定すべくもなく、参ったとばかりに机に突っ伏したのだった。


 ……しかし、それにしても、大学が同じで、しかもクラスが同じなんだから、これ以上の贅沢は言うなと言ってやりたい。いや、言ってはいないけど。


 私からしてみれば、たとえ週四回しか会えない間柄であっても、どんなにあがこうと会えないよりはよほどマシというものである。

 そもそも私の好きな人は同じ大学はおろか、同じ場所にすらいないのだ。


 でも言わなかった。

 詳しく話さざるを得ないのは、心底つらい。



+++++



 冷静に考えてみれば、私はもう大学一年生で、だからつまり早三年が経過したということになる。


 もう三年。

 まだ、三年。


 癒えない傷は癒し方が中途半端だからだ。うみを取り除くみたいに、こう、ざっくりといっちゃったほうがいいのかもしれない。最初から最後までが中途半端だから、こういうことになるのだ。


 いっそのこと、直視してしまった方が良かったのかも知れない。何もかもが曖昧であやふやのまま事実だけ突きつけられても、受け入れがたさは増すばかりである。


 でもそれはどだい無理な話だったのだ。

 別に私と君は恋人でもなんでもなかったのだから。


 よくドラマや映画や小説なんかでは、主人公とかが遠く離れた恋人の写真を身につけていたりするけれど、写真は何の役にも立たない。

 ただ切なさが増すばかり。


 私が欲しいのは、見たいのは、必要なのは、君の影じゃない。

 君の存在、そのもの。


 でもまあ、皮肉だね。

 結局、私は君の遺影すら見ることはなかった。




 最後の時には、私は行かなかった。

 さっきも行ったように、このときにはっきりと現実を直視していればこうはならなかったのだろうけど、私はその時呼ばれもしなかったし、そもそも行こうにも君の家すら知らなかったのだ。


 クラスが一緒な訳でもなく、学校が一緒な訳でもなく、住んでいた地域が一緒な訳でもなく、ただ塾が同じだったというだけの関係。一年間関わったか関わらないか分からないような間柄なのだから、当たり前である。

 それを知ったのは新聞のお悔やみ欄と友達のメール、どっちが先だったっけ。




 最後の時にも君は綺麗な顔をしていたらしい。




 一度だけ、長い会話をした。

 深夜、塾の授業が終わって親の迎えの車を待っていた時のことだ。


 他の生徒達は皆帰ってしまい、静まりかえった塾の駐車場に取り残されたのは君と私だけだった。

 何で二人の親が迎えに来るのが遅くなったのか理由は分かってる、ワールドカップがあったからだ。私の親も君の親もサッカーが好きだったようで。その時の会話で知ったことだけど。受験生の子供に勉強をさせておいて、自分たちは優雅にサッカー観戦かよ、と君はすねながらも笑っていた。


 よく晴れた夜だった。田舎の、大通りから離れた路地だから、星がよく見える。

 私たちは夜空を見上げた。随分時間が経ってからようやく私の親が迎えに来るまで、いろいろな話をした。私のことは、あまり話さなかったかも知れない。自分のことは覚えていない。でも、君の話したことはよく覚えてるよ。


 志望校は私立の理数科で、もしくは公立のトップ校の普通科で、高校に行ったら、ありきたりな解答だけど勉強を頑張って中学から続けてたサッカーも頑張って、そして、そして。大学は国立の理学部に行って、天文を勉強して、学者になるって。

 私が星が好きだっていったら、照れくさそうにそこまで教えてくれた。あまり関わりのない女子だったのにね、ただ塾が一緒なだけの。


 星の話をした。

 まだ授業でも天体はやってなかったのにね。お互いに詳しかったから。でもやっぱり少し得意分野は違って、君は星の種類とか名前とか難しいことをよく知っていて、私は神話の方が詳しかった。今も昔も文系だったから、私。


 あの後、冬にもう少し話す機会があって、理科のテストで天体のところが満点だったことをお互いに喜び合ってた。嬉しいね。


 あの会話の後、私は以前にも増してよく星空を見上げるようになった。

 そしてあの日以降も。


 別に『人は死んだら星になる』とか、そんな使い古された内容の会話をした訳じゃない。

 でも私は、あの星を君だと認識した。


 だって、輝いてたから。

 君が違うところにいってしまったその日にも。


 大都会の空には君の星は輝いていなかった。

 分かっていたけどね、分かってた。

 でも寂しい。

 君がいない。



+++++



 恋する乙女な彼女の相談もどきを学食で一時間繰り広げた後、私は中学からの、事情を全部知っている友人と一緒に、次の時間に講義がある他の友人達と分かれて帰路についた。


「……ねぇ」


 少し躊躇いながら友人が話しかける。


「もう、あんたは大丈夫なの?」

「ああ、うん。……ううん、東京は明るすぎて駄目だねぇ」


 わざと私は明るく言った。呆れと困惑が入り交じった表情で、友人は気遣わしげに言う。


「……彼氏出来ないよ?」

「いいよ、別に。いらないもん」

「あんた、ねぇ……」


 彼女は言葉を迷わせて、やがてため息をつく。

 せめて君が元恋人とかだったら「あんたが幸せにならないとあいつは悲しむよ」とでも言えるんだろうけど。


「大丈夫だよ、心配ご無用」


 私はちょっと微笑んでみせる。まったく、こいつは昔から心配性なのだ。

 なにが無用なんだか、と奴はぼやいた。


「……ああ、今夜は晴れるといいねえ」


 ばかだってことは分かってる。

 前向きじゃないってことも分かってる。

 それでも、だけど。



 だから今日も私は、星を待っている。






 たとえ大都会の真ん中であっても。

 たとえ、世界すら違っていたとしても。


 この空が、星が、君の所に繋がっていると、信じていてもいいですか。

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