太陽系第三惑星ソロ調査記録
さかたいった
調査記録1
地球人とはおかしな生き物だ。この星で過ごす時間が長くなるにつれ、つくづくそう思う。
ワタシはジョーという仮の名で通っている。三十万光年彼方の銀河より、この太陽系第三惑星の調査に赴いた。
宇宙人。そう認識してもらって構わない。ワタシは地球の成人男性に擬態し、単身この星の潜入調査を行っている。
自動翻訳機の使用により、言語による意思の疎通に不自由はない。宇宙空間の移動中に予備知識も仕入れ、準備は整っていた。
だが、現地に赴き実際に目にした地球人の在り方は、驚くべきことばかりだった。
「ちょっと、なんとか言いなさいよ」
電話越しに喧嘩腰の女性は、エリコという。
「なんとか」
ワタシはスマホという形態の電話に向けて声を放った。
「はあ!? なんて?」
「だから、なんとか。きみがなんとか言いなさいと言ったからそう言ったんだ」
「私を怒らせたいの?」
ワタシはただ言われたことを言っただけなのだ。それなのにどうして怒られなければならないのか。そもそも、彼女は既に怒っている状態の気がするのだが。
「もう知らない!」
エリコはそう叫んで一方的に通話を終了した。ワタシは彼女がなぜそんな不安定な状態になったのか、理解ができない。
地球人は不思議だ。とくに、地球人の女性は。
ワタシがこの地球と呼ばれる惑星に降り立った時期は、地球人は未曾有の混乱期にあるようだった。
ある感染症が爆発的に流行したことにより、これまでの生活様式は一変し、良くも悪くも新時代のものへと変化した。他人と接触するような外出中は基本的にマスクの着用が義務づけられ、人と人との距離がとられるようになった。それが新たな常識と風潮として植えつけられた。
ワタシが働いているラーメン屋でも、変化があった。入口にはアルコールスプレー、席と席の間にはアクリル板が設置され、夜の営業時間も短縮された。それでも、いつも来ていたお客さんは変わらず来続けた。ラーメンの味が恋しくてたまらないのだろう。ワタシも初めてラーメンという料理を口にした時、とても感動した。地球にはこんなとんでもない究極兵器があったのだ。ワタシは即時ラーメン屋で働くことを決意した。ラーメンを知れれば地球を知れると思ったのだ。
エリコとの出会いは、バーというお酒を嗜む場でのこと。
その日、エリコは浴びるほどにアルコールを摂取していた。そういう表現があるだろう? 実際に体にぶっかけているわけではない。
何が彼女をそうさせているのか気になったワタシは、彼女に声をかけたのだ。もちろん、地球調査の一環である。
話を聞くと、どうやら彼女は恋人と別れてしまったらしい。同棲もして、もう少しで結婚に漕ぎ着けられるところだったということだ。結婚というものがボートの終着地点なのかは定かではないが、とにかく彼女はそのショックを埋めるためにアルコールの貯蔵庫となる決意をした。
ワタシはエリコの話を聞いていたが、唐突に彼女が静かになった。テーブルに体を投げ出し、眠りこけていた。三秒前まで喋り続けていた気がするのだが。
バーのマスターからの頼みで、その日ワタシがエリコの介抱をすることになった。意識が途切れがちな彼女からどうにか住所を聞き出し、タクシーに乗せて自宅まで連れていった。
エリコを玄関に放り込み、ワタシが踵を返そうとすると、彼女がワタシの腕に掴みかかった。彼女は孤独となった悲しみを紛らわせたかったのだ。
ワタシはエリコが静かに眠りにつくまで、傍にいた。それだけだ。彼女はただ安心したかったのだろう。きっとそこにいるのは大きなクマのぬいぐるみだってよかったのだ。
ワタシは地球人の女性の家に入るのは初めてだったので、エリコが眠った後どんなものかとあちこち部屋の調査を行った。ワタシがちょうどタンスの中を物色していると、いつの間にか目覚めたエリコに助走からのドロップキックをまともに喰らってしまった。ワタシは盛大に床に投げ出される。おまけに勢い余ってテーブルの脚にこれでもかと強く頭を打ちつけた。目の前にお星様が浮かび上がる。ワタシの故郷の星かもしれない。なるほど、勝手に部屋の中を漁ると地球人の女性はドロップキックをするものらしい。これは覚えておかないと、生死に関わりそうだ。
近ごろ地球では、世の風潮もあり、ソロ飲みにソロキャンプ、ソロソロ仕事の支度しなきゃああでもあと一分だけ寝かせて、など、一人で行う行為が流行っているらしい。他人と接触することを推奨されない世の中になったせいもあるが、元々そういった兆しは出てきていたようだ。他人に気を遣うぐらいなら、一人で全部自由に好きにやりたいという心情の表れである。それは生涯ソロを貫く未婚率の増加にも繋がっている。かくいうワタシもこの地球にソロで調査に赴いた。
