小舟と炎

水涸 木犀

episode9 小舟と炎[theme9:ソロ○○]

「いいのか、船長がこんな時間に出払って」

 粗末なボートの後ろから、俺は思わず声をかけた。空はすでに暗く、小舟でふたり漕ぎ出すには不適当な時間に思われた。


「大丈夫さ。この星に来てから、僕はなんどか夜に抜け出している。クルーたちも黙認してくれている」

「黙認っていうのは、積極的な承認行為ではないと思うが」

「君が生真面目なのは相変わらずだな」

 巧みにオールをこぐ彼は、朗らかな笑い声をあげる。

「クレインこそ、変わってないな。笑い方なんて学生のころと同じだ」

「どんな環境に身を置こうとも、個人の気質はそう簡単には変わらないものさ。しかし、考える時間と解明すべき謎がたっぷりある状況では、思いがけず平常心を失いかけることもある」

「……それで、この小舟をつくったのか?」


 彼はその問いには答えず、オールを動かす手を止めた。足元に置いた鞄を探り、大きいガラス瓶を取り出す。

「二人で乗っているからかなり揺れるな。オウル、この端を押さえていてくれるか」

 小舟に渡された木の板を両手で押さえると、彼は中央にあいた穴にガラス瓶をはめこんだ。瓶は、よく見ると側面が大きく開いている。

「少し待っていてくれ」

 彼はさらにポケットから小物を取り出す。次の瞬間、手元から火花が飛んだ。

「おい、何する気だ」

 逃げ場の無い船上に突如現れた炎に思わず身を引くと、彼は気にせずそれを瓶の中に移す。

「大丈夫さ。こうして、瓶の中に入れて回せば、簡易的なランタンの出来上がりだ」

 瓶は、思いのほか精巧な細工が仕込まれていたらしい。彼の言う通り、瓶を回すと側面が閉じた。多少水がかかったとしても火が消えることはないだろう。

 とはいえ、いろいろと言いたいことはある。

「船上で使う明かり程度なら、母船の中にいくらでもあるだろう。何でわざわざ火を熾すんだ」

「確かに、火は危険な上に手間もかかる。しかし、心を鎮めるには最適なのさ」

 彼の顔が小さな炎に照らされる。相変わらずにこやかな笑みを浮かべているが、目は伏せられていた。

「新星に着いた喜びは大きい。クルーたちもよく動いている。航行中も含めとても充実した日々を過ごしている」

 彼は、目を伏せて……正面の炎に目線を向けたまま話し続ける。

「しかし陸地が無いこの星での生活は、思いのほか閉塞感が強かった。宇宙を航行しているときはまったく気にならなかったんだが、一日の大半を船内で過ごす生活を繰り返すうちに、息が詰まる瞬間が何度か訪れた」

 俺は納得半分、意外感半分で話を聞いていた。宇宙を航行中はそもそも「外に出る」という選択肢は無いのだから、唯一安全な船内で生活することに違和感を覚えない。しかし、「外に出る」選択肢があるにもかかわらず容易には出られない生活は、息苦しい。意外なのは、彼がそのような思いを抱いていたということだ。

「新星についてからは、調べること、考えるべきこと、やるべきことが一気に押し寄せてきた。一覧は君の船のクルーに渡したが、あそこまで整理するのにも数年かかったくらいさ。未知なる物事に立ち向かうのは魅力的な経験だが、僕に処理できる量には限界がある。新星に来て初めて、そのことに気づいた」

 彼の言葉に納得する。新星に到着した彼は、初めてインターネットに接続した人間と同じくらいの情報の洪水に見舞われたのだろう。いくら情報収集が好きな人間でも、膨大な情報全ての理解と判断を任されたら、たちまちのうちにパンクする。

「一覧表を見たこちらのクルーは、情報整理に数ヶ月かかると言っていた。クレインだけでなく、OLIVE号全員の頭脳をもってしても、あまりにも情報過多だっただろうな」

 彼は頷くと、ようやく目線をあげた。しっかり目を合わせてから言葉を続ける。

「僕には、ふたつの時間が必要だった。情報を整理する時間と、自分の在りようを考える時間。情報の整理は、オウルも言う通りクルーたちも一緒に取り組んでくれたし、船内でも十分ことたりた。けれど、自分の在りようは、船内で考えることはむずかしかった」

「それで、この小舟をつくったのか?」

 先ほどと同じ問いをもう一度投げかける。今度は首肯が返ってきた。

「ああ。周辺の探索用に小舟はいくつか作っている。それに加えて、ランタンも作った。諸々実験を行っている過程で、このゆらぎに心惹かれるものを感じたんだ。暗くなってから水上に漕ぎ出して、炎と星空を眺める。そうすると、いつのまにか楽に息ができるようになっている」

「キャンパーがたき火をするようなものか」

「これをキャンプだといえば、地球のキャンパーに怒られてしまうだろうけどね。でも気分は近いかもしれない。ひとりで漕ぎ出して炎を見た日は、ぐっすりと眠れるんだ」

「今日は、眠れそうか」

 彼が大切にしていたひとりになれる空間に、俺が足を踏み入れて大丈夫だったのか。いまさらそんな不安が頭をよぎる。彼はわずかに首を傾げてから笑顔になる。

「オウルとこうして話ができたから、新星に来て一番の快眠が訪れるだろうね」

 俺はほっと息をついた。不安が去るのと同時に、胸の奥がじんわりと暖まるような感覚があった。

「話すことは、まだまだあるだろう」

「そうだね。今までの旅のこと、これからのこと。ゆっくり話をしよう。まずはこの火が消えるまで」

 彼の言葉に応えるように、炎が揺れた。

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