ソロサクラ

naka-motoo

ひとり桜

「サクラ、俺と一緒に墓に行かないか」


 うわ!

 これってセンスないけど、プロポーズ!?


 ・・・・・・・単なる花見の誘いだった。


「知ってた?佐倉サクラ?染井霊園がソメイヨシノ発祥の地だって」

「知ってるよ。大体名前見りゃ想像つくじゃない」

「二葉亭四迷のお墓もここにあるらしいぞ」

「知らないよ!」


 まあでも桜はほんとうに綺麗だった。

 中学生ふたりがお花見デートをするにもまあアリかもしれない。

 いや、そもそもこのおバカさんはデートだという意識すらなく、純粋に古のビジネスパーソンたちが花見の宴会をどんちゃんする感覚と同義の花見ぐらいにしか思ってないかもしれない。


「猫がいるぞ」

白木シロキ。花見なよ」


 このバカ者はにゃあにゃあ言ってわたしたちの跡をついて来る白いスリムな体型の猫をかまってばかりいて、桜を観るわけでもなければわたしの手のひとつも握るわけでもなかった。


「じゃあ、この猫を花の方の『桜』って名付けるぞ」


 何しに来たんだバカヤロウ。


「でもまああれだな。佐倉の下の名前がサクラだったらな」

「気色悪いこと言わないでよ。一度だってわたしを奈月なつきって呼んだこと無いくせに」

「佐倉を下の名前だと思ってカタカナでサクラって呼んでるのさ」

「わけわかんないよ」


 いい天気だなあ。

 ようやっと中学3年になれる。

 受験だなあ。


「ねえあなたたち」


 お墓の中の細いウネウネした道を歩いてたら上下黒に目立たないストライプが入ったパンツスーツのお姉さんに小道がクロスする出会い頭に声をかけられた。


「は、はい!な、なんでございましょうか」

「こらバカ白木」

「うっせいわ」


 微妙だなあ、『うっせえわ』じゃなくて『うっせいわ』だなんて。

 と、どうでもいいのさそれは。


「バカ白木。見知らぬ人に緊張して応対するな」

「み、見知らぬ人だから緊張するんだろうが!」

「うるせいわ。バカ白木!見惚れてんじゃないよ!」

「痴話喧嘩はおやめ」

「痴話じゃありません!」


 わたしがまるで古典的なラブコメみたいな応対をするとお姉さんはケラケラ余裕で笑って攻め込んできた。


「安心してよ。別にふたりを冷やかすつもりも無いし脅迫するつもりも無いのよ。ただちょっと教えて欲しいことがあるだけ」

「なんですか」

「ほら美人にだけ敬語?」

「い、いいだろ佐倉!年上のひとなんだから!」

「年上ってもわたし15で今度高校なんだけどな」

「「えっ!?」」


 お姉さんの名前は神楽かぐら佐加さか。命名した親もどうかしてると思うけど。


 なんでも佐加さんが通う都内でも超優秀なその高校は制服が無く、入学式をこのスーツで済ませてきたそうだ。

 帰りにどうしても染井霊園で探し物をしたかったという。


「『孤独の桜』を知らない?」


 なんだそのロマンティックな純文学系の表現は。でもかの文豪も眠るこの地にはふさわしいシチュエーションかもしれない。


「うーん、そうですねー、コドクノサクラですよねー」

「こらバカ白木。知らないなら知らないって言いなよ」

「な、なんだよ、バカ佐倉・・・・・・・・2年連続不沈の学年トップの佐倉」

「へえ。奈月ちゃんて優秀なんだ。なら知らない?孤独の桜」

「知りません・・・ていうか佐加さんは孤独の桜なんて誰から聞いたんですか?」

「ふふん。彼から」

「あ・・・・・へえ、そうですか」

「いけない?」

「いけないとか・・・・」


 いけないとかそういうことじゃなくって、ならばその彼と一緒に探しに来ればいいのに。


「別れたから」

「あ、じゃあ!」

「何がじゃあなの白木。あなたには未来永劫そのタイミングは訪れないから」

「タイミングとかスマートな言い方して俺の傷を深めないよう気遣いしてくれてるのかありがとう。っと、傷と気遣いが韻を踏んだな」

「死別なんだよね」


 遭ったばかりのわたしたち3人と・・・・・どういうわけかヒタヒタと跡を付いてくるやっぱり美人白猫の桜の4人で霊園内をぐるぐると回った。けど、わたしと白木には詰問する権利がある。


「彼ってどんなひとだったんですか」

「パトロン、だね」

「パトロン?」

「そう。ウチって父親が早くに死んでて。自分で言うのもなんだけどわたしIQがそれなりに高くて進学の道が絶たれるのは忍びないって中1の時の担任がね、頼みもしないのにひとり親家庭を支援するNPOにわたしのことを話したんだよね。そしたらその彼が母親とわたしに紹介されて」

