【KAC202110】辻杜先生の奴隷日記・外伝①~辿り着いた地平

鶴崎 和明(つるさき かずあき)

断崖の先へ

無属性むぞくせい技令界ぎれいかいを使いましょう」


 唐突な彼女の提案に、僕は頷くことも首を振ることもできなかった。

 ただ、真直ぐに見据えてくる内田さんの表情は強い熱をはらんでいて、それが空想でも妄言でもないことを証明していた。


 辻杜つじもり先生によって組まれた模擬戦はいよいよ決勝戦となり、そこで二条里にじょうり君と霧峯さんのペアと戦うこととなっている。


博貴ひろたかは土壇場で何をするのかが読めませんし、瑞希みずきも一騎当千の武力の持ち主です。一筋縄ではいかない以上、こちらも最大の一手を打つべきです」


 大まかな評価は内田さんと大きな差はない。

 だからこそ、内田さんの期待が双肩に重くのしかかるような気がしてしまい、冬にも関わらず汗が背中を伝うのを感じる。

 正直なところ、自信はない。

 均衡を能力の中心に据える技令士としての一つの到達点は、それだけに対極にあるゴールのように感じていた。




 そもそも、無属性技令界の習得を意識し始めたのも、内田さんの一言がきっかけであり、大波止おおはとでの戦いの後の不意を衝くものであった。


「四つの属性を均等に扱うことのできる山ノ井やまのいさんでしたら、無属性技令界を早い段階で習得できると思います」


 抑揚も変調もない内田さんらしいその言葉は、その時の僕にとって予想外の一言であった。


 技令界ぎれいかい技令ぎれいは一定以上の技力ぎりょくを持つようになった技令士ぎれいしが、その得意とする技力で周囲を塗り上げてしまう高位の技令の一つである。

 そのため、得意な技令の習得が進んだ技令士は、その属性の技令界を持つこととなる。

 一方、無属性のものとなるとそれよりも複数の属性を同時に展開して打ち消し合うことで周囲を塗り固めることができ、やや技力が足りなくとも展開することが可能である。

 その代わり、均衡が一つでも崩れてしまえば台無しとなるような繊細なものであり、それを実戦の維持しようと思えばよほどの修練が必要になる。


 それを、淡々と習得できると語った内田さんは確信を持っているというよりも、それがまるで事実であるかのような口ぶりであった。

 寒中の黒い潮風が頬を撫でまわすように纏わりつき、まるで絡められた腕のようにその一言は僕を沼の奥底へと引き摺り込もうとしていた。


 その日から、それまで続けていた修練をより厳しいものとした。

 同時に発動させる技令の気を高め、それぞれが均衡を失わぬようにしていく。

 それを少しずつ延ばしていき、滲んだ背の汗のように薄く濃く広げていく。

 少しでも均衡を失えば、少しでも平生を失えば、私の方に向かって崩れ、それが僕へと降り注ぐ。

 その度に肌を裂かれるような痛みに襲われ、歯を食いしばる。

 その度に心を裂かれるような苦しみに襲われ、歯を食いしばる。


 その度に自分が何も持っていないことを思い知らされ、目の前が昏くなるような錯覚に陥る。

 果たして、僕は皆と同じ地平に立ち続けることができるのだろうかという不安が、技令士はその素養によって大きなところが決まるという常識によって増幅させられる。

 僕は特別な何かを持っているわけではなく、だからこそ只管に幅広くその力を求めてきた。

 二条里君のように英雄の宿命を持っている訳でも、内田さんのように勇者の光と特別な一族を持つ訳でも、霧峯さんのように一廉ひとかどの両親の下に生まれた訳でもない。

 どこまでいっても技令士として凡庸な僕は、目の前に迫っているかもしれない絶壁に向かって走り続けているだけであった。




 グラウンドの中央で内田さんから一歩下がり、二条里君と霧峯さんに相対する。

 準決勝で受けた傷は向こうの方が大きく、消耗もこちらの方が少ない。

 しかし、そうした時ほど何をしてくるのか、そして何が起きるのかが分からないのが二条里君たちであり、僕達の切り札はまだ成功した試しのない僕の大技である。

 無論、成功すればこちらの優勢がより確かなものになる。

 だからこそ、高まる不安が晴天を衝くように聳え立っていく。


「ええ、山ノ井さんでしたら、きっと大丈夫です」


 とはいえ曖昧模糊な僕の在り方を肯定し、信頼を寄せてくる彼女に対して屈折した自分の姿を見せることはできない。

 彼女がその力を発揮するためには、適わぬとはいえ勇者を支える存在にならねばならない。

 大きく息を吸って、背を正す。

 僕はこの孤独な闘いに支えられながら挑む。


 為すべきことは単純だ。

 自分の技令を薄く均質に広げていき、全身全霊を以って支える。

 その一色に塗りつぶされた世界は、正しければ僕達に力を与え、向こうの力を抑える。

 しかし、失敗すれば僕の技力は大きく失われてしまい、とても戦うことなどできなくなってしまう。

 そして、その好機は一度きり。

 開戦劈頭の奇襲としなければ、とてもこれだけの力を練る余裕はない。

 自分の中にあるものを丁寧に積み上げていく。

 目の前にある断崖に迫るように、言の葉を紡ぎ、形を成す。


「我が手には、古からの技令がある。自然の法則に反し、我が希望を手にする。今、再びその力を手に、新たな世界を創造する。我はこの世界の創造主なり、我が下に新たな精霊よ、新たな御霊よ、新たな人々よ集い給え。無属性技令界」


