パンドラの壷の底にあったもの

祥之るう子

◇◇◇

 鐘が。

 荘厳な鐘の音が、あたり一面に響いている。


 いや、きっと、世界中に響いている。


 世界の終焉ゴールを告げる鐘の音だ。



 ああ。とうさま。ごめんなさい。

 あなたがわたしたち人間に、火をくださったこと。

 これが、ムダなことではないと、愚かなことではないと、証明したかったのに。


 わたしには、わたしたちには、力不足だった。



 嗚咽が漏れる。

 涙が止まらない。

 呼吸もうまくできない。


 地に伏したまま、硬いコンクリートの地面を拳で殴りつけた。


 このコンクリートだって、あの鉄筋だって、電気だって食糧だって衣類だって、全て、全てが、とうさまがくださった火がなければできなかったものばかり。


 非力で愚かな人間が、文明を築いてここまで増殖できたのは、とうさまのおかげだ。

 とうさまの慈悲のおかげだ。

 あの恐ろしい神様ゼウスに逆らってまで、わたしたちのために火を持ってきてくれたから……!


 なのに、愚かな人類は、神がとうさまに言ったとおり、火を、争いに使った。

 争い、星を壊すことに、火を使った。


 わたしが人間の世に降り立ち、繰り返し繰り返し輪廻転生を繰り返し、必死に必死に叫んできたのに。

 一度とて、世界が私や、私に同意する人々の言葉に耳を傾けることはなかった。



 ついに、ついに世界は終わりを告げる。


 人類は執行猶予を使い切った。



 鐘の音とともに、神の子が、大天使が、ラッパを吹いて、武器を持って、光を背負って、空に開いた黒い穴から舞い降りてきた。


 人々が思い描く「天使」にふさわしい、美しい容姿に大きな六枚羽の天使たち。


 巨大な、巨人の天使たちは、周囲にたくさんの子供を連れている。

 赤子から、少年少女まで、「子供」と呼ばれる年齢の人間たちにの頭の上に、金の環が輝き浮かんでいる者たち。


 わたしは知っている。

 彼らは、平和と愛を渇望しながらも、愚かな大人たちに殺されてしまった魂たち。


 ある者はミサイルで。

 ある者は銃弾で。

 ある者は、醜い大人の手で。

 ある者は、飢えの中で。

 ある者は、虐待で。


 皆、未来を担う「希望」だったというのに、愚かな人間が叩き潰してしまった、大切な世界の宝たち。


「ああ――ごめん……ごめんなさい」


 わたしは思わず、こぼした。

 誰一人、救えなかった。


 人の体というのは、とかく無能で矮小だ。


 ある日、神がわたしと、わたしの兄弟や同志に命じた。


 ――権力を持たぬ、小さき人として転生しなさい。そうして小さく弱い人と成ったお前たちのうち、誰かひとりでも、人間の争いを止められたのなら。人間を、高次元に昇華させることができたのならば、私は人の世の継続を許そう――



 わたしたちは皆、とうさまの子だ。とうさまの血をひいている。


 だからこそ、とうさまが人間に火を与えたことが、間違いではないと、証明してみせると、全員が奮起した。



 だが、これが、予想に反してあまりにも難しい課題だった。


 我々の魂は、何度も何度も、幾百、幾千の名もなき人間に転生した。


 そのたびに、ある者は権力を得て世界を変えようとし、ある者は新興宗教を立ち上げて人々を導こうとし、ある者はただただ愛と平和を叫び続け、ある者は歌い、ある者は描き、ある者は語り、ある者はスポーツ競技という新たな争いの方法まで提案し、とにかく世界を変えようとした。


 だが。

 変わらない。


 ついには戦争を終わらせるためには、争う国を滅ぼすしかないと言い出し、戦争に参加する者が現れた。


 まさにミイラとりがミイラとなったわけだ。


 更には、転生と同時に己の真の姿と使命を忘れてしまい、本当にただの人と化してただだくだくと転生を繰り返すものまで現れる始末。



 もうだめだ、とわたしが絶望したとき。

 天から鐘の音が響き渡った。


 そして神は、この実験を終えると宣言したのだ。



 わたしは。

 わたしたちは。

 まちがっていたのか。

 神こそが、正しかったのか。


 とうさまが、人を信じたのは、間違いだったのか。



 悔しくて、悔しくて、涙が止まらなかった。


 どうして!

 どうしてだ、人間たち!

 とうさまが信じてくれたことを、どうして裏切るのだ!


 聞け!!

 聞け人類よ!!


 愚かな争いの果に、お前たちは何を得るというのだ!

 お前たちは、一体何年生きられるつもりでいるのだ!


 壮大な争いの果てに、荒れ果てたこの星に君臨し、多くの富を得て、お前はどれほどの意味をほしがるのだ。


 何を願って争うのだ。


 血を流し、苦しみ、嘆く人々を見て、その銃弾を放つお前は何を感じるのだ。


 隣人の涙に優越感を得るものよ。そこに何の意味があるのだ。


 なぜ怨嗟の螺旋を断ち切らない。


 一体おまえたちの行いに、何の意味がある!


 お前は、なぜ、生まれてきた「希望」を殺してしまうのだ。


 とうさまが願いをこめて、この世界に遺していった希望だったのに。




 気づけばわたしは叫んでいた。


 泣き叫んでいた。


 もう何も、できることはない。


 この絶叫が、最後の――




 ☆☆☆★★★☆☆☆



「プロメテウスよ。お前の子の、最後の一人が絶望にのまれた」


「……」


「お前の行いは、間違いであったと認めるのだな」


「……まだです」


「何だと?」



 ☆☆☆★★★☆☆☆




 いや。まだだ。


 叫びながら、片足を引きずって立ち上がる。


 一人でも。

 一人でも多くの子供を救おう


 一人でも多くの子供を護ろう。


 どこか、どこかに避難して、神の怒りをやり過ごせるかもしれない。


 諦めるな。諦めるな。


 一人でも子供が生まれてくるのなら。

 一人でも、希望が新たに生まれてくるのなら。


 諦めてはいけないのだ!


 わたしは駆け出した。

 泣いている子供の手を引き、恐怖で動けなくなっている妊婦を助け、母親を失った乳母車の赤ちゃんを抱え、動ける人々に声をかけ、走り出す。


 もしこれをやり過ごせたら、本当に平和な新たな世界を創ってやる!


 絶対に!


 諦めるものか!



 ☆☆☆★★★☆☆☆



「神よ。世界の終焉ゴールは、ここではないようですね」



「まだ……これでも絶望せずに人間を信じると?」



「ええ、私が用意したゴールは、少なくともここではないのですから」




 ――もう少し。もう少しだけ。


 だけれど、本当にもう少しだけだから。


 人間よ。


 ゴールがどこかを選ぶのは、もう、お前たちにかかっている。

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