四人の天使にゴールはない

烏目浩輔

四人の天使にゴールはない

 待望の二人目が生まれたのは長女が四歳になったときだった。男の子でも女の子でもどちらでもよかったのだが、半年前に生まれたその二人目は次女だった。ついでに、三女と四女も同時に生まれた。


 つまり、私は想定外の三つ子を産んでしまったのである。


 三十代前半になると年齢的な問題も出てくる。早く二人目がほしかったのは確かだ。しかし、いっきに三人もなんてなんの冗談なんだ。未曾有の事態とはこういうときに使う言葉ではないだろうか。


 だから、医師に三つ子だと告げられたとき、私はおおいに困惑してこう呟いた。


「マジかよ……」


 マジで〝マジかよ〟だった。おっとも〝マジかよ〟という顔をしていた。もちろん、喜びの〝マジかよ〟でもないし、驚きの〝マジかよ〟でもない。


 今後に対する不安が「マジかよ……」と口走らせたのだ。


 子供が生まれるといろいろを物入りになる。それは長女のときに経験しているので間違いない。三つ子だとその物入りが全部三倍になる計算だ。食費も三倍、衣料代も三倍、あれやこれやが三倍。そういえば、長女は乳児のときに熱をだすことが多く、ちょくちょく医者の世話になった。三つ子の妹たちも同じであればそういった医療代も三倍だ。


 しかも、子供は当然ながらスクスクと成長していく。いつまでも赤ちゃんではないのだ。保育園や幼稚園。小学校や中学校。それらの入学金や授業費も三倍だ。加えて高校や大学の受験費用なんかも三倍。


 考えると頭がクラッとした。どうやって膨大な三倍もの金額を払っていくんだ?


 新しい命が生まれた喜びよりも、やっちまった感が完全にまさっていた。


 いや、もう本当にマジかよ……。


 しかし、私や夫の心配をよそに、三つ子は人気者だった。同じ顔をしたちっちゃいものが三つもいると可愛いのだ。親類縁者や友人はもちろんのこと、見ず知らずの人にまで三つ子は大人気だった。


「あら、可愛い。三つ子さんなの? なんて可愛いのかしら」


 あるとき電車の中で有閑マダムらしき人に、うっとりとそう言われたこともあった。


 確かに三つ子は可愛い。三人そろって笑っているときなんて、腰が砕けてしまうほど愛くるしい。だが、子供は泣く。病気になる。奇怪な動きをする。大も小も漏らす。なにかとやらかす。


 三つ子の可愛いさは三倍。しかし、苦労は三乗……。


 三人がいっせいに泣きだすと、私と夫で必死になってあやす。だが、夫婦はふたりで三つ子は三人だ。手がひとりぶん足りない。三人いるというだけで規格外である。ごく普通の規格内である私たち夫婦は、規格外なものを持て余してしまう。


 着替えをさせるだけでも大変な苦労だ。ひとりだけでも時間がかかるというのに、三人も着替えさせなければならない。夫婦でふたりを着替えさせているうちに、残りひとりが花瓶を倒すというトラブルもあった。さいわい誰も怪我をしなかったが、大事になっていた可能性だってある。


 そのうえ、三つ子というのは一心同体らしかった。ひとりが病気になると、残りふたりもあとに続くのだ。三人揃って高熱をだし、鼻水を垂らしまくる。夫婦はふたりで三つ子は三人。手がひとりぶん足りない。病院に連れていくのも一筋縄にはいかない。


 日常のすべてに苦労が尽きなかった。ケタケタ笑う三つ子が悪魔に見えることすらあった。だが、憎めない。私たち夫婦にとんでもない苦労をかけてくれる三つ子は、天使を余裕で抜き去るくらい可愛いのだ。悪魔のくせに天使。天使のくせに悪魔。悪魔の魅力を備えた天使。ひっくり返せばオセロのように白い天使と黒い悪魔が入れ替わる。まったくもってタチが悪い。


