荒天到達不能極に雨が降る
水原麻以
荒天到達不能極に雨が降る
こんなに星座がくっきりと見えるなんて驚きだ。手に取るようになんてレベルじゃない。
焼き海苔に錐で穴をあけて裏から照らしているんじゃないかと思うほど鮮明だ。
砂漠の空気は日本と比べ物にならないほど澄んでいる証拠だろう。
すぐ向こうの砂丘には小指の先ほどの炎がいくつも揺れていて、その数だけ羊肉の調理法があるのだろう。
集まった人々は三脚を立てたり双眼鏡を構えて星を眺めている。なかには本格的なキャンプを設営しているグループもいる。
駱駝も通わぬ僻地にわざわざ大枚はたいてやってきたんだもの。歴史的瞬間を見逃すまいと誰もが必死だ。
ツアー代金は片道だけでも6桁はする。それも装備品なしの最低料金だ。俺たちは一人あたま7桁払った。大学時代から貯めた金がパーだ。
それだけの代償を払って来るだけの価値はあるのかと聞かれれば、もちろん答えはイエスだ。
ここは
ここの年間平均降水量はゼロに等しい。
限りなく近いんじゃなく、まったく降らない。ここから数キロ先にトルーシャル乾湖があるが、地質調査によれば干上がって最低でも数十万年は経つそうだ。
言うまでもないが、海上や湖面で発生した水蒸気が雲をつくり、冷やされて雨を降らす。
ところが、トルーシャル乾湖の付近は半径数百キロ以内に起伏がない。さらに入り組んだ季節風の影響で大気が淀んでいる。
そればかりでなく、地磁気というか不可解なメカニズムが作用していて雲一つない快晴が続いている。それを解明しようと各大学の研究チームが最新鋭の機材を持ち込んでいる。
「荒天到達不能極に果たして雨が降るのか?」という議論は懸賞金がかけられるほどの難題で科学者たちは決定的なモデルを構築できずに苦しんでいる。
最近ではあまりに難しすぎて永遠の謎に対する闘志よりもビジネスにどれだけ利用できるかという投資のほうが熱気を帯びている。
世紀をまたぐ疑問に解明の糸口を見つけたのは名もない町工場だ。食品衛生の湿度管理に関わる計測機器を製造している企業が戯れに検知器を試作した。
設計開発した本人は子供の自由研究を手伝う延長線上のつもりでいたが、のちに世間を騒がせるとは夢想だにしなかったようだ。
その検知器とは降雨予報機だ。気休め程度に降水確率を示すものではない。百発百中の精度を誇ると作者は主張している。旧来の予報機は湿っぽい空気を検出して降雨予想につなげる仕組みだ。
ちなみに作者のウェブサイトによれば、それらとは全く根本的に異なる原理で動作してるという。具体的な理論は特許出願準備中という理由で伏せられている。
本人は娘のために試作した装置を製品化する気などさらさら無かったのだが、マスコミが嗅ぎつけるや投資家が群がるほどの評判になった。
それに対して根も葉もない噂や中傷が容赦なく浴びせられたが、報道関係者や投資家を対象としたデモンストレーションではきっちりと仕事して悪評を覆した。
気象予報士を廃業に追いやるキラーアイテムの登場に一部の業界は露骨な嫌悪感を示した。だが、消費者は予報機の商品化を熱望した。
いち早くサンプル品を入手した人々は予報機を分解して原理を探ろうとしたものの、空振りに終わった。
頑丈なケースを暴いてみると中身はからっぽだったのだ。不正競争防止法違反の疑いで消費者や警察が動いてみたものの、予報の翌日にはきっちりと雨が降った。
そうこうするうちに生産ラインが秘密裏に完成し、正式リリースが近づいた。発売日が一週間後に迫ったある日、突如としてライバル企業が立ち上がった。
予報機はインチキだとして発売差し止めの仮処分を求めたのだ。営業妨害だ、インチキだ、喧々諤々の論争のあげく両者が実地試験を行うことになった。
「荒天到達不能極に雨は降るか?」
長年の疑問が格好の題材として担ぎ出され、草一つ生えぬ砂漠に不毛の議論が巻き起ころうとしている。
盛り上がる熱気に善悪さまざまな利権が便乗した。海外のブックメーカーもそうだ。
俺は降るほうに旅費を除いた全財産を賭けている。一つ向こうの砂丘ではライバル企業の社長が熱弁をふるっている。
我が社の予報機以外は全てインチキだ。
その根拠を会見場の記者から求められ、彼はここぞとばかりに証拠を提出した。
「皆さん、かの元祖予報機はインチキ商品であります。それが証拠にセンサーを湿らせる機構が予め備わっている!」
俎上に置かれた装置はケースが取り払われ、部品がむき出しになっている。そこには水を満々とたたえたタンクが付属していた。
会場がどよめくなか、社長は決定的証拠でダメ押しする。なんと小さなWi-Fiアンテナが内蔵されていたのだ。
「つまり、これはどういうことですか?」
「静粛に静粛に」