とはいえ、地球人は社会生活を営む集団の生き物だ。一人行動を好む人間ばかりでなく、エリコのようにすぐ他人に会いたがる寂しがり屋な人間もいる。
そのエリコだが、ワタシは最近彼女とあまり上手くいっていない。彼女との初めての邂逅以来よく会う仲となったのだが、気持ちのすれ違いというのか、ワタシと会うエリコの機嫌がいつも悪い。地球人の女性を調査する絶好の機会だと思いエリコと付き合ったワタシだが、どうやらエリコはワタシにこれまでと違う何かを求めているようだ。そのくせそれが何なのか自分の口で言うつもりはないらしい。まったく、地球人の女性というのは勝手で困ったものだ。
だが会うたびしかめっ面をされるのはさすがのワタシでも面白くはないので、ワタシは地球人の女性が喜ぶ情報を検索し、実行に移すことにした。
この日のエリコの機嫌も、陸に打ち上げられピチピチ跳ね回る魚のように悪い。しばらく乗っていなかった自転車に乗る時のタイヤの空気圧ぐらい。
エリコは元々お喋りな人間だが、レストランで食事をした時もぶすっとした表情で、二人の間に会話らしい会話も発生しなかった。
レストランを出て、繁華街の路地を歩いていく。
人気の少ない通りを歩いていると、エリコが唐突に口を開いた。
「ねえ、私たち、別れたほうがいいかもね」
「別れる? どうして?」
「だってこのままじゃ。私はもう失敗したくないし」
「そう。じゃあきみがそう言うなら」
ワタシがそう言うと、エリコはキッと顔を向けて掴みかかるように私の胸ぐらに両手を押し当てた。
「なんで止めないのよ!」
えっ、どういうことだ? きみが別れようと言ったんじゃ? ワタシはそれを受け入れようとしたのにどうして怒ったんだ? 地球人の女性の謎は調査を繰り返すほどに深まるばかり。
「なんで……うっ、うっ」
怒ったかと思えば、今度はエリコが涙を流し泣き始めてしまった。まったく、どうなっている? これ以上ワタシを混乱させないでくれ。
その時、エリコの肩越しに、片目に眼帯をしたスキンヘッドの大男の姿を見つけた。
まさか、あいつは!?
「エリコ!」
「えっ?」
ワタシはエリコの手を握り、彼女の手を引いて男とは反対方向に走り出した。
それに気づいた男が恐ろしい形相で追いかけてくる。
路地を抜け、角を曲がり、風を切って走った。
走る、走る、走る。
『走る』がお題の回ではなくてもとにかく走る。
走って、躓いて、転びかけて、持ち直して、体に鞭打って、走る。
いくつもの路地を駆け抜けた。
「はあ、はあ、撒いたか?」
ようやくワタシたちは足を止め、乱れた呼吸をどうにか整える。
「はあ、はあ、はあ。…………ふ、ふふ、あはは、あはははははは!」
エリコが突然大声で笑い出した。一体どうしたというのか。ついさっきまで泣いていたはずだ。もうワタシには理解できない。
「エリコ?」
「あはは。なんかもう、可笑しい」
エリコはまぶたに残った最後の涙の一滴を拭った。
なにがなんだかわからないが、彼女の機嫌が良くなったことは朗報だ。
「よし、じゃあバーに行こうか?」
「バー?」
「きみと初めて会った場所」
ワタシとエリコはバーに行った。
入口から入ると、一瞬マスターと目が合った。アイコンタクトののち、マスターは小さくウィンクした。
カウンター席に着いたワタシは、「例のものを」とマスターに注文する。
「例のもの?」とエリコが訊いたが、ワタシは黙って待った。
マスターが手際よくカクテルを作成する。ラッパの先のような形のカクテルグラスに注ぎ、エリコの前に置いた。
薄く濁った白いカクテル。エリコは不思議そうにそのカクテルを眺めている。
マスターがダンディな声でエリコに言った。
「このカクテルのカクテル言葉は、『永遠にあなたのもの』」
「えっ?」
「エリコ」
エリコが戸惑いながらワタシを見た。
「結婚しよう」
地球人の女性はこの言葉を言われると喜ぶらしい。それがワタシが得た情報だ。それを試してみることにしたのだ。
エリコは驚きに目を見開き、ワタシを凝視している。そして……。
「ば……ば……」
「ば?」
「バカヤローーー!!」
ワタシは左の頬にエリコの渾身の右ストレートをもらった。ワタシはもんどり打って椅子から転げ落ち、バーのフロアに大の字にノックアウトされた。
ワタシはつくづく思うのだ。地球は不思議な星。とくに地球人の女性は理解に苦しむ存在であると。
ちなみにワタシとエリコは新居を探し、そこで二人で住み始めた。その先の話は今回の調査とはあまり関係がないので、割愛させてもらう。
ワタシはこれからもこの太陽系第三惑星、地球の調査を続けていくつもりだ。
もはやワタシは「ソロ」ではなくなってしまったがね。
太陽系第三惑星ソロ調査記録 さかたいった @chocoblack
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