四つの宝珠

石田宏暁

メッセージ

 玲奈とライダースジャケットを着た髭面の老人は荒れた森を行かねばならなかった。ほの暗い木々の間で彼女のブラウスはひときわ白く光って見えた。


 勾配の緩い道を選んだが、膝の悪い老人タナーと四十路を過ぎた生物学者にとってそれは険しい道のりだった。


「むかし弟と山菜をとりに来たのもこんな森だったわい。そろそろかのぉ」


「ええ……近いわ」


 残してきた息子は既に中学生になっているはずだ。危険が及ぶことは予測できたが、夫がいれば大丈夫だと信じるほかなかった。


 草木の匂いが、三年前に逃げ込んだ森林公園の記憶を甦らせる。集積回路だけを持って私は走った。ボロボロになった私を高校生のカップルが救ってくれた。


 男の子の名前はヒロ。彼の友人には識字障害を抱えながらも予知能力を持つ少年や、愛着を持った文具を念波で操る少年がいた。


 彼らには何度も助けられた。恐ろしい出来事の最中、綺麗な髪の少女は彼に「あなただけ何の能力も無いわよね。それに友だちって年下ばっかり」と言って笑った。


「誰も居ないキミよりマシだと思うけど?」


「だって平気だもん。ヒロが居れば」


「あ……あっそ」


 素直になれない不器用な二人が愛おしかった。私は傷を癒すためしばらく彼女の家に滞在した。そして数多くの語学に通じていた少女はこのメッセージに気付いたのだ。


 有機体数列を見てそれが地図だと言ったのは愛美あゆみだった。メモリーにあるデオキシリボ核酸のDNA、有肢菌類たちの持つRNAの断片。それは自然界にはあり得ない塩基対の組み合わせだった。


 私は研究するうちに人類が有肢菌類、海洋生命体、爬植石生物と凄惨な覇権争いをしていることを知った。進化の影で超常現象にも似た怪物たちの戦いが繰り広げられていたのだ。


 そして四つの種族の四つの宝珠を手にした者がこの世界の全てを理解し征すると伝えられている。和解の時はとうの昔に過ぎていた。


 今日この場所に宝珠が揃う機会を得た。地下組織の友人『ペンギン』と『タナー』を介して、やっとこの地図の場所へとたどり着くことが出来た。


「……」


 森深くには頭の薄い小男が二人を待っていた。修道服姿は儀式に対する敬意か、あるいは死の宣告をするかのように不気味だった。


 共に控えていた修道女シスターは三角錐の淡青色に輝く『樹輪の宝珠』を袋から取り出し、彼女の前にそっと置いた。


 玲奈はその隣に丸形の黄金色に輝く宝珠を取り出し二つを並べた。『エリクシール』と呼ばれる海洋知的生命体から預かってきた秘宝である。


 同盟種とはいえ彼らの信頼を勝ち得るためには多大な労力と犠牲が強いられた。タナーは喉を撫でながら言う。


「ところで、修道女シスター。こんな時に言うべきか分からんが、屈むと胸元が丸見えじゃぞ」


「でしたら完璧です」


「ゴホッ、ゴホン」神父は軽く咳払いをして前に出た。「はじめまして野口教授。手前にはまだ確信がございません。果たしてここへ来たのは正しい選択でしょうか。手前はこの地図だけを頼りに森深くで何時間もお待ちしておりました。本当に彼らは現れると?」


「もう貴方の後ろにいますよ」


「……!」


 木々が囁くように揺れた。その高い木は生きて歩いていた。爬虫類と苔むした植物が混じりあったような容姿、爬植石生物。神父は狼狽えながらも修道女を庇おうと身を呈した。


「囲まれておりますようで。貴殿が危害を加えれば樹輪の宝珠は手前の意志だけで粉々に砕け散るとだけ伝えておきましょう」


 修道女シスターは更に前に出て叫んだ。「分かってるんでしょうね。手出ししたら宝珠が揃うチャンスは二度とないわよ。あんたらの探してる古代の無限エネルギーだって、消えちゃうんだから」


 葉を揺らしながら巨大な木人はテレパシーを使った。絡み付いたつたが人間の顔のようにうねる。厳格な気質を反映した彫刻のような表情に感情は見えなかった。


『争いは好みません。何もかも海に沈めようとする野蛮な海洋生命体や、好戦的なくせに陰謀ばかり企てる有肢菌類とは違います』


「み、見た目よりまともじゃないの」


 玲奈は巨大な厚板のような腕から菱形パンドラの匣を受けとると、二つの宝珠を中に納めた。ガサガサと木々の間からする音に目を向ける。


 もう一つの宝珠『賢者の石』を持った少年はタイトスカートの女性を軽々と背にしょったまま、突如として現れた。


「……!」


 驚きの再開だった。玲奈は鳥肌がたち、目には涙が溢れだしていた。震えた声で少年へとよろよろと駆けより叫んだ。


 この三年で急激に背が伸び、成長期の手足ははるかに分厚く逞しくなっていた。面影のある優しい顔がぴったりとした詰襟を着て目の前にいる。


「ああ、ああ……鷹志!!」


「か、母さん。母さんなんだね!」


 項垂れていた背後の女は警戒心を露にした。捲れあがった唇の奥には鋭い牙が何重にも生えている。


「来るな!」ナイフのような女の爪は野口鷹志の首筋に伸びている。「我々はを古代文明のだと聞いている。我々がもらう。こいつは貴様の息子だろう。人質がどうなってもいいのか……」


