ゴールするまで終われない紫婆チャレンジ

葎屋敷

目標と書いてゴールと読む



 俺は昔から怖いものがとにかく苦手だ。それこそホラー映画を見れば、女子のように悲鳴をあげるほどに。


「なあ! 今度近くの空き家に探検に行こうぜ!」


 そんな俺を見ていつもケラケラと笑うのは、今俺を空き家探検に連れ出そうとしているこの友人だ。

 彼はホラー映画を見ても特に怖がったりはしない。俺が甲高い悲鳴を口から勢いよく吐き出す間、画面の中の幽霊と俺の顔を見比べながら笑っているのだ。得意とさえ言えるのかもしれない。

 友人はことあるごとに俺をホラーの世界に連れ出そうとする。そんな友人をぶん殴ってやりたいと思ったことは、両手の指だけでは数えきれないだろう。


「馬鹿言え。空き家とはいえ不法侵入だろう? 俺は犯罪者になるのはゴメンだね」

「そう言うと思って、持ち主に許可もらってきたわ。前の持ち主が死んだ親戚らしいんだけど、扱いに困ってるんだってさ。危険がない範囲で、浮浪者が住み着いてないか調べてこいって頼まれちった」

「お前なんでそんな準備いいんだよ!?」


 友人は親友の俺と一緒にホラーを楽しむことがなによりの喜びだ、と語っていた。しかし俺は知っている。こいつがビビりの俺を馬鹿にして、楽しんでいるだけだということを。


「絶対やだね! 俺は行かない!」

「まあ、そう言うなって。お前の好きな歌手のライブチケット、いらん?」


 友人の手には確かに俺が好きな歌手のライブチケットがあった。俺はそれを友人の手から奪取した。


「ありがとうございます。行かせてもらいます」

「よろしい」


 友人は俺の弱点をよく理解していた。



 *



 汚れた窓、塗装の剥がれた壁紙、壊れた漆喰、視界の端にちらつくネズミ。すべてが嫌だった。


「もうおうちかえる」


 寂れた郊外にある空き家を前に、俺は泣き言を言った。


「そう言うなよ。四つ足の紫色のお化けばばあを映像に収めるまでは帰れねぇって。今日はそれが目標ゴールだからな」


 友人はそう言うと、笑顔でスマホのカメラを構える。録画を起動させる音がポンッと鳴り、水面に石でも投げ込んだかのように静寂の中に音が広がっていく。


「おい。まさかその四つ足お化け、ここにでるのか? 嘘だよな? 嘘だと言え」

「よし。じゃあ行くか! 安心しろ。鍵ならちゃんと預かってきてる」

「なんでそんなノリノリになれるの? 紫の四つ足お化けがいるのかいないかだけ教えてくれない? ねえ!」


 俺の言葉を無視し、友人は早々に玄関の扉に鍵を挿す。そして錆ついて動きの悪いドアを、腕力で無理やり開けた。扉がガタガタと壊れそうな音を出す。


「扉硬いなぁ。すみませーん、おじゃましまーす」


 友人は親戚の家にでも遊びに来たかのような気軽さで、さっと中に入って行った。一人が怖い俺は友人の後を追ったが、後に後悔することになる。



 家の中は小石や木屑が大量に落ちていて、とても靴は脱げなかった。おそらくこの前この一帯を通り過ぎた台風によって窓が割れ、荒れてしまったのだろう。靴越しに石を踏む感覚がした。


 びくびくと進む俺とは対照的に、友人は家のあちこちにカメラを回す。彼は様々なことに興味が引かれるようだ。床に散らばっている痛んだワンピース、蜘蛛の巣だらけの天井、錆びついたシンク。すべてが彼にとっては重要な被写体だ。


 そんな友人をよそに、俺が視界の端に紫色のなにかが現れないか恐れていた。きょろきょろと辺りを見渡して警戒していると、友人が突然大声で話しかけてくる。


「なあ!」

「ほわっ! なに!?」


 俺はびくりと肩を跳ねさせ、友人の方を見る。彼は俺と違っていつも通りの笑顔を絶やさない。


「大学の来週の課題ってもうやった?」


 この状況下でくだらない話を振る友人に殺意が湧いた。


「今する話題じゃねぇえだろ!? わかるか!? お前がそうやって大きな声で話しかけてくる度に、俺の寿命がおよそ三分減るんだぞ!」

「いや。来週の課題、日本の映画についての小論文だろ。これでなんか画が撮れたらさ、良い論文書けそうじゃね? 日本のホラー映画について、みたいな」

「なに言ってんだよ! それ別にやる必要のねぇ課題だろうが!」

「え、まじ? サボるのか。やるなぁ」


 友人は心底感心したように言うが、俺はその様子にすら腹が立った。今の俺はあらゆる意味でデリケートなのだ。気を使ってほしい。


「今のところ汚いだけの家だよなぁ。紫婆の姿もねぇし」

「あ、当たり前だろ。そんな簡単にお化けが見れて、た、たまるもんか。もう帰ろうぜ」


 俺が友人の期待を否定すると、彼は不機嫌そうに眉を寄せた。


「なに言ってんだよ。撮るのが難しいのは紫の四つん這い婆っていうお化けだけだぜ。お化けそのものが見れるかどうかは別の話だ」

「はあ? いいか? お化けなんてものは非科学的で――」

「非科学的もなにも、いるもんはいるって。お前の後ろにもいるだろ」


 さらりと。まるで天気の話をするかのように友人は言う。その意味を捕らえる前に、俺は友人が指さす方向、つまりは後ろを振り返ってしまった。







 そこにいたのは女だった。だらりと首に縄を垂らしており、首から上は真っ赤だった。それこそ熟れたトマトのように顔だけが赤く、首がなぜか百度くらい横に傾いている。


 俺は動けなかった。



「あ、すみません。お邪魔してます。紫婆ってどこに――」


 友人が道でも尋ねるかのように軽く話しかける。それがスイッチにでもなったかのように、止まっていた俺の身体が動き出した。次の瞬間、俺は友人の腕を掴み、その場から全速力で逃げ出した。


