死視累々

まっく

死視累々

 森の奥。

 川辺に女が立っている。


 着衣が取り去られると、美しい曲線でのみ描かれた裸身が、青白い月の光に照らし出される。


 女は、森の息吹を、川の細流せせらぎを、夜の静寂しじまを、月の精彩を、余すところ無く受け入れるように、両手を広げる。


 しばらくの間、そうしていたかと思うと、おもむろに右手を首元にやり、つぶやく。


「どう? 満足した?」


 手をやった首元には、少しいびつな曲線があった。

 その歪さもまた、美しさの一部だった。




 相馬奏汰そうまかなたが、三崎結みさきゆいと再会したのは、親友の美濃部大樹みのべだいきとの待ち合わせ場所のファストフード店の店内だった。


 結は辺りを見回してから店名を確認し、店の中に歩を進める。

 ソフトドリンクだけを注文すると、入口付近の座席にいた奏汰には気付かずに通り過ぎ、奥の座席に陣取った。


 奏汰とは中学以来、約七年も顔を合わせていなかった。

 文化祭委員で一緒になった時も、必要事項以外の会話は無かったのだから、気付かないのも当然だろうし、そもそも覚えてもいないかもしれないと思った。


 結は、待ち合わせか、時間潰しか、手持ち無沙汰にストローをくるくるともてあそびながら、時折、入口に目をやっている。


 奏汰も、親しくもない自分が、わざわざ声を掛けるのも迷惑かもしれないし、何処か声を掛けづらい雰囲気を結に感じていた。

 中学の頃の結は明るくて誰にも壁を作らないような女の子だったのに。

 気にはなりつつも、既に飲み干していたカップの氷をカサカサと溶かす行為を繰り返していた。


「奏汰、すまん遅くなった」


 大樹が慌ただしく店内に入ってくる。


 奏汰はカップの中の溶けた水をストローで啜り、テーブルから立ち上がる。

 気付くと結は、いつの間にか飲み干していたドリンクのカップをゴミ箱に捨て、奏汰たちの横を通り過ぎようとしていた。


 結はチラリと奏汰に目を向けると、驚いたように目を見開いた。


「ひょっとして、相馬……くん?」


 奏汰は、名前を覚えてくれていた事に驚く。


「三崎さんだよね。久しぶり」


「うん。待ち合わせ?」


「そう。実は気付いてたんだけど」


 大樹は横で「なになに、知り合い?」と興味津々だが、奏汰は「あとで」とたしなめる。


「声掛けてくれたら良かったのに」


「僕の事なんて覚えてないと思ったんだよ」


「忘れるわけないよ。文化祭委員で一緒だったし」


 奏汰は結を見て、壁のように感じていた物の正体が少し分かった気がした。

 まとっていた雰囲気と共に、もう随分と暖かくなっているのに、口元まで隠れるような大きなマフラーをしているのが、原因だったのだと思った。それが何もかもを拒絶しているように見えたのだ。


 そう奏汰が感じたのとは裏腹に、結は連絡先の交換を要求してきた。

 奏汰は戸惑いつつも了承した。連絡なんてこないだろうなと思いつつも、その事実だけで、何処か心がフワフワしていた。



 奏汰の予想に反して、翌日に結から連絡があり、それから数日後、ファミレスで会う事になった。

 約束の時間より、かなり早く来てしまったが、間もなく結もやって来た。


 結は、この日もマフラーをしていた。


 二人とも夕食がまだだったので、しっかりとしたセットメニューを注文する。


 奏汰は、何か話さないといけないと思い「こんな店で良かったの」と言ってから、デートでもないのに、と気付き恥ずかしくなる。


「こんなって、相馬くんお店に失礼だよぉ」


 と、結はそんな事に気付いた素振りも見せずに笑顔で返す。


「食後のデザートは、苺パフェをはんぶんこしようね」


 結はそう言った後「ここの苺パフェ好きー」と、妙に明るい調子で言う。


 奏汰は、その取って付けたような明るさが、この後の深刻な話の前触れのように感じていた。


 結は「おいしかったねー。お腹いっぱい」と言いながらも、メニューのデザートのページを指でなぞり「次に来たら、これかな」と、話を切り出すのを先延ばしにするように、はしゃいだ素振りを見せている。