「あしながおじさんみたいな?」

「まあね」

「もしかして本当はお母さんの恋人?」

「ううん。彼は間違いなくわたしを愛してた」

「でもそれって、東京だと条例違反じゃ」

「援交ぽいから?いいえ。彼はわたしに対しては不具だったわ。枯れてたのよ」


 けれどもそれは老人だから生殖器が機能しないという意味ではなく、彼はまだ40歳の近辺だったそうだ。

 肉体が枯れてるんじゃなく、精神が枯れていたひとなんだって佐加さんはほんとうに嬉しそうに笑った。


 わたしと白木は推測した。


『孤独の桜』というからにはぽつん、と一本だけで咲いているに違いない。

 だから、霊園の中でもお墓の少ない区と区の境界にあるんだろうと思ったんだけど。


「それらしいのが無いですね」

「うん」

「佐加さん。彼はただ『孤独の桜』って言ったんですか?他の情報は?」

「・・・・・・・遇えないひとの傍にあるって」


 遭えないひと・・・・・・?


「彼も片親の家庭だったんだ。彼の場合は両親が離婚してお父さんに育てられたそうだから、お母さんのことをそう言ってるのかな、って思って。染井霊園に遭えないひとが居る、って言ってたから」


 離婚したあとお母さんは病気か何かで亡くなってこの霊園の桜の下の墓にいるんじゃないかって、そう佐加さんは推理したんだっていう。


「彼のお母さんの旧姓は?墓標を見れば分かるんじゃ?」

「再婚したらしいの。相手の姓を名乗ってるみたいだけど教えてくれなくて。ただ、『花の名前だ』って、それだけ。さっきからずっと花に関係する墓標を探してたけど、無かった」


 わたしたちと情報共有してなぜ捜査網を広げない、と思ったけど、IQが天井のような佐加さんはわたしたちを当てにして集中力を切らす方が難航すると思っただけだろうし事実その判断は正しい。


「出ようか」


 佐加さんからそう言った。


 わたしと白木は都電なので、佐加さんは見送ると言って西ヶ原の方向に一緒に歩いてくれた。


「佐加さん?」


 白木が今までに聞いたことのない優しい声で、歩きながらどんどんうつむいていった佐加さんに話しかけた。


「うっ、うっ、うっ、うっ」


 14年間生きてきたけど、親も、友達も、弟も、もちろん白木も。


 こんな風に激しく泣いたことはなかった。


「佐加さん・・・・・・」

「か、彼と、わたしのこの世に残された唯一の共通項だと思ったのに・・・・彼が観なかったら、その桜は誰も観ないまま散っていくのに・・・・」


 もう少しで都電の駅に着きそうな三叉路の左手を見ていた白木が言った。


「花の・・・・・・しば・・・さくら?」

「えっ」


 泣いている佐加さんには誰の声も聞こえていなくて、わたしが反応した。


 多分都電側から霊園に墓参するひとたちが仏花を買う店なんだろう。


 両隣を民家に挟まれた間口の狭いガラス戸で温室のようにレイアウトされた小さな花屋だった。


 総二階の上の方の白い壁に、『花の芝桜』っていう薄いピンクのレタリングが看板としてコンクリートに打ち付けられていた。


「あれだわ」


 佐加さんは、花屋の店の前の歩道の、縁石ギリギリに置かれたたった一個のプランターを見つめた。


「あれよ」


 2度言った。


 けど、すぐには近づかない。


 きれいなワンピースと白くて長い素足に履いたサンダルが美しいその女性と、孫娘だろうか、手を引かれていた幼稚園もまだじゃないかと思える小さな女の子が店の中の奥の方へ入って行くのを待ってわたしたちは歩いた。


「桜の木じゃなかったなんて」


 白木は悪気があって現実的な言い方をするんじゃなく、佐加さんが一瞬の光景で『彼』のすべてを把握したことに思いやりを持って接しようとするその優しさだと思ったよ。


 さすが白木。

 心の中でだけ褒めてあげるよ。


「綺麗」

「うん。ありがとう奈月ちゃん」

「ほんとうに綺麗です」

「白木くんもありがとう」


 目はずっと潤んだままだけど、佐加さんは、笑顔になった。


 3人で、しゃがんでそのプランターの、かわいらしい芝桜を愛でた。


 ソメイヨシノよりは遅く時期を迎える可憐なもうひとつの桜は、芝のような葉の緑にとても生気があって、だからソメイヨシノのあの白に近いピンクよりも濃く咲くはずの、まだ開きかけの芝桜の花を原色の力強さに導こうとしているように感じた。


 白猫の桜が、プランターの周りに身を擦り付けながら、にゃあ、と鳴いた。


 彼女のアングルが刻一刻と変わる。


 猫が完全にわたしたちに向けて尻尾を上げたその一瞬のタイミングに、佐加さんは薄い、けれども可憐な唇をゆっくりと開いて言った。


「この子、オスだわ」



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