 そんな苦労ばかりの毎日だったが、思いもよらない救いもあった。長女だ。長女は三つ子の妹たちが生まれるまで、男の子のようにおてんばだった。そして、大国のお姫さまのようにわがままだった。それが、妹たちが生まれた途端に、すっかりいいお姉ちゃんになった。


 もしかしたら、子供ながらに私たち夫婦の苦悩を察して、負担をかけまいとしてくれているのかもしれない。長女はおてんばでわがままだが、大人さながらに空気を読める子だ。普段はギャンギャン騒いでいても、人さまがいるところでは、いいとこのお嬢様のようにスンしている。空気を読んで静かにしているのだ。


 さらに、自分がどのように振舞えばいいのかもよく知っていた。大人を上目遣いで見つめてニコッと微笑む。そのエンジェルスマイルに骨抜きにされた御仁がどれほどいたことか。我が娘ながら末恐ろしい。


 そうやって長女は空気をしっかり読む子だ。だから、右往左往している私たち夫婦に気を使って、いい子になってくれたのかもしれない。奇声をあげて家の中を走りまわらなくなったし、可愛いわがままも酷いわがままも言わなくなった。自分でできることはなるべく自分でするようにもなった。


 そして、妹たちが可愛くて仕方ないようだった。暇さえあれば妹たちと遊んでいる。三つ子を人形にように思っているのだろうか。いや、そうではないだろう。自分と血の繋がった人間というのがなんとなくわかっている感じだ。そのうえで、妹たちを可愛がっている。


 三つ子のほうもお姉ちゃんが大好きのようだった。長女が遊んでくれているとご機嫌だ。長女がいなくなるとギャーギャー泣きだし、長女が現れるとキャッキャッと笑いだす。そんなことが何度もあった。もしかしたら、三つ子をあやすのが一番うまいのは長女かもしれない。少なくとも夫よりはうまい。


 夫は一生懸命あやそうとしながら、逆効果になることもしばしば。今まで私は幾度となく心の中で殺意を覚えてきた。


(てめえ……)


 長女のほうがよっぽど頼りになる。長女さまさまである。


 なあ、夫……。ちょっとお前、長女を見習え。


 そんな長女がもうすぐ五歳になる。最近はあまり構ってやれなくて申しわけなく思っていた。だから、夫と相談して誕生日プレゼントくらいは奮発してやろうと考えていた。


 私は長女に訊いた。


「誕生日プレゼントはなにがいい?」


 長女はベビーベッドで眠る妹たちを眺めていた。


「なんでもいいの?」


 あまりに高額のものでさえなければ長女の願いを丸ごと叶えてやるつもりだ。私が「いいよ」と返すと、長女は三つ子を順番に指差した。


 それから、まさかのことを口にしたのだった。


「三人に服を買ってあげて。新しい服」


 マジかよ……。私はマジで泣きそうになった。


 いつから長女はこんなにいい子になったのだろうか。自分のことより妹たちのこと優先したのだ。自己を犠牲にして他人を愛す。これではまるで本物の天使ではないか。私は人間を生んだつもりで、実は天使を生んでいたのか。


「買う。いっぱい買う」


 私はそう言って長女を力いっぱい抱き締めた。


 それから一週間後に長女は五歳になった。イチゴのショートケーキと長女の好きな桃でお祝いをした。誕生日プレゼントは三つ子の新しい服と、長女用の豪華おままごとセットにした。


 子育てにはゴールなんてないかもしれない。けれど、子育てどんどこいだ。むしろ、いつまでも子育てをさせてほしい。子供ほど尊いものはない。尊いものを育てるのにゴールなんていらないのだ。苦労がたくさんあってもずっと育てていきたい。


 もしかしたら、すべてのことがそうなのかもしれない。ゴールするよりもその過程に価値があるのではないだろうか。苦労やら失敗やらをたくさんして、あれこれと頭と心を悩ませる。そういう無駄っぽいものが、人の輪郭を作るのかもしれない。

 

 ところで、今日も長女と三つ子は仲良しだ。長女は優しい目を妹たちに向けている。妹たちは愛くるしい笑顔を長女に向けている。どうやら私の家には四人の天使が棲んでいるらしい。





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