『ぼくという存在』
pocket12 / ポケット12
『ぼくという存在』
ぼくはいったい何者なのだろうか。
普通ならこんなふうに誰かに問いかけたら、「キミは消防士だよ」とか、「あなたは美容師よ」とか、「お前は宇宙飛行士だ」とか答えてくれると思うんだ。
変な目で見られるかもしれないけれど、呆れながらもきっと答えてくれるはずだ。
だけど、ぼくにはそれができない。なぜかというと、簡単なことで、この世界にはぼくしかいないからだ。
ぼくは、ぼく以外の生物が存在しない真っ暗な闇のなかに、ふわふわと空に浮かぶ風船のようにずっと漂っている。
いつからかは覚えていない。気がついたら、ぼくは今のように暗闇を漂っていた。当然、どうしてこんな場所にいるのかもわからない。
最初は夢だと思った。暖かいベッドの上で遅刻しそうになりながらもみているような夢。だけど、いつまでたっても醒めることはなかった。
そのうちに、ぼくはここが現実なんだと思うようになった。
それからぼくは現状を把握しようと努めることにした。
真っ暗だから何も見えないけれど、体は動かせるし、行きたい方向に進むことができた。
けれど好きなように動けたって、目的地なんてあるわけもない。考えることくらいしかやることがないから、ぼくはずっと考えていた。
ぼくはいったい何者なのだろうか、と。
もっとも、こうやって言葉を操っているのだから、きっと人間には違いない。
言葉を使えるのは人間だけで、人間と他の生物を分けるのは言葉を使えるかどうかだとぼくはどこかで聞いたことがある。
もちろん、それだけで人間と断ずるには不十分という意見もあるだろう。厳密にいえば、ぼくがいま使っているのは言葉ではなく思考であり、言葉は人間だけのものであっても、思考はそうとは言い切れないからだ。
人間以外にも脳を持っている生物がいるのだから、ぼく(あるいは人間)が知らないだけで、こんなふうに考えることができる存在もいるのかもしれない。
だから、ぼくはこう考えてみた。
例えばぼくがネコだった場合、きっとぼくはネズミを見かけると追いかけたくなるし、マタタビの匂いがすれば嗅がずにはいられないだろう。
例えばぼくがカラスだった場合、きっとぼくは餌を探すためにゴミを漁ったり、人間をバカにするためにカァーカァーと奇声をあげているに違いない。
例えばぼくがカエルだった場合、きっとぼくは舌に触れたものを手当たり次第に口に入れたくなるし、女の子を誘うためにゲロゲロと大きな声で歌いたくなると思う。
だけどぼくはネズミを見たってきっと——そもそもこの世界にはぼくしかいないわけだけど——追いかけたくならないし、餌を探すためにゴミを漁りたくはないし、手当たり次第になんでも口に入れたりはしない。
もちろんマタタビの匂いに興奮なんかしないし、人間をバカにするために奇声をあげたりもしないし、女の子に逢うためにゲロゲロと歌うこともない。
同じようにぼくが他の生物だと仮定して考えていった結果、やっぱりぼくは人間以外の何者でもないのだと思う。自分の存在について思い悩む一般的な人間。
けれど、考え続けた結果、ぼくはそこに問題があることに気がついてしまった。
いったい、ぼくがそう思ったところで、だれがそれを保証してくれるというのだろうか。
さっきも言ったけれど、この世界にはぼくしかいない。真っ暗で何も見えない世界だから、本当にぼくの体があるのかもわからない。それは、つまり、存在が確定されないということだ。
ちょっと想像したらわかると思うけれど、それは箱の中になにが入っているのかを当てるゲームと同じことなんだ。
いくら箱の中身がなんなのかを考えてみたところで、結局は開けてみるまではわからない。
同じように、いくらぼくが自分の姿を想像してみたところで、本当にぼくの姿がその想像通りだということにはなり得ない。
だけどそんなとき、もし自分以外に誰かが側にいたら、「キミは人間だよ」とか、「あなたはネコよ」とか、「お前はカエルだ」とかいうように簡単に決定してくれるんだ。
でも、ここでは誰もそんなことはしてくれない。真っ暗で何もない世界だから、自分の体がどうなっているのかもわからない。
ぼくが人間であり、ネコやカラス、カエルじゃないという結論は、ぼくがそう思っているというだけの主観的な思い込みに過ぎないということだ。
人間だと思っている天の邪鬼なネコかもしれないし、カラスかもしれないし、カエルかもしれない。あるいは、本当は存在すらしていないのかもしれない。
存在していると思い込んでいるだけの思考。培養液に沈んでいる脳の可能性。
誰もぼくを観測できない以上、それは決してバカにできる考えではないはずだ。
体を動かせる感覚があるけれど、あるように錯覚しているだけ。本当にそこに手があるのかは、光がなければわからない。
想像の中のぼくの姿は、まるで万華鏡をのぞいているかのように、ころころとその姿を変えてしまう。
だから、結局のところ、ぼくという存在を決定付けるためには、やっぱりぼく以外の存在が必要なのだ。
ぼくという存在を観測してくれる第三者の存在が。
そうでないと、ぼくは永久に自分が何者かを決定することはできない。
観測されない以上、ぼくは人間でもあるし、ネコでもあるし、カラスでもあるし、カエルでもあるのだ。肉体が存在しない、ただの思考である可能性だって捨てきれない。
ああ、誰でもいいからぼくを見つけてくれ。
そうでないと、ぼくは永遠に答えの出ない問いに悩まされ続けることになる。
誰か教えてくれ。
ぼくはいったい何者なのだろうか。
(了)
『ぼくという存在』 pocket12 / ポケット12 @Pocket1213
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