お二人様ではありません!
藤咲 沙久
今日の日替わりメニューは鯵フライ定食。
「前から気になってたんですけどぉ。
あと五分で昼休み、データの打ち込みも佳境というところで隣から間の抜けた声を掛けられた。この甘ったるい喋り方は少し、苦手だ。
「……長谷川さんって人事部のですか。まるで身に覚えがありません、なんの話でしょう
「目撃情報があるんですからぁ。二人、タイミングだけずらして同じお店に入っていったり出てきたりするってぇ」
あと三分。昼休みを削らせはしない、回答を考えながら指は止めなかった。
長谷川さんといえば、眼鏡をかけた大人しく寡黙な男性だ。特に誰かとつるんでいるイメージもなく、もちろん私と昼食をとってなどいなかった。
そもそも、食事は一人ですると決めている。
「たまたまでしょうね。店内まで見た人、いないでしょう?」
「ええ~、でもぉ」
「ああ、十二時ですね。では私は外で食べてきます」
エンターキーを押し込んでから城野さんへ笑顔を向ける。入力しきった満足感と共に、大好きなご飯タイムだ。これだけは邪魔させないという強い意思を持って、私は立ち上がった。
さあ。今日は何を
*
食す事。これすなわち、食事。
これはあくまで個人の見解だけど、食べながら関係のないお喋りを挟むなどナンセンス。食材への感謝から始まり、視覚嗅覚聴覚そして味覚すべてを使って味わい、食べる行為を堪能する。それこそが食事なのだ。
(時代が私に追い付いた。世はお独り様時代、ソロ飯万歳)
社員食堂は確かに安く済むものの、あそこは噂話と好奇心の
運のいいことに、社屋を一歩出れば飲食店はいくらでもある。昔ながらの個人経営店から有名チェーン店まで選び放題、どうせなら楽しまなければ損というもの。
「んー……日替わりは
昭和風な定食屋の
別に、他人が会話を楽しんでいるのを止めろだなんて言う気もない。食事の楽しみ方は人それぞれ。そのくらいの分別はつく。
(ああでも、同じような人がいるんだな)
考え方まで同じかはわからない。ただ偶然にも、長谷川さんとは店と食べたいものを選ぶタイミングや好みが随分と合致するようだった。
実は同じ店にしょっちゅう居たなんて、まったくもって気づいてなかったけど。基本的にご飯しか見てないし。
「ごめんなさいねぇ、今日はお客さん多くって。ちょうどお一人様同士、相席でもいいかい?」
私の来店に気づいた店員のおばちゃんが、すまなさそうに入り口すぐの席を見る。見られた側もすぐ気づいて顔を上げ、さてなんと答えたものかと、自然に我々の目も合うこととなった。
「あ。……守屋、さん」
「長谷川さん……?」
「あらぁ、お知り合いなの! ちょうど良かった、座って座って! 今日の鯵、すっごく美味しいからね」
知らない顔でないだけマシか、むしろ逆か。相席なんてしたことないからわからないって。
しかしおばちゃんの鯵美味しい発言はどうしても私の心を
そうして私たちは二人とも鯵フライ定食を注文すると、事務所内の噂通り、二人で昼食をとることになってしまった。
「いただきます」
手を合わせ、声も揃った。でもそれ以降会話はなかった。もちろん不満があるわけもなく。私は揚々と箸を取った。
じゅわり。歯が衣に沈み込む感触、少し後から遅れて染み出してくる鯵の旨味。揚げたて特有の熱さを凌ごうと噛み方に強弱がつき、ざくっさくっと複数の音が鳴る。その度に油の香ばしさが鼻から抜けていった。
ここの鯵フライ定食は最高だ。味噌汁との相性も抜群。私はひたすら黙々と鯵を愛でた。艶のある白米も、深い色が目を楽しませてくれるホウレン草も、大根とキュウリの漬け物も、漏れなく愛でた。ああ、ごちそうさまでした。
「あん、
ちょうど私が箸を置いたところで、髪の長い女の子がパタパタと慌ただしく横を駆けていった。会計を済ませようとしている男性の連れらしい。関西からの観光客だろうか。恋人との旅行でこういう庶民的な定食屋をチョイスするのは中々センスがいいと、私は思う。
ふと、目の前で同じように食器から手を離した長谷川さんを見る。会社も同じ、初対面でもなく、偶然とはいえ向かい合って食事をしていたこの状況。普通なら世間話のひとつでも交わすところなんだろうな。
