私にとってのゴール

今福シノ

短編

 冷蔵庫から、135ml缶のビールを取り出した。


 リビングのイスに座って、缶を開ける。プシッという爽快感のある音。傾けて、勢いよく流し込んだ。

 炭酸の泡がぱちぱちと、苦みとともにのどを通り抜けていく。遅れてやってくるアルコールの感触。


 お酒はあまり得意ではない。学生時代に苦手な印象がついてから、付き合い以外で飲むことはほとんどなかった。久しぶりに飲んでみても、その感想は変わらない。ビールの苦さは大人になればわかると誰かが言っていたけど、結局私にはわからないまま。だからこその135ml缶。


 だけど、今日という日は飲まずにはいられなかった。

 いや、少し違う。今日を特別にしたいからこそ、私はお酒に手を出しているのだ。


 テーブルに置いたスマホが光る。待ち受け画像には、今日撮ったばかりの写真。


 スーツ姿に、少し照れくさそうな顔。似たような表情は今までも見たことはあったけど、どれともちょっとだけ違っている。あどけなさが残る中にも、凛々しい顔つき。


 今日、息子は20歳になった。成人したのだ。


 誕生日はすでに迎えていたので、今日が正真正銘20歳の節目というわけではない。今日はただの、成人式。


 スマホを手に取ると、LINEの新着メッセージが通知されていた。息子からだ。同級生と飲んでいるので、帰りが遅くなるみたいだ。


 飲み過ぎないようにね、と返事を送る。息子の話だと、お酒は苦手には感じていないみたいだ。私に似なくてよかった。


「きっと、あなたに似たのよね」


 言ってみるけれど、返ってくるのは静寂だった。私の目線の先にあるのは、1枚の写真。私のもうひとりの、最愛の人。


 あのスーツ姿を見たら、きっと喜びを隠せないに違いない。そういうのは下手な人だったから。


「長かったわね……」


 あの人がいなくなってから5年だというのに、もう随分と長くひとりで旅をしてきたように感じる。夫婦一緒にいた時間の方が長いはずなのに。


 手元に目を落とせば、しわが刻み込まれた両手。ちょっと前までは、そんなこともなかったような気がするのに。


 残り半分となったビールを飲み干す。飲み込んだはずなのに、口の中に漂う苦み。

 その苦みのせいなんだろうか、それともアルコールがそうさせるのか。私の頭にこれまでの思い出が走馬灯のように駆け抜けた。


 目頭が熱くなる。これはきっと、アルコールのせいだ。体温が上がってしまったせいだ。きっとそうだ。


 今日、息子は新たなスタートを切る。社会から一人前の人間として見られる日が、始まる。


 同時に、私はゴールしたのだ。大事な大事な子を送り出すという、ありふれてはいるけれど、たどり着くのはとてつもなく大変で、パワーが必要なゴール。


「さて、と」


 それでも、日々は続いていく。


「明日のお弁当の準備しておこうかしら」


 ゴールを迎えたからといって、終わるわけじゃない。また次のゴールに向かって、その日が訪れるまで、私は必死に毎日を走り続ける。


 そうしていつの日か。

 息子が大切な人を連れてきてくれたり。

 新しい大事な存在が増えたり。


 いくつものゴールを超えて、私は道を歩いていくのだ。

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私にとってのゴール 今福シノ @Shinoimafuku

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