「きゃあああああああ!! なにやってんだお前は!? なにを普通に話しかけてんだ!? あんな絵本の赤鬼みたいな見た目したバケモンに声かけてんじゃねぇ!」

「あれ多分、紫婆の娘とかじゃね? きっと顔が青い娘さんもいると思うんだよ。それで二つが合わさると紫婆に進化するのかもしれない」

「そんな絵の具混ぜ合わせるみたいな合体お化けがいてたまるか! ぎゃああああああああ! さっきのお化けめっちゃ足速いぃ!」


 能天気な友人とともに出口へと走っていると、後ろから猛スピードで先程の赤い顔の女が追いかけてきた。そのフォームはまるで歴戦の陸上選手。指の先までそろえた直角の腕が左右交互に振られ、それに合わせて足が前後に繰り出されていた。


「やべえ! 今、超面白い画が撮れてる!」

「お前はなんで後ろ向きで走れんの!? それでなんで俺と同じ速さなの!?」


 友人は女の姿をカメラに収めるため、後ろ向きで走るという荒業を見せる。美しいフォームで走る女とは対照的なその奇天烈さに、友人の方が人間ではないのではないかと疑った。



 *



 結局、俺たちの屋敷脱出が叶ったのは三時間も先のことだった。なぜか終わりのない廊下。段差が急になくなり滑り台みたいになる階段。大量に湧いたハムスター。すべてが俺を恐怖へといざなった。


 悲鳴をあげる俺を見て、友人はずっと笑っていた。それどころではないのでなにも言えなかったが、後日殴ってやろうと思う。



 *



 なんとか外への脱出を成功させた俺たちは、近くに公園まで走った。俺に腕を引かれた友人はずっとスマホの録画機能を作動し続けていた。


「や、やっと出れた……」


 友人の腕から手を離し、俺は荒れた息を整える。こんな目に遭うなら、たとえチケットをふいにしてでも来るんじゃなかった。そう後悔していた。


「二度と行かないからなぁ」


 俺は半ばやけくそのように低い声で呟いた。それを拾った友人は、心底意外そうにぽかんと口を開ける。そしてひどく残念そうに肩を落とした。


「え。行かねーの?」

「当たり前だわ! 死にかけたんだぞ!」

「いや、実際は死んでねえじゃん。もう一回行けるだろ!」


 友人は俺の顔をじっと見返しながら、瞳を輝かせる。期待に満ちたその視線を払うように、俺はブンブンと首を横に振った。


「いやだよ! もう幽霊の映像は撮れたんだから、十分だろ!」

「いや、まだだ」


 友人は俺に向かってスマホの画面を向ける。そこにはこちらを襲わんと走る、赤い顔の綺麗な走りが映っていた。


「だって赤い女しか撮れてねえじゃん。言っただろ。紫の四つん這い婆をカメラに収めるのが目標ゴールだって。つまり俺たちはまだゴールテープを切っていない状態なわけだ。途中でリタイアなんて――」

「俺はもういいですぅ! 棄権します、帰ります!」


 俺は友人、いや狂人の言うことを無視し、家に帰った。でも一人で寝るのが怖かったので、狂人ゆうじんと一晩中通話を繋ぎ、朝まで深夜テンションで話しまくった。楽しかった。



 *



 次の週、友人から一枚の写真を見せられた。そこには友人と紫の顔した四つん這いの婆のツーショットが映っていた。理由はわからないが、婆の顔がどことなく疲労しているように見える。


「お前これ……」

「おー、お前があんまりにも怖がるからさ。あの後、一人で行ってきた。そしたら殺されかけたから、ツーショット撮っておいた」


 当然のように言う友人の姿に、俺は寒気を感じた。


「殺されかけたことがツーショット撮る理由になるかのように言うな。なんで紫婆の方が若干疲れてんだよ。お前が一番の怪異じゃねぇか」

「えー」


 俺の評価に友人は不満そうに声をあげる。俺はそれを無視しながら、いっそ友人と距離を置こうか悩んだその時、ふと、ひとつのことを疑問に思った。


「そういえばさ」

「なに?」

「あの空き家の今の持ち主って誰だよ? いつの間に知り合ったんだ?」

「ああ。あれ、例の日本映画の小論文の先生だよ。たしか斎藤先生だっけ。あの人に頼まれて――」

「は?」


 友人の言葉に俺の時が止まる。斎藤先生に頼まれた? なにを言っているのか。


「……お前マジで言ってる?」

「いや、なにが?」

「斎藤先生、二週間前に心不全かなんかで死んだじゃん。課題もそれでなしになって――」

「え、マジ? 俺、一週間前会って、あの家の鍵渡されたんだけど」



 その後、俺たちは午後の授業すべてをサボり、神社にお払いに行った。以後友人が斎藤先生を見かけることもなくなり、彼から渡されたという空き家の鍵の行方もわからなくなったという。

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ゴールするまで終われない紫婆チャレンジ 葎屋敷 @Muguraya

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