見者‐voyant‐

深川夏眠

voyant


 おまえは弟だから家憲に従って出発せねばならない。まず、歩きやすく頑丈な靴を用意し、背嚢には着替えと非常時に備えた固形食糧、水筒を詰めよ。貴重品は紐のついた小袋に収め、暑さを凌げる軽く風通しのいい長衣の下に隠せ。列車でコンパートメント席を確保できねば、混雑する二等車両の人いきれに耐えて砂漠のオアシスを目指せ。路地裏の下宿屋の一階が看板を掲げていない食堂で、寡婦とその娘が切り盛りしている。悪くない飯にありつけるはずだ。人混みにはが多いので注意せよ。バザールで二つ三つ果物を買ってビタミンを補給するがいい。陳列棚には剝き出した歯のように宝石を嵌め込まれたオレンジが並んでいる。目を疑う値でも驚くべからず。絨毯屋のあるじに心付けを渡して車を呼んでもらえ。期待するな、精々ピックアップトラックだ。助手席に座れるわけでもない。荷台で膝を抱え、生まれたての仔羊に囲まれて、いつ果てるとも知れぬビブラートの合唱に苛まれながら埃まみれの道を運ばれるのが関の山。運転手の住居はいくつかのテントで構成され、妻子や親族がグループを作って寝起きしている。客ははしゃぎ回る幼児に弄ばれるのが通例。甘んじて受け入れよ。朝になれば、おまえにも木の匙と共に蜂蜜を添えた麦粥の鉢が与えられるはずだ。世話を焼いてくれた主婦には銀の指環を、子供らには歌う鳥の玩具を進呈して辞去せよ。再び車に――今度は名も知れぬ毛むくじゃらの動物と共に――押し込まれ、カカオのような香りに包まれる。運転手は水場に駐車し、毛深い四つ脚の獣を順に洗う。すると、抜け落ちた焦げ茶色の長毛を束にして買い取る業者が現れる。その間に、おまえは人間用の公共浴場で水浴せよ。運転手は手に入れた僅かな金で、おまえに昼食を恵んでくれるだろう。油で揚げた魚を挟んだ黒いパンと、泉から湧き出す天然の発泡水にライムを絞った飲み物だ。すっかり清潔になったとはいえ毛足の長い、始終鼻を鳴らしている甘ったるい動物に取り囲まれて、おまえは軽食を噛み締める。日が暮れる頃、運転手は牧場主に湿しったチョコレートの匂いを放つ生きものを引き渡す。それから、彼らは遠路、街へ向かう馬車におまえを同乗させる。軽い夕食と酒、その後、家内には内緒だぞとウインクして売笑窟へ向かう。おまえは脚を組んで品定めをされる女たちの中から一人を選ばねばならない。運転手と牧場主があいかたと共にそれぞれの部屋に籠もった後も散々迷った挙げ句、一番瘦せこけたの手を取る。彼女は経験に乏しく技巧も不達者だが、精一杯もてなしてくれるに違いない。おまえは満足したに、彼女の髪を静かに撫で、金の腕環を与える。夜明け前に牧場へ帰着し、納屋で眠り、日が高くなって起き出したおまえは、ようやく最後の目的地に向けて出発する。未婚のまま若くして死んだ妹の遺骨の一部――それは一対の鎖骨だ――を、慣例に従って処女神に奉るのだ。朽ちかけつつも尚、古拙な趣きを保つ神殿の祭壇に。退出後、おまえが他の参拝者同様、門の前にひれ伏して、風に揺れる香炉から漂う煙に噎せながら彼岸へ旅立つ妹の幸福を祈っていると、驟雨が素早く駆け抜ける。おまえは濡れた頭布フードを外して立ち上がる。空は俄かに晴れ、虹が架かるだろう。その七色のアーチの下がおまえの旅の終着点だ。



               voyant【FIN】



*2021年3月 書き下ろし。

**縦書き版はRomancer『掌編 -Short Short Stories-』にて

  無料でお読みいただけます。

  https://romancer.voyager.co.jp/?p=116877&post_type=rmcposts

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