とあるコンビニ、ワンオペ店員のとある夜

今福シノ

短編

「それじゃ、あとは頼んだぞ」


 午後10時を少しまわったころ。帰り支度を済ませた店長がバックヤードから出てきた。


「はい、明日は7時からですよね」

「ああ。いつも悪いが、それまではよろしくな」


 いつものセリフ。それを言い残して、店から出ていく。

 店内に残るのは、有線のポップな音楽と、俺だけ・・・


 その瞬間から、始まる。

 俺のソロコンビニ店員としてワンオペの時間が。



= 午後10時~午前0時 =



「いらっしゃいませー」


 終電が0時過ぎまでなので、客足が絶えることはない。国道沿いかつ駅前にほど近いおかげで、日付が変わるまでは閑古鳥が鳴くことはまずない。俺がこうしてバイトをクビになることなく働き続けられているのも、この立地あってのことだ。


 そして、やってくる客は大きく2種類。


「3点で634円になります」


 ひとつは、会社帰りのサラリーマンだ。

 くたくたのスーツに、それに負けないくらいの疲れ切った顔。毎日まいにち、よくもまあこんな遅くまで労働に勤しめるものだ。


 そんな彼らが買っていくのは、決まってお酒とそのアテ。残業のせいで夕食を食べ損ねた、しかしこんな時間で食べる気にもなれない、といった心境が表れているようだった。

 やってくる顔ぶれはだいたい同じなので、誰がどの組み合わせを買うのかは、1週間もバイトを続ければ頭に入った。


 だから、たまに違う組み合わせをレジに持ってくると、ちょっと驚いてしまう。

 それから不意に考えてしまう。ビールが発泡酒だと、給料前でこづかいが厳しいんだろうか、とか。おつまみをいつもより豪華にしていると、仕事でなにかいいことがあったんだろうか、とか。


 そんな風に想像して、彼らの生活を垣間見るのは、ワンオペならではの楽しみのひとつだった。この店を訪れる客は全員、俺のレジを通ることになる。見逃しは誰ひとりとしていない。


 そして、この時間帯にやってくる2種類の人間。その後者は、


「うーい! 今日はお前のオゴリな!」

「オレ、ちーかま食べたいからカゴに入れといてくれよー」


 酔っぱらった大学生連中だ。


 きっと駅前の居酒屋で飲んでいたんだろう。それだけでは飽き足らず、誰かの家で飲みなおそう、そうとなれば買い出しだ、という流れだろう。想像するまでもない。それが証拠にほぼ100%の確率で顔を赤くしている。


 買っていくのは基本的にサラリーマンと同じ、お酒とおつまみ。だけど彼らがそれぞれ漂わせる雰囲気は、まるで違っていた。


 まさに陰と陽。前者は憂さ晴らしのように酒を飲み、後者はたのしむために酒をあおる。


 だけど、これはある意味表裏一体だとも思う。

 この大学生たちだって、数年すればこのサラリーマンの仲間入りを果たすことになる。大多数が見分けのつかないスーツを身にまとい、暗い表情を浮かべる生活を送ることは避けられない。


 かくいう俺だって、大学を卒業した先に待っているのは、高い確率で目の前にいるサラリーマンの姿。よっぽどホワイトなところに就職するか、大金持ちにでもならない限り死ぬまで働く未来が待っている。


 学生のうちに一生分騒いで楽しんで、そこから先は一生分働く。

 人生はうまいことできてるな、と思った。



= 午前0時~午前3時 =



 日付をまわれば、店の雰囲気はガラリと変わる。

 疲れ切ったサラリーマンやウェイウェイはしゃぐ大学生はすっかり姿を見せなくなる。


 代わりにやってくる客といえば、


「すみません、これっ」


 棚に並んでいた刻みネギを根こそぎレジに持ってくる、若い男性。

 額に浮かぶ汗、焦った様子。腰にはロゴの入ったエプロン。

 そう、居酒屋の店員だ。


 日によって人は違えど、買っていくものは違えど、急いでいる表情は決まって同じ。エプロンに入った居酒屋チェーン店のロゴも同じ。在庫がなくなった材料を若いバイトに買いに行かせている、ということだ。どうやら今日はネギがなくなったらしい。


