独身貴族吸血鬼、燕三条系ラーメンを食す

酒井カサ

第『啜』話 身体に悪いものばかり美味い

――『吸血鬼ってやっぱり夜が好きなの?』


 200年弱生きてきて100万回は聞かれた質問に真面目に答えるとすれば、好きなわけないのである。考えてもみてくれ、夜の街にいったいなにがあるのか。飲み屋とキャバクラ、そしてガラの悪い連中。なにひとつよいものがない。対して昼はどうだ。洒落たカフェに活気のある街並み、ウインドウショッピングだって出来る。まあ、僕らは鏡に映らないのだけど。そして、なにより市役所が空いている。いや、吸血鬼ジョークではなく、真面目に。午後五時までに必要書類を取りに行くのが、我々にとってどれぐらいの苦行か。どんなに重装備で赴いても、頭皮が灰になるんだぞ。わかるか、翌日、シャンプーのさなかにジャシジャシとした感触を覚えたときの絶望感を。ああもう、どうして幻想種が存在する世界となって久しいのに行政改革は未だなされないのか。ほんと、夜は不便だ。いや、正しくは夜にしか生きられないことは、長寿と引き換えにしたって暮らしにくい。だから、僕は夜が嫌いだ。大っ嫌いだ。


 その日、目が覚めたのは九時過ぎだった。もちろん、21時のほう。吸血鬼にしては早起き。君たちの体内時計でいうと午前五時に目が覚めるようなものだ。夜はまだまだ浅く、羽振りがよかったときに買った分譲マンションに差し込む光はわずかにお日様を感じた。気持ちの悪い感触に軽く嘔吐く。君たちはよく吸血鬼と月のイラストを描くが、それは生体に反すると気づいているのか。月明かりだって日光だ。反射したものとはいえ。無理に浴びれば皮膚が灰になってざらつく。おかげで露出の多いファッションなんて出来ない。どこでもいいけど、吸血鬼用の日焼け止めを発売してくれないだろうか。我々が爆買いするぞ。とはいえ、市場規模は極小なのだけど。この国に吸血鬼はほとんどいない。人間と違って長寿なので、繫殖速度に違いがあるのはもちろん、ナントカって法律によって、吸血できるのは生涯ひとりと定められているのも大きい。むやみやたらな吸血によって種を繁栄させられてはたまらないというのが本音なのだろうが。この法律は君らが決めた憲法とやらに反するのではないか。かといって、最高裁で争う気力はないけれど。我々にとっても判決が出るまでが長すぎる。おかげで結婚は生涯を誓える相手としかできない。おかげで200歳を過ぎても相手には恵まれない。つまり、独身貴族なのである。というか、吸血鬼はみな祖先が貴族だ。だからといって資金力に優れているというわけではないけど。君たちだって家系図を漁れば、だいたいが藤原か平か源あたりに行き着くだろう。その程度だ。そもそも金が目当てなら、港区のIT社長とでもくっついた方がいいと思う。数は少ないだろうがそれでも吸血鬼よりは多いはずだ。それに結婚はしたいがわざわざ吸血鬼を選ぶような奴とは結婚したくない。いや、そんな拗らせ思想を100年以上、ひきづっているからダメなのだろうが。友人たちはそれでもみな結婚してしまった。友人たちは家庭のある暮らしをどのように感じているのか、詳しくは知らないが少なくとも僕はつまらなく感じている。ともにバカなことを言い合って笑い合う仲間を失ったことで、はじめて吸血鬼とはつまらないものだと思った。しかし、その寂しさを埋めるには人間の異性と関わりを持たねばならず、それもまた面倒だった。そうこうしているうちに三十年がたち、独りでも生きていけることに気が付いてしまった。