社長は怒号が飛び交う会場を必死になだめた。
彼の説明を要約すると、どうやら元祖予報機は複数の天気予報サイトを比較検討して降水確率を確定させたのちに、センサーを湿らせるという仕掛けらしい。
「100%近い確度まで解析ルーチンを磨き上げた技術は称賛に値するが、インチキはいかんのう」
社長は続けて科学の暗黒面など有りがちな言説を唱えているが、聴衆は潮が引くように撤収を始めた。
気の早いマスコミは速報ニュースを配信して元祖予報機の評判を地に貶めた。
「赤ニシン弁法なんか使いやがって!」
俺のすぐ隣で元祖予報機の発明者が打ち震えている。それは本題を捻じ曲げて無関係な事実とごった煮にした挙句、真逆の方向へ結論を導くものだ。
「そういう機能じゃないんでしょ? 信じてますよ」
ニュースアプリを見ながら俺も震え声で励ました。あちこちから怨嗟とも悲鳴ともつかぬ呻きが聞こえてくる。
ここに残っている者は馬鹿高い予算を費やしたあげく手ぶらで帰るわけにはいかなくなったマスコミと賭け金を心配するギャンブラーだけだ。
「俺の金、どうしてくれるんだよ!」
浅黒い男が発明者の背後から殴りかかった。
「うるさい!」
振り向きざまにパンチを受け止め、足払いをかける。倒れこんだ男はすぐさま押さえつけられた。
砂らだけになってもごちゃごちゃと喚いている。
「うるさいのはお前だ! 降るったら、降る。必ず降る」
発明者は言い切った。
透明なプラスチックケースの内側ではポリタンクに水が漲っている。
どうしたことだろう。それがごうっと音を立ててみるみるうちに減っていく。
タンクはセンサーの表面とつながっているが、排水口も注入口もない。
「降るな。うむ」
発明家はうなづくと、小高い砂丘の頂を指した。
「黙って俺について来い」
そして、決戦の朝を迎えた。
強い日差しが照り付け、厳しい暑さが容赦なく体力を奪っていく。
俺たちは社長の忠告に従って標高の高い場所へ移動した。予報機のポリタンクは空っぽのままだ。
双眼鏡で見下ろすと例のライバル社長が未だにこちらをディスっている。「雨が降るはずはない」と。
世界の関心は競合製品よりも詐欺事件の展開に移っていて、捜査当局が逮捕状を請求したという速報も伝わってくる。
バラバラバラ、と乾いたローターが聞こえてきた。俺が双眼鏡を覗くとカーキ色したヘリコプターが旋回している。
「いよいよ逮捕か?!」
味方だと思っていたマスコミ連中が手の平を返した。彼らは腐ってもマスコミだ。特ダネになるものなら何でもいい。
インチキ社長拘束の瞬間をとらえようとレフ板やカメラが向く。
と、その時だ。
ごうっと地響きがしたと思いきや、あたり一面がとっぷりと暮れた。
そして、叩きつけるような雨が降ってきた。
「わああっ!」
予想外の荒天に記者たちはテントへ逃げかえった。それも突風で引っぺがされた。
大小さまざまな物が飛び交うなか、俺は双眼鏡で谷間を覗いた。
海だ。
あるはずのない海が広がっていた。ライバル社長たちの影は跡形もない。
『荒天到達不能極に雨が降る』
俺は金貨の風呂に肩まで浸かりながら、一面を眺めた。
解説記事がほほえましい。
物理に明るくないズブの素人が懸命に纏めたのであろう。
元祖予報機は正しかった。
それは未来から降ってくる雨を検出する装置だった。
雨露の検出というと、我々はセンサーが湿る様子をイメージしがちだ。
前日に検出機器が濡れるのだろう、と。
だが、それは完全な誤解だ。おそらく予言者が前もって警告する光景を連想するのだろう。
あるいは空っぽのコップが立ち直って、水を吸い込むシーンを思い浮かべるに違いない。
しかし、論理的に考えるならば、まず「湿ったセンサー」が先にあるべきだ。
難しい話ではない。時系列を単純にさかさまにすればいいだけだ。
「未来」から「今日」へ雨粒がやってくるということは、「今日の雨粒」が「未来へ帰っていく」ということなのだから。
だから、元祖予報機のポリタンクは満タンでなければならない。
その水位が少しでも減れば、近いうちに雨が降る。
Wi-Fiアンテナは天気予報と予め整合性を取って、水分の自然蒸発など誤差を埋めるための機能だそうだ。
到達不能極に降った雨は大勢の命を奪った。世論は進歩に伴う犠牲として美談で片付けようとしている。
だが、俺は知っているのだ。
発展の裏には「ざまあ」という黒歴史が流れていることを。そして知的好奇心という名の野獣は発展の尊い犠牲という美名を食して果てしないゴールを目指すのだ。
荒天到達不能極に雨が降る 水原麻以 @maimizuhara
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