 別のパターンとしては、派手めのスーツにワックスでガチガチに固めた髪型でやってくるのもある。これはおそらく、駅前のキャバクラかクラブ。レジに持ってくる商品はだいたいナッツやチョコレートのたぐい


 使いっ走りは若手の宿命。誰もが通る道。俺はコンビニバイトだからあんまりそういうのはないけど、これから会社で働くようになればまず間違いなく経験するだろう。


 そんなこんなで、店内はまだまだ騒がしい。俺の仕事も、まだまだ落ち着かない。


 すっかり夜中の時間帯だけど、世界はまだまだ眠らない。



= 午前3時~午前6時 =



 さすがに3時を過ぎれば、店の中も外も一気に静かになる。

 国道を通る車もほとんどなくなり、音すらしない時間帯。


 じゃあ、やってくる客もまったくいないかと言われれば、そうでもない。


 トラック運転手。

 この時間にやってくる客は、ほぼ彼らだ。


「……」


 彼らは基本的に無口だ。

 別にトラック運転手に無口な人が多いというわけではない。こんな時間に、休憩で訪れたコンビニで、わざわざ会話をしようとは思わない。

 そして、彼らが買っていくのはパン、飲み物、それから、


「マイセンの3をくれ」

「はい」


 マイセン――マイルドセブン。タバコの名称だ。この場合、マイルドセブンのタール3mgがほしい、ということになる。

 ややこしいのは、マイルドセブンという名前のタバコはもう存在しない、ということだ。正確には「マイルドセブン」から「メビウス」という名前に変わった。ちなみに「セブンスター」の愛称は「セッタ」だったりする。

 だけど彼らにとってそんなことは関係ない。「マイセン」という愛称こそ彼らの身体に染みついたお気に入りのタバコなのだ。


 これが、コンビニバイトでまずつまずくポイントのひとつ。客の望んだ銘柄のタバコをすぐに出せずに、あるいは間違えて、怒らせる。俺も最初は失敗したものだった。


 そんな過去を懐かしむ暇もなく、俺は流れるように後ろの棚から「マイセンの3」を取り出す。


「540円になります」

「ん」


 ちょうどの金額を受け取り、レジで精算する。レシートがいるかどうか、なんて野暮な質問もわざわざしない。誰がレシートを必要とする客かどうかは、だいたいわかるようになった。


「ありがとうございましたー」

「おう、いつもご苦労さん」


 そして時々、ほんの時々だが、こうして声をかけてもらう。俺はそのひとことに、いろんな意味が混ざっているのだと、勝手に解釈している。


「……ありがとうございましたー」


 そうして彼が出ていくと、店内は再び静かな空間へと戻る。まるで世界に俺だけしかいないような、そんな錯覚。


 だけど、世界は回っている。

 多くの人間が眠っている時間でも、人知れず働く人たちによって。

 俺もその中のひとりだと、世界を回すひとりの人間なんだ、と。


 そんな風に考えながら、朝日が昇るのを待つ。



= 午前6時~午前7時 =



「今日もおつかれさん」


 6時半にもなれば、店長が顔を出す。そうなれば、ワンオペは終わりだ。


「なにか変わったことはあったか?」

「いえ、特にはなかったです」


 簡単に報告を済ませ、勤務時間の7時まで働いてから退勤シートに入力する。


「おつかれさまでしたー」


 朝番のもうひとりのバイトにそう告げて、俺は店を出る。ひとりだけの・・・・・・店員としての時間は終わり、その他大勢のうちの大学生ひとりとしての時間に変わる。


 店の外は、すっかり明るくなっていた。前の国道も、車が絶え間なく通り過ぎていく。人々は動き出していて、世界は活気にあふれている。


「……まぶし」


 ひと晩中働き続けてしぱしぱする目に、太陽が刺さる。目をこすりながら、俺は裏にとめてある自転車にまたがり、家路につく。


 たしか、今日は2限からだったはずだ。このまま大学に行くには、少し早い時間。


「……とりあえず、帰って寝るか」


 自転車をこぎ、走り出す。

 俺がちゃんと授業に出れたかどうかは、まだ誰も知らない。

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