イ国シ寸の化け物

夏生ナツノ@ ツイッター始めました

イ国シ寸に、行ってはならない

 イ国シ寸に、行ってはならない。




*****




「ああっ、くそ、どうなってんだ」


 遠出して趣味の釣りを終えて帰宅しようとしたら、濃霧にみまわれ道がわからなくなった。ナビも携帯も機能しなくなり、今どこにいるのかまったくわからない。そうして迷っているうちに、ガソリンも尽きようとしている。


「これじゃほとんど遭難じゃ……ん?」


 濃霧に支配されていた視界の端が、看板のようなものを捉えた。車を止めて確認すると、たしかに手書きの看板がそこにある。


"イ国シ寸 →"


「……なんて読むんだ?」


 とりたてて漢字は苦手ではないが、これは読めそうで読めない漢字だ。




 ざあ、




 風が吹いた。それはまるで魔法のように濃霧をどこかへ連れ去っていき、今自分がどこにいるかを示してくれた。


「おお……!」


 目の前にはフェンスと線路があった。それは草も生えておらず、手入れが行き届いていることが伺えた。それはつまり廃線ではない、生きた駅舎がこの先にあることを示している。看板の矢印の先に視線を移せば、たしかに遠くに遠くに小さく駅のようなものが見えた。歩いていけない距離じゃなさそうだ。


「よかった、助かった……あそこで道とガソリンスタンドの場所を聞くか……」


 ほぅ、と息を吐く。少しでもガソリンを節約するために車を完全に止めて、財布とスマホを持って意気揚々と歩き出した。




"イ国シ寸"


 やっぱり駅名が読めないその駅は、かなり小さい駅だった。無人駅なのか誰もおらず、掃除はされているようだが、古びている感じは否めない。昔、田舎の祖父母が暮らしていた家の最寄り駅がこんなこじんまりとした駅だったなと思い出す。


「なんだこりゃ……」


 椅子も改札も、妙に背が低い。なんなら入り口だって、自分は平均身長なのに屈まなきゃ入れなかった。子供の頃読んだ、不思議の国のアリスを思い出す。


「……すみませーん、誰かいませんかー?」


 奇っ怪な気分を抱えながらも、大声を出す。それに返答はなく、ただ虚空に声が消えていくのみ。


「……ん?」


 壁に、ポスターが貼ってあることに気づいた。




"シよ百ミロ呂"




 ポスターにはそう書かれている。他にも細かく文字が書いてあるが、それら全てが読めそうで読めない。なんの変哲もない草花の写真を背景であることがよけいにその文字の異様さを際立たせていた。


 そしてそれは一枚だけではなく、似たようなポスターが数名貼られていたが、どれもこれも文字が読めないものばかりだった。


「……………………っ!」


 おかしい。


 ここは、おかしい。気温は高いのに体の中にぞくぞくとした寒気が走る。とにかく車に戻ろうとすると、音が聞こえた。




 カツッ




 それは、ヒールを履いた誰かが近づいてくるような硬質の音。それが、外から近づいてくる。


「だ、れ……」


 それに答える声はない。ただその代わりと言わんばかりに、ぞろりと気配が動き、姿を現した。


 それは、百足と人間を掛け合わせたような生き物だった。


 腕は八本あり地を這い動いている。通常の目も鼻も口もなく、顔の中心部に額から顎までばでくりとした割れ目があって、生々しい肉色をしたそこにいくつもの眼球が埋まっていた。


「ああああああああああああああ!!!!!!!!」


『ーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!!!!!!』


 絶叫。


 作り物ではない、本物の化け物だと直感で理解した。精神は一瞬で錯乱し、近くにあったゴミ箱のような金属製の箱を持ち上げて、"それ"の頭部へと叩きつけた。


『ギッ』


 そう、声と言うより音を発したあと、化け物はあっさりと沈黙した。血のような赤色をぶちまけぴくぴくと痙攣を繰り返しているが、動き出す気配はない。


「な、なんなん、なに……」


 心はまだ落ち着かない。大して動いたわけでもないのにはあはあと肩で息をする。


「と、ともかく、に、逃げ……」


 そうして化け物の死骸を乗り越えて外に出ようとしたとき、また、複数の足音が。




*****




 駅に化け物がでたらしい。




 それは二本の腕で立ち上がり、目が二つしかなく、口が横に小さく割れた巨大な異形の化け物だそうだ。


 それが駅を掃除しにきたパートの人を殴り殺したらしい。たまたま近くにいた人たちが現場を目撃して、総出で取り押さえて銃で撃ち殺したそうだ。現場は凄惨な有り様で、壁に貼ってあった夏祭りや環境保護のポスターにまで血と肉が飛び散っていたという。


『ほんとだって。怖かった。銃で二、三発当ててようやく死んだんだ』


『手の形がおかしいんだよ。四本しかないんだが、そのうち二本は分厚くて、指が短くて……』


『たまーに来るんだよそういうのが。山から下りてくる四本腕の化け物だ』


 親戚のおじさんやおばさんたちが、八本の腕を器用に動かして畑仕事をしながら雑談している。こんな田舎で退屈な毎日を繰り返しているから、四本腕の化け物の襲撃以来、ずっとこの話の繰り返しだ。


『おめえは、お祓いに出るか』


『お祓い?』


『ああいう化け物が出たときはやるんだよ。祟り神にならないようにってな』


『ふぅん』


『お菓子も出るぞ』


『行けたら行くよ』


『行かねえやつの言葉だそれは』


 ケラケラとおじさんたちは笑う。


(化け物、か……)


 この村に現れたのは初めてだが、四本腕の化け物は稀に現れ、そのたびに錯乱したように暴れまわり退治される生き物だ。その正体はいまだ不明だが、研究者は彼らが高度な知性を持っていると推測しているようだ。


 山にいる獣と違って、衣服や、よくわからない機械のようなものを持っており、録音を解析した結果、何かしらの法則がある彼らなりの言語をしゃべる"化け物"……。


(間違いなく、彼らなりの文化は持っている。それも僕らと同等か、それ以上くらいの高度な……)


 大人になったら研究者になっていつかその謎を明かしてみたい、と僕は静かな情熱を燃やすのだった。


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