雨風で錆びたそのゴールは

影津

バスケットボールのゴール

 雨風で錆びたそのゴールは、誰にも使われていないことがありありと伺い知ることができる。


 ○○団地の三号棟の西に位置する公園。三富士公園。


 小さな滑り台が一つとブランコが二つ。あとはだだっ広い土とコンクリートの壁。コンクリートの壁は三号棟の駐輪場を遮っていて、その壁にバスケットボールのゴールがついている。だけど、団地には人っ子一人いない。


 徒歩二十分のところに巨大なショッピングモールが建てられて、中にアミューズメント施設が乱立しているらしい。遊び盛りな中高生はみなそっちに行ってしまったらしい。だから、団地の三富士公園で遊ぶのは僕とヨシくんだけ。


 ヨシくんはボール遊びが好きで、いつか大きくなったらあのゴールに絶対シュートを決めるって言っていた。ヨシくんには大きすぎるバスケットボールは持つだけでも大変なので、今日も柔らかいゴムボールを壁に向かって投げる。


 べちっ。


 ゴムボールは壁に当たって跳ね返ってすぐ横の道路に転がっていく。ヨシくんはボールを拾うと前歯のない顔でにかっと笑う。


「ヒロくんも投げてみてよ」


 僕の身長はヨシくんよりほんの少しだけ高いけれど届くわけがない。


「無理だよ。高校生ぐらいにならないと」


「そんなこと言ってたらいつまでたっても、入らないよ」


 僕はバスケ選手になりたい。昨日会ったばかりのヨシくんにそのことをぽつりとこぼしてから今日は猛特訓させられているわけ。でもあれはさすがに無理だからって、何度言っても聞いてくれないんだ。


「ねぇ、もう一度投げてよ。僕の分まで投げてよ」


「ヨシくんが投げればいいのに」


 ヨシくんはまた歯のない口を大きく開けてほがらかに笑う。


「お願い。ヒロくん。僕もヒロくんみたいに投げたいんだ」


 ヨシくんって変なの。僕は仕方なくボールをゴールに向かって投げる。フォームも何もない僕の投てき。風が吹く。


 僕の頬に感じたのは春の風。あれ? 思ったより高く上がった。僕の身長では絶対に届かないであろう距離のゴール。ゴムボールはパサリとゴールの網に吸い込まれた。入った。僕の力では不可能だ。


 あっけにとられていると、ボールが道路に転がっていく。道路の真ん中で止まる。


「僕が取ってくるね」


 ヨシくんは僕の決めたゴールに満面の笑みを浮かべて道路に走って行く。そのとき、トラックが来た。ボールを拾うためにしゃがみ込むヨシくん。


「ヨ、ヨシくん!」


 トラックのつんざくクラクション。ひかれた! トラックはそのまま通り過ぎる。


 そこにヨシくんの姿はない。ゴムボールだけが転がっている。ヨシくんの姿はどこにも見当たらなかった。


 〇〇団地の誰もヨシくんのことは知らなかった。僕がヨシくんのことを知ったのは中学生になってから。


 〇〇団地のヨシくんは、やっぱりトラックにひかれて亡くなっていた。だけど、大人がみんな口を閉ざして僕にそのことを教えてくれなかったのは、ヨシくんが僕の住む部屋の前の住人だったからだそうだ。そして、幼いヨシくんの将来の夢は僕と同じバスケットボール選手になることだったそうだ。


 だから、僕はときどきヨシくんを思い出してやっと手の届く距離になったあの錆びたゴールに、本物のバスケットボールを投げ込んでいる。


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