 いやはや、独り暮らしが長いと、どうしても自己を振り返ることが多くなってしまう。しかも、たいして面白くもないことばかり。やはり夜はよくない。無尽蔵に時間があるので、ついつい物思いにふけってしまう。かれこれ三時間以上、こうして何もせずに過去ばかり思い返していた。さすがにこれではいけない。少しでも生産的なことをしなければ。人間のような短絡的思想を覚えた僕は外に出ることに決めた。四月が目前に迫ったこの時期はちょっと夜風が厳しい。けれども夜桜が散っていく様を眺めるのは面白い。この光景のためだけに手入れが面倒な木を国中に植えている人間たちを思うとなおさら。まあ、その苦労に見合う光景ではあると思うが。コレステロール値が低い血を仰ぎながら、じっくりと眺めたい。いや、コレステロール値の低い血など国からの配給じゃ滅多に飲めないのだが。赤十字に知り合いがいる友人から分けてもらった血液の味が忘れられない。健康状態に優れた少女の血なんてどこから手に入れているのやら。お中元はそれを頼めないだろうか。そんな益体のない思考をしながら、静まる住宅街をぬけると目的地に到着する。ラーメンの屋台だ。


 君たち人間はどうしてラーメンが好きなのか。ふいに興味を持ち、その場のノリで食べてみたところ、その味が忘れられなくなった。それからはもう、ハマりにハマった。まだ夜行列車なるものがある時代だったので、全国各地をめぐってラーメンを啜った。その中でも特に気に入ったのは、新潟は燕三条のラーメンだ。醬油ベースの太麵が特徴なのだが、表面に浮くほど背脂が使われている。発祥の由来は、工業地帯の従業員が好んだとか、出前の際に外気で冷めないようになど諸説あるが、この油だらけのラーメンを食べるのが大好きだった。国から配給される血なんかより、油がしみ込んだ醬油ベースの汁のほうが美味しかった。しかし、ここがどこかはともかく、燕三条まではかなり距離がある。吸血鬼が活動できる時間には新幹線など走っていない。ゆえにここ数年、食す機会に恵まれていなかった。だが、幸運にも近くにやってきたラーメン屋台が燕三条系のラーメンを提供していた。大将の出身が燕三条で学生時代はラーメン屋でバイトしていたという。おお、神よ。今なら十字架にだって祈ってみせる。まあ、僕はそもそも無宗教なので、十字架は弱点ではないのだけど。あれはもともとキリスト教徒だった吸血鬼にしか効かない。ある種の精神攻撃なのだ。そんなこんなでここ最近は足繫くラーメン屋台を訪れている。大将は僕の顔を見るなり、「お客さんも好きだねぇ」といって、支度を始めた。そう、好きなのだ、燕三条系のラーメンが。一度、ラーメンに思考を支配されたが最後、それまでに抱いていた様々な感情は霧散して、ラーメン以外を考えられなくなる。友人にそれを伝え、共に食べないかと尋ねたところ、彼は微妙な笑みを浮かべ「いや、脂っこいのは胃にくるから……。それに家内が厳しくってね」と妻の愚痴へと移行した。彼とはもう10年ほど連絡を取っていない。しかし、今になって気が付いた。僕の燕三条系ラーメンに対するこの気持ちは彼がかつて語っていた『恋心』なるものに似ているのではないか。ならば、燕三条系ラーメンを食卓に出してくれる人間の女を探せば、幸せになれるのではないか。とここまで思考をして、急に冷静になった。いや、それは食欲となにかを取り違えている気がする。つまり、腹が減っておかしくなっているのだろう。そういえば、最後に食事をとったのは三日以上前だった気がする。吸血鬼はそもそも食事を取らないことで死に至ることがないので忘れがちだが、食欲自体がないわけじゃない。醬油ベースの香りを嗅いで思い出した。「へいおまち」ラーメンを差し出してくれる大将。どでかい鉢にあふれんばかりの麺とスープ、そしてネギと青海苔のトッピング。ああ、これだこれ。最近は夢にまでみた燕三条系ラーメンだ。なんとも身体に悪そうな見た目をしている。というか、実際悪い。実はこの店のラーメンは香料としてニンニクを使っているのだ。流水は大丈夫な僕だけど、ニンニクには強くない。しかし、君たちならばわかってくれるだろう。身体に悪いからこそ美味しいのだと。明日、赤い腫れ物に悩まされることになったとしても、それは明日悩めばいい。いまはただ、刹那的に食したい。その気持ちは種族が違ったって変わらない。ああ、もう、我慢なんて出来やしない。箸置きから一善とりだして、手を合わせる。この一杯があるならば、夜も悪いものじゃない。そんな祈りを込めて。


「いただきます!」

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