女性はやっぱり、先ほど通り抜けた彼女のように愛想がいい方が可愛らしい。なんならいっそ城野さんくらいお喋りな方が好ましいのかもしれないくらいだ。
(……つまらない女だとは、思われただろうな)
長谷川さんに良く思われたいとか、そういうこととは違う。食事の楽しみ方は人それぞれ。楽しいと感じる気持ちは守られるべきだ。
これも、人と同席するのが苦手な理由のひとつ。相手は喋る方が楽しいと思っている場合、私との時間は大変つまらないものになってしまう。それがツラい。
「つまらない男だと、思われたでしょう。すみません」
一瞬、私が口に出したのかと思った。今喋ったのは長谷川さんだ。なにを謝られたのか理解に時間がかかり、眼鏡の奥にあるしょんぼりした瞳を思わず眺めてしまった。
あ、初めて知った。長谷川さん奥二重なんだな。
「長谷川さんが……ですか。なぜそんな」
「どうしても、癖と言うか。食に集中し過ぎてしまうもので。世間話のひとつもできず、申し訳ないです」
「世間話……」
驚いた。ここまで、ここまで同じことを考えている人がいるものだろうか。それも話しながら食べれないという共通点。今この話題もきっちり食後。
「あ、それとも、相席したくらいで話し掛けること自体が失礼だったでしょうか……?」
「とんでもないです!」
「え、話し掛けることがですか、すみません!」
もう一つわかった。寡黙だと思っていた長谷川さんは、どうやら気が小さい。私はそんなことに構わず身を乗り出した。同志、素晴らしき同志よ。喜ぼう。私たちは仲間だ。
「食事は、食べることに集中してこそ、食事です……! 中々出会えないんですよ意見が合う人、よく同じ店に入るって言われてるから食の好みも合うんでしょうけど、まさかこんなことまで!」
「え、え、ああ。僕も言われましたそれ。食べ物しか見てなかったんで知りませんでしたけど」
「わかる、そうですよね! なんて奇跡だろう、もし良ければまた一緒に……っ」
いや。いやいやいやいや。たった今、一人で黙って食べるのが好きだと共有し合ったところじゃないか。一緒になんだ。食卓を囲むのか。え、でも仲間は嬉しい。ソロ活仲間ってなんだ。一緒に行動したらそれってソロなのか。
一人であることを尊重したまま、一人仲間であることを楽しむ意識。それに名前をつけるとすればなんだろう。
「守屋さん……?」
「えっと。……ユニット活動というのはどうでしょう」
「ユニット活動」
「同じ店に行って、それぞれ一人の食事を楽しむのです。ソロとソロで、ユニット。あくまでソロ同士。テーブルだって別で構わないのです」
「でも、それならば今までと変わらないのでは……?」
「変わりますとも! 志を同じくする仲間と共に各々ソロ活をしているという、喜びが得られます!」
大きく変わるのは互いの存在を認識すること。それだけで、己のスタンスを守りながらも理解者がいる嬉しさに浸れる、新たな楽しみが生まれるということだ。
長谷川さんは、この店で最初に顔をあわせた時と同じくらいポカンとしてから、ゆっくりと目を細めてくれた。案外優しい表情をする人だ。
「……守屋さんは、面白い方ですね」
「それは初めて言われましたよ」
分類するならば、愛想なし。協調性だって高くない。こんな私を面白いだなんていう長谷川さんだって、少し面白い男性なのかもしれない。
「ではこうしませんか? せっかくのユニット活動です。どうせならテーブルくらいは、同じで」
今日と同じ、と言うように人差し指で机に触れる長谷川さん。トンッと軽い音がした。心臓が期待に揺れる、最初の一音目みたいだ。そんな風に思った。
「その場合……お一人様二名でって言えばいいんでしょうか?」
真面目に答えたのだけど、吹き出されてしまった。なのに嫌な気はしない。やっぱり守屋さんは面白い、そう言って笑う長谷川さんがなんだか嬉しそうで、私まで嬉しくなってしまった。
なんだろう、すごく、楽しい。楽しい時間だと感じる。
店員のおばちゃんがニコニコ顔で食器を下げに来てくれるまで、私たちはずっとそうして笑い合っていた。
こんな昼休みも、悪くない。
お二人様ではありません! 藤咲 沙久 @saku_fujisaki
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