VROの社畜ソロバン事情。ep9

arm1475

VROの社畜ソロバン事情。

[被験者009SKに関する報告。量子化処置の経過良好なるも記憶領域補正によるメンタルステータス若干不安定]

「……肉体喪失によるノイズはやはり記憶領域に若干不安兆候があるか。まあ貴女がついているからその辺りは安心して任せられるけど」

[重要禁則事項に関しては申告のあった警戒要因6項目に対する改変がありました]

「6項目……予想より多いわね。やはり自覚の無いまま量子体になるのはストレス過多なのかな。判った、引き続き監視をお願いね」

[了解しました、マスター]


 ネットと接続されていた机上のモニタがオフラインになり、黒い画面に黒髪の美女の物憂げな横顔が映える。

 参ったなぁ、とVRO管理長は仰いだ。

 管理長の関心はモニタによる報告ではなく、手元に広げていた社内報告書にあった。 

 先日の運営会社の経理部門から「お前ら金使いすぎ(意訳)」と言われ大幅に予算カットを通告され、このままでは正式サービス開始前に終了せざるを得ない事態になる事が判ったからである。


「業界大手とは言え、ゲーム会社風情が簡単に手を出していい話じゃないよねぇVROみたいなインフラって。折角多くの企業にベータテストに参画してもらって、医療面でも可能性を見いだされたってのに……」


 管理長は天井を睨んだまま、うーんと唸り、何かを覚悟したかのようにため息をついた。


「昔から算盤勘定苦手だからまる投げしたのが徒になったなぁ……また先輩に迷惑かけちゃうかも知れないけど、でもあの人なら立て直せるハズ」


「要するに、俺をヘッドハントしたい?」

『人材不足なんですよ、うち……』

「人材不足はどこもだろ……」

『ぶっちゃけうちのプロジェクトに予算管理出来る人が居なくて、それ考えずについちょっとやんちゃしちゃいましてね……』

「相変わらず後先考えないなぁお前さん」

『てへぺろ』


 課長は、20代の若さで、世界で注目されているVR型SNS「VRO」の運営責任者を任されている大学の後輩の苦笑いを観て半ば呆れていた。二人は歳は離れているがサークルの先輩と言う事で飲み会などの交流があった。どこか気の合うところがあったらしく他のメンバーの中では親密な間柄で、課長には管理長と同い年の妹がいたことから恋愛関係というより仲の良い兄妹のような関係を続けていた。


『聞きましたよ? 先輩のお勤めする会社での武勇伝。売り上げ前年比240%増で立て直したって凄いじゃ無いですか、是非私たちの運営にその力をお貸してくださいいいい』


 後輩に泣きつかれた課長は困り顔で仰ぐ。


「……簡単に言うけどさぁ」

「いいんじゃ無いんですか簡単に転職しても」


 課長の隣に居た、VRO内で拾ったスマホが変化した巨乳眼鏡のスマホメイドがお気楽そうに言う。


「ご主人様のおかげで傾いていた会社が立ち直ったのも事実です。その力を必要としている方がおられるなら、新天地で挑戦するのも社畜の本懐かと」

「社畜ゆうな」

「てへぺろ」

「後輩みたいな誤魔化し方すんなオメー」



 結局課長は後輩である管理長とスマホメイドに説得されるような形で、VROの運営部門へ転職することになった。ブラックに近い職場で、社畜根性で培った彼の危機管理能力は転職後でも発揮された。

 彼の運営管理能力、特に営業方面での手腕は運営会社の上層部も舌を巻くほどであった。


「予算が足りないなら調達すりゃいいだろ?

 スポンサーだよ、VRO内に広告打ったり、VROその物とコラボしてスポンサーも稼げるようにするのさ。

 医療方面にも技術提供してるんだろ? だったら政府機関からも予算引き出せばいい

 ゲーム会社だと思って舐められてると思うなよ、もうこれはただの仮想現実SNSじゃない、人類の第二の人生セカンドライフ作ってる気概で攻めろ!

 社畜舐めんなよ!」


 彼はスポンサーの起用や政府機関へのアプローチなどあの手この手で不足を補うどころか潤沢にしてしまい、同時に運営面の無駄の整理も行う事で抱えていた資金面の問題点を解決してしまった。運営会社は社畜の本気を思い知らされ、VROのベータテストは引き続き続行することになったのである。



「流石先輩です」

「……前の会社の方がまだマシだったぞ……あのどんぶり勘定運営で良く速攻でサービス終了にならなかったなあ」

「てへぺろ」

「そうやって誤魔化す……」

「お陰様でVROもサービス継続のめどが立ちました。コレで安心して先輩に管理長の座を譲れそうです」

「はい?」

「私、会社辞めるんです」

「おい、何を言って――え」


 後輩の退職報告の理由を問いただそうとしたその時、彼のレターボックスに新婚の妹夫婦から一報が入った。

 妹が流行りの病原体に罹患し、倒れたのだ。


「おいなんでログアウト出来ないんだ、妹がいる病院に行かせてくれ!」

「ご主人様、お待ちください」


 混乱する彼を、真相を知るスマホメイドが説得するがなかなか受け入れては貰えなかった。しかしその真相を彼に告げるわけにはいけなかった。前の会社で倒れて量子体となっていた彼は、自分が肉体がある人間だと思い込んでいたからである。

