書籍化というゴールのその先へ

無月兄

こうして私は、KACへの参加を決意した

「ダメだ、いいアイディアが出てこない!」


 悲痛な叫びと共に、私はパソコンの前にうつ伏せる。

 パソコンの画面には、小説投稿サイト、カクヨムのページが映っていた。


 カクヨムに自作の小説を投稿するようになって早数年。ありがたいことに、多くの読者に恵まれ、楽しい時を過ごしてきた。

 そして去年、奇跡が起きた。なんと私の書いた小説が書籍化されたのだ。

 大それた夢と思いながらも、小説を書いている以上、書籍化は目標であり夢だった。それがまさかの現実となり、小説を書いていて、カクヨムに来て本当によかったと心から思った。


 そして、それから数ヶ月たった今、私は極度のスランプに陥っていた。


 一応、全く何も書けないわけじゃない。とりあえず形にしてみよう。そんな気持ちで書いた話なら、いくつかある。

 だけど、どうしても書きたい、これは面白くなるに違いない、そんな思いが沸き上がってくるような話やアイディアが、これっぽっちも浮かんでこないんだ。

 たかが一時のスランプ。そう思うのは簡単だけど、それでもどうしても不安になる。もしかすると、このまま書けなくなってしまうのではないか。大げさかもしれないけれど、そんなことさえも頭を過ってしまう。正直、そんな状態で何かを書こうとするのは、ある種苦痛ですらあった。


 パソコンから視線を外しすと、傍らに置いてあった一冊の本が目に入る。書籍化、そして発売された、私の本だ。

 初めて書籍化の連絡が来た時は、夢じゃないかと思い、こうして本として形になった時は、涙が出てきた。本屋で売られているのを見て、思わず声をあげそうになった。執筆活動を始めてから今までで、間違い無く最高の時間だった。


 それが今やどうだ。満足のいく作品を完成させるどころか、書き始める事すらできない状況だ。そう思うと、なおさら暗い気持ちになってきて、気がつけばこんな言葉を漏らしていた。


「まあ、書籍化って目標は達成できたし、このまま書くのは引退してもいいかな」


 元々、私にとって書籍化は、執筆活動の最終目標と言ってよかった。いや、永遠に叶うことのない夢だと思っていた。

 それが、現実になるという奇跡の奇跡が起こったんだ。ならばそこで全てを出し尽くして、あとは燃えつきて終わったっていいじゃないか。ある意味、最高のゴールかもしれない。

 そうして私は、物書き人生に一つの区切りをつけることを決意した。


 とはいえ、書くのを止めても、カクヨムに来るのを止めたわけじゃない。カクヨムはその名の通り、『書く』だけでなく『読む』のだって大きな楽しみの一つだ。最近、書けもしない小説のせいで無駄に時間を消費し、フォローしている作品を読むのが疎かになっていた。心機一転、思い切りヨムヨムするぞ!






「きゃーっ! なにこれ、キュンとするーっ!!!」


 奇声をを上げながら床の上を転がりまわる私を、何の事情も知らない人が見たらどう思うだろう。言っておくけど、決して気が狂ったわけじゃない。カクヨムでフォローしている作品の中の一つ、ジャンル恋愛のそれを読んでいる最中、そのあまりの胸キュンぶりに、平常心ではいられなくなっただけだ。

 好きな小説の、好きな場面を読むと、胸を打たれるあまりこんな風になること、みんなもあるよね? あるよね!


 胸を打つ作品は、なにもこの一つだけじゃない。一人で勝手にした引退宣言から数日、久しぶりに時間を忘れて読むのを堪能したけど、大笑いするコメディに、背筋がゾクゾクしてくるホラー、あっと驚くどんでん返しなど、どれもこれも面白い。本当に——本当に、面白い。


「いいな。私も、こんな話書きたいな」


 一つの物語を読み終わった後、ポツリとそんな言葉が零れた。

 それは、私にとって度々起こる衝動だった。面白い話、胸を打つ話を読むと、自分もいつか、こんな風に人の心を動かせる話を作ってみたいと思ってしまう。初めて小説を書こうと思った時もそうだった。そしてその思いは、今も少しも陰りを見せてはいなかった。


「変なの。夢だった書籍化は叶ったし、アイディアが全然出なくて、書くのが苦しくなってきた。なのに、それでもやっぱり書きたいって思うんだよね」


 誰に伝えたわけでもないけど、引退宣言をしたのがわずか数日前。なのにこんなにも短い間に再びこんなことを思うなんて、我ながらいい加減だ。

 だけど、本当はどこかで分かっていた。いくらアイディアが出ないだの、止めるだのと言っても、本当に書かずにいて平気かというと、決してそんなことはないってことを。それに——


 相変わらず、パソコンの傍に置いてあった自作の本を手に取り、言う。


「ごめんね。お前を、止める理由に使ったりして」


 書籍化は、確かに私にとって最終目標と言ってよかった。だけどいざ出してみて、そこをゴールにしたいかと言われたら、違った。むしろ、もっともっと沢山の話を書きたくなった。なのにそれができない自分が嫌で、その言い訳として、書籍化による完全燃焼なんて理由を使ってしまった。


「あぁっ、もう。そんな言い訳なんて考えてるから、スランプになったりするのよ。書くの引退、取り消し!」


 バカな自分に言い聞かせるように、大声で叫ぶ。こんなところでゴールしたくないし、あろうことか書籍化なんて最高の瞬間を言い訳に使うなんてもっての外だ。

 かくして、私の引退宣言は、わずか数日で取り消す事となってしまった。






「そうと決まれば、早速執筆……って言いたいところだけど、相変わらずアイディアは出ないままなのよね」


 引退を取り消しはしたものの、それですぐに書けるようになったら苦労はしない。とりあえず、もうしばらくは他の人の作品を読んでインスピレーションを得ようか。そう思い、再びパソコンでカクヨムのページを開いた時だった。


「KAC。そっか、今年ももう、そんな季節なんだ」


 カクヨムのトップページには、開設5周年を祝うイベントの告知が行われていた。イベントの内容は、プレゼントキャンペーンや人気作品の表彰など様々だけど、その中でも最も注目を浴びるのがKACだ。

 2~3日毎にそれぞれ違うお題が出され、それに沿った小説を書く。それが、全10回というこの企画。その過酷な内容から、一部では苦行だの日常生活ブレーカーだのと言われているけど、わざわざお題を出してくれのなら、それがアイディアへと結びつくきっかけになるかもしれない。


「しかも今年は、KACプロなんてあるじゃない。条件は、一冊でも本を出したことのある人、それに、全10回のお題を全部クリアすることか。そういえば、去年も一昨年も参加はしたけど、全10回の皆勤はできていなかったっけ。たった一冊本を出しただけでプロなんておこがましいかもしれないけど、とりあえず、執筆復帰最初の目標は、今度のKAC皆勤といきますか」


 果たしてこれで、本当にスランプを脱出できるかどうかは分からない。それでも私は、確実に一歩先へと踏み出すことができる気がした。書籍化というゴールの、その一歩先へ。

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