 双方が向き合う位置に身を置いた。敵対する種族が一同に介し、同時に情報を得る必要があった。それほどまでに宝珠の伝記は種族を越えた未知なる課題だった。


「罠じゃったか。こいつは有肢菌類の名家のひとり……」タナーはにじりよった。

 

 一発触発の状況。敵対勢力は各々が出し抜こうと牙を剥いている。この女は度しがたく恩知らずで執念深いときている。手に負えない。


「万事休すじゃな」タナーは握りしめたこぶしに力を込めた。場合によっては全てをかなぐり捨てて宝珠を破壊することになる。


 目の前には爬植石生物と突如あらわれた有肢菌類の女。辺り一面にはその仲間が動いている。更に広範囲の外界には海洋生命体が構えている状況だ。


 神父は両手をあわせて祈るように立っていた。どの勢力が有利に立とうがこの世界だけは守らなければならない。修道服には反物質を利用した爆薬が用意されている。


「主があなたを祝福し、あなたを守られますように。この世でも、あの世であろうとも」


 命にかえても……。修道女シスター麗子は神父の袖を掴んでいた。それが破滅をもたらす自爆行為だろうと共にあると決めていた。


「大丈夫だよ」


 少年は、みなに向けてゆっくりと微笑みかけた。前に立つと同時にこの場をうるんだ目で見据えた。


「心配しないで、母さん。この人は信用できる。だって他の連中に嘘の情報を流して、僕と賢者の石をここへ導いてくれたんだから」


「ち……違う、違うぞ!」


 鷹志は彼女の腕をそっと掴み下ろした。左手に円柱形の石を持ちながら、匣を持つ母の元へと歩いていく。


「まっ、待て! まだ、どの種族が有利にたつかは分からない。私は有肢菌類だ。お前のことなど、ひねり殺すことが出来るのだ」


「やめておけ」タナーは女を諌めた。「母と息子の再開を邪魔することがお前の目的ではないはずじゃ」



 キィー……ィン



 パンドラの匣は開かれた。樹輪の宝珠、エリクシールと賢者の石はひとつになり、温かく眩い光が辺りの木々を照らした。その瞬間、この場にいた全ての者が光に包まれた真っ白な世界にいた。


「…………」


「……」


 どこからかメッセージが聞こえる。玲奈は息子を抱きしめながら不思議な言語が脳に直接語りかけるのを聞いた。それは自動的に流れるメッセージだった。



『私たちは初めてこの宇宙に産まれた知的生命体です。あらゆる生物は一つの祖先から産まれたのです』


 その光は語りかけた。古代文明ではなく地球外生物の記憶として。


 私たちはたった一つの種族でした。巨大な文明と究極に進化した科学力を持っていました。


 しかし繁栄とは儚いものです。私たちは滅びを前にあることに気付いたのです。大事なのは多様性だということに。


 私たちは滅亡を前に命の種を撒きました。何世紀か後に私たちと似た種族が幾つか産まれることを願って。


 ここに四つの神器が集まったということは私たちの願いが叶えられた証拠です。


 あなたたちは多様な進化を遂げ互いに認めあい、受け入れ、助け合い、手をとりこの場所に集まりました。


 私たちは家族です。私たちが滅んだとしても新たな命が助け合い、生命の糸を繋ぐのです。


 どうか、いつかこのメッセージを誰かが受けとる日がきますように……。


『……』


「そ……それだけなのか」


「ふは……ふははは……笑えるわい」


『爬植石生物は休戦を提案します』


「これが、これが、我々の求めてきたゴールだというのか。そう……なのか」


「確かに手前どもは似ておるやもしれません。元々同じ祖先を持っていたのですから」


「神父さま、本屋寄って帰りましょ。椎名由貴子の新作買ってくれるって言ってましたよね」


「…………」


「……」


 光の中で二人は抱きしめあっていた。有肢菌類の女は胞子ネットワークを使い、この映像とメッセージを世界に伝えた。


「くっ……」律子は膝をついた。「何と情けない結末だ」


 ぽかんとした表情をみた老人は、頭をのけぞらせて笑っていた。目には涙を浮かべていた。


「いや、これで良かったんじゃ。儂らが分かりあえる未来がきっとある」


「いつかは……分からんがな」


 森の外の日差しが夕暮れと共に弱まってきていた。両手を暖めようとでもするように擦りあわせてタナーは言った。


「ともかく、あの家族が世界の均衡を保ったのは間違いない。あんた、あの息子を命懸けで守ったそうじゃな」


「……人質に死なれては困るからな」


「ふっ、聞いたわい。あんたは戦いながら叫んでいたんじゃ、無意識にの。この子に手を出すんじゃない。の子に手をだすなとな」


「ふん。どうかな……忘れたわ」


 その日、世界は静寂に包まれていた。この歴史的な発見を前にあらゆる知的生物は言葉を失ったように沈黙を守っていた。


 科学者や歴史学者はまだひと言も発言をしていない。神の仕事を見たあとでは、何を言うのも間違いになってしまうからであろう。


「家族……」神父は十字をきって呟いた。「この世界に祝福あれ」


         END

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