「今日は、食事をする為だけに呼び出したんじゃないよね」


「うん。でも、まだ迷ってる」


 結はきちんと座り直し、背筋を伸ばす。


「きっと信じてもらえないから」


「そのマフラーとか関係あるの」


「やっぱ不自然だよね、これ」


 そう言って、結はマフラーをなでつける。


「でも、まず一番大事な話からするね。この前一緒にいた男の子」


「大樹?」


「大樹くんっていうんだ」


「うん、美濃部大樹。一番の親友で、たぶん一生付き合っていく友達」


 それを聞いて、結は目を伏せる。

 そして、意を決したように話し出す。


「その大樹くん。近々死んじゃうの」


「何で、そんな事が……」


「信じられないかもしれないけど、とりあえず、最後まで聞いてほしい」



 ────私には未来が見えるの。


 未来って言っても、予知能力じゃなくて、人の死の未来だけ。

 突然、大量に流れ込んでくる時もあれば、すれ違った時にフラッシュみたいに一瞬だけ見えるとか。


 最初に見えたのは、たぶん、ひいおばあちゃんの時。

 田舎に帰って顔を見た時に、家族に囲まれて目を瞑っている俯瞰の映像が、頭の中に流れ込んできた。

 一週間も経たないうちに、危篤の報せが入って駆けつけたら、丁度そんな状況だった。



「で、マフラーは」


「ちょっと隣に座ってほしい」


 結が手招きする。


「あまり、驚かないでね」と言って、結はマフラーを少しずらして、右の首元を奏汰に見せる。


 奏汰は親友の死の予知を聞かされたにも関わらず、今まで見えていなかった肌の露出にドキドキしてしまい、自己嫌悪に陥る。


 しかし、それも束の間、右の首の側面に大きな瘤のような物があるのを見て、ギョッとする。


「大丈夫なの、それ」


「うん。今のところ」


「ちゃんと調べてもらった?」


「嫌になるくらいね」



 ────この瘤は、クラウンゴールっていうやつらしいの。日本語では根頭癌腫こんとうがんしゅ

 虫こぶって聞いた事ないかな?

 英語ではゴールっていって、植物に出来るやつなんだけど。

 虫が寄生して植物に瘤を作らせるみたいな。

 クラウンゴールは、それの菌バージョン。アグロバクテリウムって細菌が作り出す。


 もちろん、どっちも人間に寄生するってことはなくて、だから、私のは正確にはクラウンゴールみたいな物で、菌もまったく未知のやつらしい。



「それと死が見えるのが関係してる」


「因果関係は証明出来ないけど」


「心当たりが?」


 結はこくりと頷く。



 ────中学卒業してから、高校に入学するまでの間だったと思う。

 友達が秘術の書って手書きの本を家に持って来て、みんなでワイワイ読んでたんだけど、結局、それを忘れて帰っちゃって。

 何となく暇だったから、予知能力が手に入る秘術の儀式をやってみた。子供騙しみたいな儀式。


 儀式の後から、少し首に違和感を感じてた。けど痛みも無いし。いつの間にかこんなになって、頸動脈に絡み付いてるから、切除も出来ないし。

 死が見える毎に大きくなってる感じがする。

 後、満月の光。それも栄養分にしてると思う。満月の夜はどうしようもなく森の奥へ行きたくなる。木の間から月がぽっかり見える川辺に。


「信じるよ。ここまで細かい設定を用意してまで、嘘をつく理由も分からないし」


「ありがとう。相馬くんに話して良かった」



「でも、死が予知出来るなら、それを回避する事だって」


「絶対にダメ!」


 奏汰の声を結が遮る。



 ────私は、お父さんの死も予知してしまったの。

 車に轢かれて死んでしまう映像だった。

 その映像の中に日付が見えたから、その日、私はお父さんにしがみついて、家から出さないようにした。

 高校生にもなる娘が、泣きながらしがみついて家に居てなんて言うもんだから、お父さんも尋常ではないと思って、その日はずっと家に居てくれた。

 そして、見事、死を回避出来たように思った。その後、新たな予知映像も見なかったから、安心していた。

 しかし、悲劇は起きた。数日後、自動車による暴走殺傷事件で、お父さんは死んでしまった。一緒に出掛けていたお母さんと弟までも巻き込んで。

 運命を変えてしまったから、神の逆鱗に触れてしまったと思った。

 自分がお母さんと弟を殺したのだと。

 後を追うつもりだった。でも、出来なかった。死のうとすると、思うように体が動かない。まるで、未知の細菌が私の脳のプログラムをそのように書き換えてしまったかのように。


 それからは、見えてしまった死に、なるべく寄り添うようにしようと思った。

 事故死などは、時間が分かれば、その時間に祈りを捧げる程度だけど、自然死や病死の時、これも時間や場所が分かればだけど、遠目からでも、立ち会うようにした。

 その事に意味があるかは分からないけど。



「大樹は、どんな映像が」


「公園。意識が朦朧とした感じでベンチに座ってそのまま」


「病気かな」


「事件や事故じゃないのは確か」


 結は、今にも泣き出しそうな顔をしている。


「日時は?」


「ごめん、今日なの。一時間後」


「何で、すぐ言ってくれなかったんだ!」


 奏汰は思わずそう叫んでいたが、その理由は分かっていた。

 奏汰が大樹を助けようとするからだ。助けてしまえば、死ぬはずのない誰かが巻き添えになる。それが奏汰になるかもしれないと、結は考えた。


「相馬くん、一緒にその公園へ行こう。私は離れた所で見守ってる。貴方は最後の瞬間に手を握ってあげて」


「でも……」


「大樹くん、凄く苦しい顔をしてる。相馬くんなら少しは」


 奏汰は結と一緒に店を飛び出した。



 奏汰には手を握った時に、大樹がまだ生きていたのかは分からなかった。

 結は、私が見た映像より少しは、大樹の顔が柔らかいと言ってくれた。


 自分対しての気休めかもしれないと奏汰は思ったが、それでも最後に立ち会えて良かったと素直に思えた。



「僕にも一緒に寄り添わせてほしい。三崎さんが見た誰かの人生のゴールテープを切る瞬間に」


「ゴール?」


「そう。ゴールgallが見せるゴールgoalの瞬間」


「何か前向きでいいかも」


「僕たちが忘れなければ、そのゴールは終わりなんかじゃない」


 結は自然と顔が綻んでいた。

 久しぶりに心に温度を感じられたような気がした。

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