 そこへ、VROのSEでシステムを管理するアドミニスレーターも務める、妹の夫から連絡が入った。

 妹が、そのまま帰らぬ人になった、と。


 直後、妹の死を知った彼の思考領域メンタルが停止した。

 妹の夫がそれを連絡してきた際、義兄の肉体は既に失われていると教えてしまったこともあった。混濁する記憶と血を分けた最後の肉親の喪失は、彼に想像を絶する心因負荷ストレスを与えてしまい、このまま停止を続けると人格喪失で再起不能になる恐れさえあった。


「管理者権限アクセス。――メイド、どう?」


 管理長はVROにログインし、眠り続けるご主人の回復を傍らで待つスマホメイドに問い合わせた。


「珍しいですね。こちらに直接来られるとは」

「知ってるでしょ? 私の記憶をトレースして創り出したもう一人の私なら」

「脳腫瘍――もう限界なんですね」

「病院のベットの上からアクセスしてるのよね。多分コレが最後。脳の負荷が大きくて使用出来ないから」


 スマホメイドという自家製UIスキンを創ったのは管理長であった。

 まだVROがベータ版以前の不完全な状態の頃に、自身の脳に致命的な部位への発症を知り、密かに闘病しながら自分の記憶を完全複写フルトレスする技術のテストベッドとして作り上げた疑似AI。それをVROで使用出来るよう調整し、せめてそれだけでも想い人のそばに置きたかった、その願いの塊なのだ。


「……記憶領域の再構築で先輩が回復する見込みが出たそうね」

「外部記憶との同調補完ならば、ということです。但し唯一の親族である妹さんが亡くなられた今、原状回復は不可能です」

「最新のセーブポイントが亡くなっちゃったからね」

「でも」

「?」

「私が、居ます」


 スマホメイドは胸に手を当てて力強く言う。


管理長マスターの記憶を完全複写した私の中に、ご主人様――先輩と過ごした記憶があります」


 そう言ってスマホメイドは自身の外見スキンを再構成し、管理長の複写された量子体姿へと変貌した。


「いい覚悟ね。先生、いえ、貴女の妹さんとの記憶もブレンドしてあげて」

「私の計算だと先輩は私たちの記憶で再構成するとかなり若返ってしまいますが」

「私、年下が好みだから丁度いいわ」


 本体の管理長は軽口を叩くが、肉体面はかなり無理をしていることを複写体の管理長は彼女のパラメータから察知していた。もう数日の命なのだろう。


「……私、理系のくせに、こういう計算事は本当下手でさぁ……もっと早く先輩に好きだって言えてたら……」

「私の想いは、私が引き継いでいます」


 複写体の管理長は笑顔でそう告げた。


「貴女の想いは死なない。――死なせてたまるもんですか」

「ええ、ありがとう私。あとは宜しくね」


 そう告げると本体の管理長はログオフした。後で知ったが本体はその時に息を引き取ったそうである。本体は複写体を自身の量子体として退職届は破棄され、業務は滞ること無く二代目である複写体へと引き継がれた。

 その後、管理長の先輩は本部の特例により、複写体管理長の記憶領域からサルベージされた記憶データを元に再構築され、再生領域を選択して記憶改ざんされた管理部の主任として職場復帰することとなった。



「しかしVRO、本当にデカくなりましたよねぇ。仮想現実の職場という概念がとうに消えて、今や第2の人生の場セカンドライフと化してますからねぇ」


 主任は管理室の窓から見える、膨大な数で構成されているワークギアの塔を観てしみじみ言う。

 VROは運営開始から世紀を超えて、今やゲーム会社の管理から離れ、世界統一政府が管理する「もうひとつの世界」となっていた。

 単なるソーシャルネットコミュニティとしての有用性が認められる原因となった病原体を封じ込めることに成功したはずだった。

 ところが半世紀ほど前、その病原体が更に変異し、現状のワクチンが効かない凶悪なものへと進化してしまった事で世界は一変し、全人類は現実世界から病魔の及ばぬVROの世界へ避難せざるを得なくなっていた。ワクチンは未だ開発途中で、完成後にはバイオマテリアルによって創り出した肉体で現実世界を取り戻せる手はずになっており、その日が来るまで人々は仮想空間で日常を続けていた。

 半世紀前まで記憶領域が不安定で何度か人格崩壊を起こしかけていた主任も、全人類が量子化した事で自身のを無意識に受け入れるようになっていた。依然彼はとしての記憶は失われたままであったが、それでも人格が失われてしまうよりは良い、と彼の隣で管理長は穏やかな心で缶コーヒーを飲んでいた。


(私も、先輩も、生きてるからね……)



 ある日、太陽系外から飛来した巨大な彗星が地球を掠める。

 地表への落下は回避されたが、地上に大量の電力供給を続けていたサテライトステーションがその彗星から剥離した破片の直撃を受けて破壊され、地上の受信基地にも甚大な被害が発生する事はまだその時は誰も知るよしも無かった。



                         おわり

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