 振り下ろされた大鉈は世界を分かち、五人を闇の世界へと巻き込んでいく。

 内田さんはその中で抜刀し、敢然として駆け抜ける。

 対する二人は動揺しているのか動きがいまいち定まらず、明らかに受けへと回っていた。

 中心に立つ審判の辻杜先生は平然と在る。

 賭けに勝った僕も再び気を練り直し、勇者に祝福を与える。

 勝利の女神がいるとすれば、明らかにこちらへと微笑んでいた。




 それから半月ほどして、目の前に広がるものは古都の穏やかな景色であった。

 清水の舞台とはよく言ったもので、その上を跳ね回るようにして回る霧峯さんとそれを息を切らせながら落ち着くように追う二条里君とのやり取りは、それこそ喜劇の一場面のようである。

 僕の横で穏やかに微笑む内田さんも同じ思いなのかもしれない。


 あの日、僕が決死の思いで辿り着いた一つの極みは、しかし、二条里君の至る極致である八卦はっけの陣に敗れた。

 それは昨年の末に技令に囚われた内田さんを救うべく僕が二条里君と協力して成した奇跡であり、それを今度は霧峯さんとの協力により再現した。

 僕は泥に塗れることなく崩れ落ち、内田さんは二条里君の剣によって翼を折られ、大地に沈んだ。

 その時に見た断崖は、僕の予想していたような底なしのものではなく、どこまでも天を貫く壁としてそこに在った。

 その日から再び僕は自分の限界を越えようと相対するようになり、偶々居合わせた二条里君からは越えられるだろうとあっけらかんと言われている。

 皮肉もここまで来ると笑うしかない。


「山ノ井さん、どうかされたのですか」


 不思議そうな表情で、内田さんが僕に問いかけてくる。

 僕よりも背のやや高い彼女は、しかし、その距離感から僕に威圧感を与えることはない。

 むしろ穏やかな表情でものを見る姿が目につき、そこに安らぎがあるような気すらしている。


「いえ、この前の模擬戦で僕が終点に辿り着いても、二条里君には敵わなかったのを思い出しまして」

「山ノ井さんに無属性技令界を使っていただいたのですが、それを博貴に覆されてしまいました。私の力不足です」

「そんなことはありませんよ。内田さんを支えきれなかった、僕のせいです」


 奥歯を強く噛みしめる。


「山ノ井さん、次があれば今度は勝ちましょう」


 それを見透かされたのか、内田さんが淡々とした、しかし、それだけに力強い口調で言った。


「模擬戦はあくまでも修行の一環ですから次があります。次がある以上、そこまでにもう一歩前へと踏み込んで結果を覆せばいいだけです」

「しかし、僕はもう、一つの極致にまで辿り着いてしまいました。果たして、この先があるのかどうか……」


 分かりません、という言葉が舞台の外へと消えていく。

 吐露してしまった感情を、彼女は何事もなかったかのように掬い上げようとしていた。


「山ノ井さん、マラソンでゴールを切る瞬間はご覧になったことはありますか」

「ええ、父が冬場によくテレビで見ていますので」


 そこでその競技は終わってしまいますね、という僕の言葉に彼女は静かに頷く。


「ですが、選手の方はそれより先へと必ず進まれます。一つの競技は終わってしまいますが、道は続いています。どうしても白いテープに目が行きがちになってしまいますが、その先へ苦しくても人は歩き続けるものなのでしょう」


 彼女が一歩だけ前へと進む。

 凛とした冷たさを周囲に纏わせながら、一本芯の通ったようなその姿は洗練された美しさを持つ。


「ただ、どうしても一人ではその先に進むことが難しくなりがちです。自分ではその道が見え辛いものですから。ですから、山ノ井さんも私達と一緒に越えていけばいいのだと思います。私が昨年、博貴や山ノ井さんのおかげで越えられたように」


 振り向いた彼女は、初めて満面の笑みを私に向けた。

 それはあまりにも幻想的で、魅力的で、だからこそ僕をその壁の向こう側へと向かわせようという力に満ち満ちている。

 僕も穏やかさを取り繕って頷き返すと、僅かに目を細めた彼女は再びいつもの微笑みに戻った。


「おーい、二人とも何話してんだ」

「ねーねー、一緒にこっちに来て見ようよー」


 二条里君と霧峯さんの呼びかけに、二人して苦笑する。

 ただ、その足は自然と欄干の方へと向かっていた。


 思えば、清水の舞台も降りた先には必ず道なき道が続いている。

 それとは逆にそそり立つ崖の上にもやはり道は続いている。

 その向こう側を見ることに、僕は少々臆病になっていたのかもしれない。


 ただ、内田さんも二条里君もそれを越えることに躊躇いがない。

 ならば、何もない僕はその気持ちだけは負けるわけにはいかないだろう。


 一陣吹いた冷たい風の後に、僕は二条里君を見据えて一つ頷いてから笑顔を向けた。

 さあ、ここから飛び降りるほどの勇気を手にしよう、と僕は空に誓った。

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